江戸編三②_斬り殺すぐらいのこと
「一橋のお武家様、どのような御用で……」
村の役人たちは、汗を流しながら媚を売るような笑みを浮かべている。
私たちがいるのは、例の奉公の希望者が一人も出なかった村の奉公所である。すぐさま、役人たちへ面会することにしたのだ。
「単刀直入にお伺いします。村民に、何か手を回していませんか」
その声の鋭さに、思わず、息が止まる。隣の平九郎くんも、どこか険しい顔になった。
傍で聞いているだけの私たちがこんな状態なのだから、お役人は相当なものだろう。額を畳につけるほど頭を低くした村の役人たちの顔は、青い。
答えを催促する渋沢さんに、役人たちはもごもごと言い訳じみた否定の言葉を並べる。その煮え切らない様子では、何も情報が出なさそうだ。
と、考えていたところ、刀を手に持ち、渋沢さんが立ち上がる。
「私のことを、これまでの者と同じく、だらけきった武士だと思っているのなら、それは大きな間違いです」
ぴりっと、空気が震える。誰一人として、口を開かない。
「あなた方が手を回して、兵の取り立てを邪魔をしているのであれば、誰であろうと一切容赦はしません。各々、包み隠さずにこれまでの機密を話しなさい」
かちゃりと、音を立てる刀。
「一橋のため……お国のためであれば、10人や15人を斬り殺すぐらいのこと、僕は何とも思わない」
数センチ、鞘から刀身がのぞき、さっと血の気が失せてゆくのを感じる。
それは、私に向けて放たれた言葉ではないというのに。
思考の止まった頭に浮かぶのは、突き付けられた刀の鋭さ。
脳裏によぎるのは、その刀身が私の肉を裂き、真っ赤な血が――
不意に、体が温かいもので包まれる。反射的に、ぴくりと体が震えた。
「大丈夫、よく見て。あれは、君を襲う人じゃない。栄一兄さんだよ」
はっと、視界がクリアになる。
私は、平九郎くんの腕に包まれていた。
穏やかな声、包み込む体温。心臓が静まってゆくのを感じる。
平九郎くんの若い草のような香りを感じて、たまらずに距離を取ろうとする。しかし、私を抱きしめる腕は離れない。
耐えきれずに口を開こうとしたが、部屋から聞こえる声に目を向けた。
「どうかお許しを。これは全て、村のためでございました」
泣きだしそうな、いや、もう泣いているのだろう。震える声でお役人たちは訴える。
「お代官様が、我々にお武家様はたびたび面倒な事をお申しつけされ、服従していると難儀なことになるとねがねおっしゃっておりまして。そのため、今回についても、一人も奉公に志願する者がいなければそれで済むと思い、希望者は実は沢山ありましたが、一人も願い出ないと申したのです」
武士、町人。今の世界でも、権力者と平民は分かり合えないと知っていたが、この世界は想像以上に。
「ですが、旦那様が道場の生徒や書生を敬愛なされるので、農兵になりたいと旦那様へ直接志願する者も現れ、今に至り……どうか、今申し上げたことは、お代官には何卒内密にお願い申し上げます」
しばらくの沈黙。
やがて、渋沢さんはふっと息をついて、刀から手を離した。
「では、あなた方の迷惑にならないように、代官に掛け合いましょう」
渋沢さんの顔が、先程までの厳しいものから、いつもの穏やかな顔に戻る。知らぬ間にこわばっていた体が、ゆるゆると弛緩した。
刀など、血など、見たくはない。渋沢さんがどこまで本気だったのかは分からないが。
「お待たせ。何とかなったよ」
渋沢さんがこちらへ戻ってくる。
ぱっと、平九郎くんの体が離れた。
「よかった、兄さんならできると思ってたよ。
でも、ちょっとやりすぎたんじゃない?お姉さんがびっくりしちゃったよ」
渋沢さんと目が合う。そこにあるのはいつもの丸い瞳で、もう恐怖はない。
「ごめん、怖がらせちゃったね」
申し訳なさげに渋沢さんは言うが、渋沢さんに非はない。ここは、そういう世界なのだ。
願わくは、血の流れない世の中であってほしい。しかし、話し合いで全て解決できるような甘い世界ではない。
「ここまで手伝ってくれてありがとう。これで、何も邪魔されることなく、人集めも思い切りできるようになるよ」
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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