江戸編二④_敵から学び敵を倒す
ガタリと、屋敷の障子が開く音。
不意に、周囲が静かになる。
見れば、貫禄のある初老の男が、庭の男たちを鋭い目で睨みつけている。背中が冷たくなったような気がして、思わず身がすくんだ。
「あなたが、この道場の師範ですね」
「……こんなところに、お武家様が何の御用でしょう」
渋沢さんは、本当に人との対話が上手いと思う。臆せずに人当たりの良い笑顔で、距離を縮める。
「この村のことを知りたいと思いまして。いろいろ、学ばせていただけますか」
「…………」
「あなたは、この村で慕われる漢学者であるとお聞きしています。せっかくの機会ですので、よければ、時事についてあなたのお考えを聞かせていただけないでしょうか」
男は、黙ったまま屋敷に中に入ってゆく。それは、了承の意味なのだろう。
周りの人たちが見つめる中、私たちも屋敷に足を踏み入れた。
「日本は弱い。このままでは、外国に負けるのは自明です」
師範は、無口な人かと思っていたが、そうでもないらしい。一度質問を投げかければ、次々に言葉が出てくる。
「先生は、鎖国をすべきではないというお考えですね」
「鎖国など、できるわけもありません。今、日本は衰退している。開国しろという外国の意見を退ければ、いよいよ外国の侵略が本格化します。そんなことになれば、勝てる未来はない。日本は、対抗できない」
「……幕府の権力が、弱まっているから」
ですね、という渋沢さんの言葉に、師範は答えない。幕府に近い一橋家の家臣に対して、肯定の返答はできないはずだ。
「その考えには同意です。今の日本に、外国とやり合う力はない。
しかし、開国しても、一時的に難を逃れるだけではないでしょうか。遅かれ早かれ、外国は日本を侵略したがるでしょう。勝率が低くても、今抗うべきという意見は多くあります。あなたは、それでも開国をすべきだと思いますか?」
「中国は、イギリスに対抗して負けた。あの強大な国が、負けた。中国の一部は、イギリスのものになった。今、イギリスは中国を奴隷のように扱っていると聞きます。中国と同じことをすれば、日本も同じ道を辿ることになる。そんなことは避けなくてはなりません、絶対に」
私は、敗戦の恐怖を知らない。生まれたときから、平和だった。
私にとっては、戦争など物語の中の話なのだ。負ければ大変なのだろうとは思うものの、それ以上の気持ちはない。
渋沢さんたちも、長く争いのない江戸時代を生きているというのに、この違いは何だろう。この場にいる私だけが、他人事のようにこの会話を聞いている。
いや、実際他人事なのだ。私は、この世界の人間ではないのだから。
「では、どのようにして外国の脅威から逃れたら良いのでしょう。先生なら、了見をお持ちですよね」
「……まずは、貴殿の考えをお聞かせ願えますか」
渋沢さんは、少し視線を彷徨わせ、再度師範に向き直り口を開いた。
「開国すべきか、しないほうが良いのか。正直に言うと、私にはわかりません。先生のおっしゃる通り、開国しなければ、中国と同じ道を辿ることになりかねない。
でも、本当にそれで良いのでしょうか。開国に反対する者が多い中で開国すれば、国の士気は大きく下がります。そうすれば、外国に勝つことがますます難しくなる……ということも考えられる。易々と屈するべきではありません」
私は未来に生きているから、開国が悪いことだとは思わない。
しかしそれは、所詮結果論だ。
本当にそうなのだろうか。もし、開国しなかったとして、その世界がより良いものだったら。
どちらが、正解なのだろう。
「今の日本は、外国に勝てない。だから、現状は開国するしか道がない。
でも、それは日本が強くなれば、避けられるのではないでしょうか」
渋沢さんの言葉に、師範の眉がぴくりと動く。
「今の日本では勝てない。でも、強くなれば勝てる。日本が衰退しているのは、幕府の力がなくなっているからに他なりません。
腐りきった幕府に、もう未来はない。だったら、幕府をなくして、新しく一から日本を立て直すべきだ。そして、日本を再び強くして……外国に立ち向かうんです。
今、幕府に変わるものを作らなきゃいけないんです」
熱弁する渋沢さんに、冷や汗が出そうになる。それはきっと、一橋の家臣が言っていいことではない。
「また、栄一兄さんの熱弁が始まっちゃった」
平九郎くんは平気そうだが、私は落ち着いてなどいられない。
だが、師範は唐突に、大きく笑った。
「一橋に仕える者が、そんなことを口にするとは。せいぜい、幕府に目を付けられないようにすることですね」
幕府の目の届く立場でありながら、幕府に背くような発言をすれば、この世界では容赦なく糾弾されてしまうことは想像に難くない。密告などされては、笑いごとにならないことになる。
「貴殿の意見はわかります。開国をすれば、民衆の混乱は加速するばかりでしょう。
だが、外国は開国するかどうかの返事を待たない。もたもたしているうちに、外国は日本に攻め込んでくるでしょう。幕府を倒して、外国に並ぶくらいに国を強くする、なんてことは、一朝一夕にはできないと思いませんか」
「…………」
「開国は避けられない。これは避けられない事実です」
外国にあらがえば、甚大な被害を被る。それは、どうしても避けたい事態だ。
血を見るのは、健康診断の採血だけでいい。
「であれば、これを契機に外国を利用すればいいのです」
「利用……」
師範の言葉に、渋沢さんはぽかんと口を開けた。
「開国を、敵を学ぶ機会にするのです。開国すれば、外国の武器や政治の方法、様々なことが分かる。日本を強くする足掛かりになりはずです。
開国は、日本を強くする」
「日本を強くするための、開国……」
渋沢さんの目が輝く。その表情は、目から鱗という言葉を体現している。
「敵から学び、敵を倒す。そういう考え方もできるんですね。勉強になります」
「この国の未来は、あなたたちにかかっています。開国するか、しないか。幕府を支えるのか、見放すのか。どうか、よく考えて選択してください」
一人の人間がいくら動いたとして、国を変えることなどできないと、そう思っていた。
しかし、違う。この世界はぐらついていて、ただ一人の行動ですら、この国に影響を及ぼす。
「大変、勉強になります。貴重なお時間を、ありがとうございました」
渋沢さんは、これから国を動かす一員になるのかもしれない。根拠などないが、そんな予感がした。
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7-5
「渋沢さん、稽古をつけてください」
「昨日の話の続きを聞かせてもらえませんか」
先日の一件以降、渋沢さんを訪ねる人が後を絶たない。近くの村から、若い男の人たちがやってくるその場面は、何とも慣れないものである。
「……すごいですね」
「栄一兄さん、すっかり人気者になっちゃって」
少年たちに囲まれる渋沢さんは、とても楽しそうに見える。元来から、人と喋ることが好きなのだろう。
「噂になってるみたいだよ。『あのお役人は普通の役人と違って、学問も剣術もなかなかあっぱれだ』ってね」
武士は、教養もないのに偉そうにいばっている。そういう心の声が聞こえた気がした。
だが、渋沢さんは違う。みんな、それを理解したのだろう。
「渋沢先生は、一橋様のために戦う兵力を求めていらっしゃるんですよね」
一人の若い少年が、目を輝かせてこぶしを握る。
「良ければ、僕を都へ連れて行ってください。お役に立ちたいです」
「本当!? すごく嬉しいよ。これから、一緒に頑張ろう」
「僕もお願いしします。是非、連れて行ってください」
続けて、周りの少年たちが身を乗り出す。波紋のように、次々に広がる声。
「僕も栄一兄さんも、昔に道場や塾でたくさんの仲間に出会った。夢中で刀を振って、未来のことを語り合って。そうして僕たちは育ってきた。だから、同じようにすれば、力になってくれる人が見つかると思ったんだ」
決して、上からの命令ではない。同じ志を持つ者として、協力を呼び掛けている。
「武士の兄さんもかっこいいけど、いつもの兄さんのほうが馴染みやすいよ、きっとね」
村の人たちと笑いあう渋沢さんを見て、同意する。
人懐っこく、優しく、おごらない。渋沢さんの魅力は、そういうところにあるのだと思う。
「これで、任務は達成できそうですね」
「だね」
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
ゲームプレイ(無料)はプロフィール等からご確認ください。




