江戸編二②_武士だから
「一橋の家臣となり、国のために尽くそうという気概のある者はいますか」
衣擦れの音すら無い空間。何十という数の頭が、渋沢さんに向けて下げられている。
その場面は、私にとっては、非常に異様なものに見える。
「……誰も、手を上げないね」
部屋の外で、渋沢さんの勧誘の様子を一緒に窺っていた平九郎くんが、ぽつりと呟く。
「たくさん、京都に来たいって言ってくれる人がいると思ったんだけどな」
平九郎くんにとって、そして渋沢さんにとって、これは想定外のことなのだろう。一向に動かない人々に、やきもきしてしまう。
誰もが、肩を震わせて、体を縮める。結局、誰一人として手を挙げる人はいなかった。
「これは、思ったより時間がかかりそうだ」
宿に戻り、3人で鍋を囲む。ぐつぐつと煮立って香る、出汁と味噌のにおい。
「まだ、来たばっかりじゃない。大丈夫だよ、きっと」
平九郎くんはそういうが、渋沢さんは何かを考えているのか、黙ったまま白菜を口に運んでいる。
私も、じりじりと焦る気持ちを抑えながら、大根を箸で摘んだ。
「とりあえず、明日もみんなに声をかけてみる。もし、それでだめだったら……」
口を閉ざし、渋沢さんは鍋をじっと見つめる。その目は険しい。
「真摯に話せば、みんな協力してくれるよ」
そう信じたい。だが、何故だろう。
渋沢さんを見つめる。
細い魚の骨が、喉につかえているような。そんな、ちょっとした違和感が、胸の中に広がるのを感じた。
しかし、その違和感は渋沢さんに対してなのか、もしくはこの状況に対してなのか。正体は掴めない。
「頑張ろう。今は、みんなに協力を呼び掛けるしかできないから」
私にできることは、何だろうか。
「駄目だ、誰も立候補してくれない」
一人も兵を集められないまま、日が傾く。何も成果がない一日というのは、精神的に参るものがある。
「僕たちには、まだこれ以外にもやることがある。こんなに時間をかけてなんかいられないのに」
恐らく、彼の言うやることというのは、私を元の世界へ戻す手掛かりを探すことだろう。分かってしまうからこそ、申し訳ない気持ちが抑えきれない。
「栄一兄さん、気持ちはわかるけど焦っちゃだめだよ」
平九郎くんの言うことは、重々承知である。それでも、コントロールが効かないものが心というものだ。
「そうだよね、焦ってもどうにもならない。考えなきゃ。上手くいかない理由が、あるはずだ」
その理由があるとすれば、どんなものなのか。
「きっと、僕は何かを間違えてるんだ。根本的な、何かを。
考えなきゃ。そうじゃなきゃ、変わらない」
「そうだね、やり方を考えなきゃいけないのかもね。
でも、今はとりあえず、ごはんにしよう。お腹が減ってたら、いい考えも浮かばないよ
その意見には渋沢さんも私も賛成で、食料の調達に向かうことになった。
食材を買って宿で調理するか、屋台で食べるかは、その時の気分や手持ちの状況による。今日は宿での調理かなと考えていたところで、周囲に響く高い声のほうへ目をやった。
見れば、小学生ほどの子供たちが、畑の回りを駆け回っている。着物をたくし上げ、足を泥まみれにさせている姿は、微笑ましい。
こちらに気づいたのか、子供たちはわたわたと着物の裾をはたいて、背筋を伸ばした。
「この畑では、何を作っているの?」
「芋や、なすを育てています」
渋沢さんはしげしげと、畑を眺めている。元々農家の彼には、興味深いものなのかもしれない。
「どの野菜も、元気に育ってるね。土はよく手入れされてるし、枯れた葉もない。すごく丁寧に作ってるのがわかるよ。君たちも、農作の手伝いをしているのかな」
「ええ、父様と母様と一緒に、雑草を抜いたり野菜を運んだりしています」
「偉いね」
小さいながらも、立派に家の仕事に関わるこの子たちは、とても偉い。私を含め、この年ごろの子が働くことは、私の時代ではあまりないことだ。
一人の女の子が、その小さな手で野菜の入ったかごをこちらに向ける。
「お侍さま。もしよかったら、うちの芋を貰ってください」
かごの中に並ぶ、温かみのある紫色。美味しそう。一目でそう思った。
「ありがとう、でも貰えないよ」
「気持ちはすごく嬉しい。また、機会があればね」
残念そうに眉を下げる女の子に目線を合わせて、平九郎くんは優しく言った。
断るのは、仕方のないことである。ここで貰ってしまえば、武士が野菜を取り立てている図にしかならない。
再度礼を言って子供たちに手を振れば、背後から砂利を踏む足音が響いた。
振り返る前に、その足音は女の子と私たちの間に割り込んだ。
「うちの子がとんだ失礼をしました、どうか堪忍を……」
額を地面に擦り付けて、体を震わせる女性。こののどかな景色にはそぐわない、異様な光景。子供たちは、ただ目を見開いてその姿を見つめている。
さすがにまずい、そう思って、私は女性に顔を上げるように促した。
この人は、女の子の母親なのだろう。顔を真っ青にした母親と子供たちは、逃げるように静かにこの場を離れていった。
誰も口を開かず、重苦しい空気だけが流れる。ちらりと子供たちを振り返れば、女性に何かを強く言い聞かされているようだった
あの子たちは、先ほどのように私たちと楽しく喋ることは、今後なくなる。そう思った。
「……行こうか」
渋沢さんの一声で、止まっていた時間が動き出す。子供たちから目を逸らして、歩き出す二人に続いた。
この世に生まれた人は、皆真っ白である。その子たちを色付けてゆくのは、親か、それとも。
「栄一兄さん、さん、あまり気にしすぎちゃだめだよ。これは、仕方ないことだ」
染物屋の奥様のように、身分に関係なく接してくれる人もいるが、むしろそちらが異質なのだ。
この世界では、それが当たり前である。
そう考えていたところで、ぴたりと足が止まる。
「どうしたの」
するすると、紐が解けてゆくような感覚。
そうか、と頭の中でつぶやいた。
「渋沢さんが、武士だから」
だから、みんな彼に協力できないのだ。
武士と町人は相いれない。この世界でのその常識を痛感したばかりだというのに、なぜ気づかなかったのだろう。
武士という肩書きがあるだけで、町人には近寄り難い存在となる。
「そうか、そうだよ、僕は一橋家の代表として、武士らしくしようって思ってた。平岡さんみたいに、しっかりした頼もしい人間に……武士の模範にならなきゃいけないって、そう思ってた」
私の感じていた違和感は、これだったのだと思う。
普段武士には見えない渋沢さんが、皆の前に立っていた時は「武士」となっていた。
「でも、違うんだ。皆が求めてるのは、立派な武士じゃない」
町人からすれば、武士がまた無理難題を通そうとしているようにしか見えないのだろう。
「僕も同じだ。偉そうにしている人が大嫌いで、お偉いさん言うことなんか聞くもんかって思ってた。ううん、今でも思ってる。
同じ、なんだよ」
たとえどれだけ真摯にこちらから歩み寄っても、向こうの意識がそれでは、距離が縮まることはない。
「なら、どうすればいいんだろう。この身分差を埋めることなんてできない。かといってずっとこのままでいるわけにもいかないし、どうにかならないのかな」
呟く渋沢さんに、平九郎くんは正面に立った。
「だったらさ」
ぽんと、平九郎くんが刀を投げる。本物ではない。竹光である。
片手でそれを受け止め、渋沢さんは首をかしげる。
私も同じように平九郎くんを見つめれば、彼はどこかいたずらを思いついた子供のような笑みを浮かべている。
「いい考えがあるよ」
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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