江戸編一②_尋ねてほしいですか
「こちらへ」
突然、腕を引かれる。
見れば、背の高い男の背中があった。
そのまま、家の間の細い道へ、体を引っ張られていく。わけもわからないまま、最悪のことが頭をよぎる。
このまま連れて行かれて、そして、その腰の刀で刺されて。
死にたくない。漠然と、そう思った。
「や、やめて、ください」
全身の力を振り絞って、抵抗する。
と、男の手が離れた。あっけなく解放された腕が、行き場を失う。
「失礼しました。困られているように見えたので」
男が、足を止める。つられて、私の足も止まる 。
痛くないですか、と、男は私をのぞき込む。優しく細められた目、柔らかい色の瞳。
堰を切ったように、全身が震えだす。
「渋沢さんが、斬られ、私のせいで、どうしたら。もし、死んで、しまっ……」
「落ち着いて」
強く、それでいて包み込むような声に、震えが止まる。
「遠目で見ていましたが、それでもわかります。あの方は、強い。
大丈夫です。そう簡単に、斬られたりしませんよ」
素性の知れない男の言うことなど、真に受けてはならないはずだ。それなのに、その声にはどこか人を納得させる響きがある。
大丈夫。渋沢さんは斬られない。
止まっていた呼吸が、思い出したように再開し出した。
「あの、あなたは」
口を開きかけて、固まる。
突然だった。
私の体は壁に押し付けられており、覆いかぶさるようにある男の体温が伝わってくる。
これは、一体。
耳に届く荒々しい足音で、我に返る。
あの浪人の仲間だろうか。そうでなくても、出会わない方がいい人間には違いない。
「もう少し、我慢してくださいね」
庇うように私を隠し、男は小さく囁く。着物から滲む微かなタバコのにおいが、鼻をかすめた。
男を見上げる。少し色素の薄い髪と瞳に、白い肌。簡素だが、どこか気品がある着物。私をすっぽり覆い隠してしまうほど、その背は高い。
やがて、足音は遠くなり、静寂が辺りを包む。そして、私に覆い被さっていた男が離れた。
「すみません、乱暴なことをして」
大丈夫ですか、と労りの声をかけられ、助けられたのだと、ようやく頭が理解する。
この人は、味方だ。
「大変な目に遭いましたね」
「……助けてくださって、ありがとうございます」
「いいえ」
ほっと息をつく。
と同時に、鋭い風がびゅうっと音を立てる。
「あ……」
舞い上がる、髪を隠していた布。
まずい。
思わずうずくまる。さらけ出された髪の毛は、手では隠すことができず、無様に風に揺れている。
また、へまをしてしまった。今度こそ無事ではいられないかもしれない。
何故私はこうも、失敗をしてはいけないところで。
縮め込めていた体に、ふわりと何かがかけられる。
視界を覆う白色。見れば、風にさらわれた布が、私を包んでいる。
「あの……」
「風が強いですから、飛ばされてしまわないよう、気を付けてくださいね」
極めて優しく、男が言う。
なぜ。どうして。
「……聞かないんですか、私のことこんな髪の毛だし、それに……」
「あなたは、私に尋ねてほしいですか?」
男の優し気な目が、じっとこちらを映している。私をどうこうしようというつもりは、本当にないらしい。
「困った時はお互い様ですよ。私も狙われる立場の人間なので、あの手の浪人には、よく怖い目に遭わされているんです」
こんなに人の好さそうな人でも、攻撃の対象になる。ならば、私など四面楚歌ではないか。
平岡さんが気をつけろと言った意味を、今になって正しく理解した気がした。
ふと、自分の名を呼ぶ声を聞く。良く知った声である。
「お連れさんですね。あなたを探しているようです」
無事だったのだとわかり、どっと体から力が抜ける。壁にもたれ、大きく息をついた。
「さあ、彼も心配しているでしょうし、早く元気な姿を見せてあげてください」
「あの」
「大丈夫ですよ。あの怖い方たちは、もうどこかへ行きました」
お気をつけて、と背を向けて去ろうとする男を、慌てて止める。
「助けていただき、ありがとうございました。あなたのおかげで、無事でいられました。何か、お礼をさせてください」
このまま別れるのも忍びないと感じるが、男は頑なに首を縦に振らない。
「せめて、お名前を……」
「名乗るほどの者じゃありませんから……きっと、またどこかで会えます。またお会い出来たその時は、たくさんお話しましょうね」
男は、颯爽と去ってゆく。腰に差された二本の刀が揺れるのを、ただ見つめた。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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