京都編五⑥_人の命は軽い
旅支度はほぼ整った。いよいよ、明日から関東へ出張である。
風呂敷に包むのは、少しの荷物と、期待と不安。心がざわついて、落ち着かない。
荷物はまとめ終わったが、まだやっておくべきことがある。
立ち上がり、あの人がいるであろう部屋へ向かった。
「今、よろしいでしょうか」
声をかければ、障子の奥から返事が来る。そっと、障子を引いた。
「何かあったのか」
「関東へ行く前に、少しお話をさせていただきたくて」
促されるまま、隣に腰を下ろす。平岡さんは何か作業をしていたらしいが、手を止めてこちらに体を向けてくれた。
「まずは、御礼をさせてください。関東に行く許可をくださって、ありがとうございます」
私を連れて行くよう最初に提案したのは、平岡さんらしい。正式な雇いでない私が、関東への派遣についていけるのは、平岡さんの口添えのおかげである。
「礼などいらん。お前がついていくほうが、渋沢にとって良いと判断しただけのことだ。
渋沢はまだ若く、思慮も浅い。故に、無茶に走るところがある。お前が歯止め役になって、暴走せぬよう見張っておいてくれ」
平岡さんの言うことは、分かる。渋沢さんの人となりは、関わるようになって大方理解しているつもりだ。
渋沢さんには、少々頑固なところがある。こうと決めれば、どんどんと突き進む。
私に彼のストッパーが務まるとは思えないが、平岡さんの言葉は胸にとどめておこうと思う。
「平岡さん、以前私に仰ってくれましたよね。これから自分が何をするのか、何をしたいのか、考えるべきだと。私は、ずっとわからなくて、行き詰っていました」
「まあ、一朝一夕には見つからんだろうな」
「でも、少しずつですけど、変わりそうな気がしているんです。今回の旅も、何かいいきっかけになりそうな、そんな気がします」
「そうか」
鋭いその目が、細められる。最初は怖かったそれが、今は非常に心地いい。
何をすべきか、何をしたいか。きっと、あと少しで見つかるだろう
「お前は、渋沢とまではいかないだろうが、少々頭が固い。視点を変えてみたらどうだ。
お前は、何があれば安心して生きられるのか。それが分かれば、それを手に入れるためにするべきことが、自ずと分かるのではないか」
考える。私は、何をもって安心を得ているのか。
私の今の不安の原因は、自分の存在があまりにも曖昧だからである。そうであれば。
「私は、居場所が欲しいです」
または、役割とでも言うのか。今の自分があいまいなためか、私を形づけるもの、私はこうだと言えるものが欲しい。
「なるほど、居場所か」
少し考えるそぶりを見せて、平岡さんは黙る。そして、じっとこちらを見て、おもむろに口を開いた。
「渋沢に、妻として迎えてもらうのはどうだ。お前の望む、居場所ができるぞ」
私はただ、ぽかんとその目を見つめるだけで、何も答えられない。頭の中で、その言葉を一向にかみ砕けない。
「2人での生活も、なかなか板についているように見える。互いに悪くない話だと思うが」
何秒もかけて、平岡さんは渋沢さんと私の結婚を勧めているのだと、ようやく理解した。
途端に、どっと心臓が暴れ出す。
私の心境など知らず、平岡さんは淡々と言葉を続ける。
「幸い、渋沢は元々百姓だ。百姓にしてはそれなりに大きい家らしいが、純粋な武士の家のように面倒なことも少ないだろう。結婚は、無理な話ではない」
平岡さんは、真剣に提案しているらしい。元より、冗談を言うような人ではないことは知っているが。
「結婚は、いきなりすぎませんか」
「むしろ、お前たちには遅すぎるくらいだろう。
誰かと家族になるということは、それだけで価値観や生き方が変える力がある。精神面に大きな影響があることは確実だ。精神がいい方向へ変われば、何事も上手くいく。そういうものだ」
「何事も……」
「そう。人は、結局は「気持ち」だ。何かを成そうという意思さえあれば、意外とどうにでもなる。逆に言えば、それがなければ才能も努力も無意味ということだがな」
平岡さんの言葉には、説得力がある。私より人生を長く生きているからだろうか。
流されていきそうな気持ちを堪えて、首を横に振った。
「……でも、結婚はそう簡単に決められるものではありません。結婚は、お互いが好きにならないと」
「それは、もはや気にしなくても良いところだと思うが」
どういうことかと聞き返そうとした私の言葉を遮って、平岡さんは私の目をじっと見据える。
「渋沢のことは、少なくとも嫌いではないだろう」
答えられずに黙ると、平岡さんは小さく笑った。
「まあ、結婚しないにしても、渋沢のことを支えてやってくれ」
曖昧に頷けば、突然、平岡さんの手が伸び、私の頭をわしわしと撫でる。ただ呆然となされるがままでいれば、平岡さんの眉間に皺が寄った。
「なんだ、その顔は」
「いえ、平岡さんがこういうことをするのが、ちょっと意外で」
その手は大きく、ごつごつとしていて。
「今、変なことを考えたな」
慌てて、首を横に振る。
『お父さんみたい』。平岡さんには私の考えていることが筒抜けらしい。
「俺は、お前の父親ではないぞ」
「平岡さんが、お父さんだったらよかったのにとは、思います」
私の記憶の中では、父親に頭を撫でられたことはない。あの大きな手を掴んだこともない気がする。
実の父親よりも、平岡さんのほうがよっぽど父親だ。
「……ならば、選択肢の一つとして。俺の養子になる道も用意しておこう」
これも、冗談ではないのだろうか。胸に込み上げてくる、隠しきれない嬉しさ。
そんな未来であれば、進んでみたいと思ってしまう。
「あくまで、選択肢の一つだからな。いずれにせよ、後悔のない道を選びなさい」
頷いて、心に刻む。私は、進むべきところを、自分自身で決めなければならない。
「関東に行って、気持ちが固まればいいんですけど」
「随分、楽しみにしているんだな」
浮かれているのもばれてしまったらしい。
正直に言うと、期待しているのだ。
私の知る東京とは、まるで違う世界。未知の世界に気持ちを昂らせるなど、いつぶりだろうか。
「せっかくの機会だから、楽しむのはいいが……くれぐれも気をつけなさい。
周りには、敵も多い。道中で、また浪人に狙われる可能性もある」
その言葉に、あの日向けられた刀の鋭さが脳裏に蘇る。ぞくりと、背中に冷たい汗がつたった。
「この世界では……命が軽いですね」
本来、命の危険に脅かされる機会など、そうそうないはずだ。少なくとも、私の生きてきた世界では。
「ああ、人はすぐ死ぬものだ」
一度強く思い知らされたことではあるが、そう言葉にされると辛い。
「お前の言う通り、人の命は軽い」
それはまるで、羽のように。
「だが、軽くあるべきではない。軽くあってはならない。
それを変えるために、私たちは働いている。皆が暮らしやすい世に改善していくことが、私たちの務めだ」
眩しい。そう思った。
今の日本があるのも、私が今存在しているのも。平岡さんたちの尽力があってのものなのだ。
「……ありがとうございます」
「うん?」
首を横に振る。
「私もお役に立てるよう、これから頑張っていきます」
「ああ、期待している」
不意に、平岡さんの瞳が、じっとこちらを見つめる。
問うように視線を返せば、再度、その大きな手が私の頭を撫でた。
「お前は何でもできる。物事の吸収が早く、そして何より努力家だ。努力は誰にでもできるものではない。それも立派な才能だ。
お前はここでなくても、どこでも上手くやっていけるだろう。お前の未来は、いいものになる」
何故か熱くなった目頭を隠すように、下を向く。
いよいよ、明日から京都にお別れである。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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