京都編五④_うちの仕事は汚らしいんやから
染物屋には、前に訪れた時と同じ、色鮮やかな藍色の布と、笑顔の奥様がいた。
奥様は私たちを迎え入れ、元気そうでよかったと口にした。
「あら、えーちゃんにお嬢はん。いらっしゃい。今日は誰かに追われてへんの?」
「いつも追われてるわけじゃないですよ」
前に出会った時と同じ笑顔に、心が緩む。
「ご主人もこんにちは」
渋沢さんが店の中に声をかけると、うす、と奥から声がする。店の奥にいるのは、奥様の旦那様らしい。
先日は不在だったのか、初対面である。初めまして、と声をかければ、少しぶっきらぼうに挨拶が返ってきた。
先日のお礼にと渋沢さんが手土産を渡せば、奥様は嬉しそうに受け取った。
「本当に、ありがとうございました。着物も大事に使わせていただいています」
「かまへんの。また来てくれてありがとう」
素敵だな、と思う。私も気品があって気遣いのできる人間になりたい。そう思った。
他愛無い立ち話をしていると、大きな籠を背負った商人のお兄さんが、私たちの隣を通り過ぎ店の中に入った。そして、店の奥の旦那様と何やら話し始める。
聞き耳を立てているわけではないが、会話は自然と耳に入ってくる。内容を聞くと、お兄さんは何かを売りに来ているようだった。
「…………」
なぜか、渋沢さんはそのお兄さんをじっと見ている。
「えーちゃん?」
奥様も声をかけるが、渋沢さんの視線は動かない。
「ちょっとごめんね」
小さく言って、渋沢さんは二人の元へと足を進めた。よくわからないが、続けて奥様と私もそちらに寄る。
「その藍玉、あまり質が良くないように見える。あと三割くらい安くて妥当だと思うよ」
商売人のお兄さんは、訝しげに振り返ったが、渋沢さんの刀を見てぎょっとしたように固まった。
急に何を、と思ったが、私の隣で奥様はあらあらと楽しそうな声を出す。
「高いと、そう言われましても、これはそういったものでして」
しどろもどろにお兄さんは答えるが、その言葉にはどこか、お前には関係ないといったニュアンスが含まれている。
しかし、渋沢さんは首を横に振って、まっすぐお兄さんを見据える。
「駄目だよ、騙そうとしても。僕が何もわかっていないと思ったら大間違いだよ。
見ればわかるよ、その藍玉は発色がよくないと思う。乾燥が不十分な若い葉を使ったんじゃない?」
お兄さんは、すみませんすみませんと繰り返し頭を下げている。この世界は、商人が武士に逆らうことは決して許されていない場所だ。
「僕、藍玉とその相場についてはよく知ってる。だから、お互いに納得できる、きちんとした取引をしよう」
お兄さんは頭を下げながら、旦那様と売買を進めてゆく。処理が終われば、お兄さんは逃げるように店を出ていった。
「えーちゃんのおかげで、ぼったくりされんで済んだわ。ありがとうね」
「いえ、ちょうど居合わせてよかった」
聞けば、あの商売人のお兄さんは、定期的に高いお金で商品を売りに来ているらしい。立場上無下にはできずに困っていたと奥様は笑った。
「お兄さんが売りに来ていた、あの黒い玉は何ですか?」
「あれは、藍玉だよ。着物とかの染料だね。きみのその着物も、藍玉を使って染めたものだよ」
へえ、と着物を見下ろす。綺麗な空色。機械で染めたものではなく、手染めである。
「僕の家は藍を育てたり藍玉を作って売ったり、そういったことをしていたから、ちょっと詳しくて。黙っていられなかったんだよ」
以前、渋沢さんは農家だと聞いたことがあったことを思い出し、納得した。
「こんなにいい目をもってるんやから、武士にしておくにはちょっともったいないとも思ってしまうなあ」
冗談めかした奥様の言葉に、渋沢さんは笑う。人には適材適所があるが、渋沢さんは武士としても、農家としても、商人としても適材らしい。
「おっかさん、お菓子!」
不意に、背後で子供の声があがり、振り返る。
見れば、小さな男の子が、奥様の持つ松風を指さして、物欲しそうに見上げていた。
よくある光景である。現代でもこの世界でも、子供は何一つ変わらない。
奥様はにこやかに小さく手を振るが、母親と思われる女性は、男の子の腕を引き離れる。
「やめなさい」
そして、女性のあまりにも冷たい声が耳に入る。
「あの店には近づいちゃだめよ。穢らわしい」
離れてゆく背中をただ呆然と眺める。言葉が、耳に嫌に残った。
一体、今のは。
「……奥様」
「構いまへん、しゃあないんです」
奥様は、小さく笑って首を振る。その表情と声に交じっているのは、悲しみか、諦めか。
「うちの仕事は、汚らしいんやから」
理解ができない。藍色に染まった布を見上げる。
何がいけないのか。こんなに綺麗な染め物を作ることが、何故。
渋沢さんは何かを言いかけたようだが、俯いて黙る。奥様は、困惑する私に、そっと優しく笑いかけた。
「藍染には、人の骨を使ってんのよ」
「……骨」
固まる私に、渋沢さんは努めて優しく言う。
「……綺麗な色に染めあがるのは、骨を使っているからなんだよ」
着物を掴む手に、汗がにじむ。この綺麗な藍色には、人骨が使われている。
「墓場に行って、骨を買って、それを使って物を売る。穢らわしいって思う人も、まあそれなりにいはるみたいでなあ」
「穢らわしいことなんてないです。僕は、この仕事は誇らしいものだと思っています」
少し驚きはしたが、渋沢さんに同意である。それが穢らわしいという理由にはならないと思う。
「穢れなんて、迷信だと思います。私もそんなふうには思いません。奥様は、見ず知らずの私に優しく接してくださいました。私は、奥様が優しくて清らかな方だと知っています」
上手く言えないが、少しずつ言葉にする。仕事や家の一つでその人の見方を変えたくはない。
いや、変えてほしくない。そう思っている。
私自身を見て。
「おおきに。えーちゃんもあんたも、本当に優しい子やね」
は、とどこかへ行っていた意識が戻る。
私は今、何を考えていたのか。
黙っていた旦那様が、奥様を引き寄せ、抱きしめる。
「辛い思いをさせてごめんな」
何かが切れたように、奥様の目から涙が零れ落ちた。きっと、背負いきれない感情があるのだろう。
私にできることなど何もないが、ただずっとこの人たちの味方でいようと思った。
少しでもその重荷が少なくなるよう、私は祈っている。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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