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京都編五①_弓を引こうと思うてね


「この草履を履いてみて」


 縁側に腰かけて、新しい草履に足を通す。それはぴったりで、よく馴染んでいる。


「歩きやすそうかな」


 頷いて、軽く歩いてみる。足への負担は少なく感じた。


 関東への出張のために、長距離を歩くのだから履物にも気を付けなければならないということで、草履を新調することになったのだ。

 今持っているものも悪くはないのだが、急いで調達したものだったため、きちんと合ったものを買うべきだとアドバイスを受け、今に至る。


 日が近づくにつれ、ここを離れるのだという実感が段々と湧いてくる。

 期待と不安。二つの感情をこめて、草履で地面を踏む。


「準備は、順調なのかな」


 声のほうを向けば、一人の男がいた。長い髪に、凛とした声色。いつか庭掃除をしていた時に出会った、気品のある男性である。

 渋沢さんは途端に、背筋を伸ばして頭を下げた。


「先日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」

「うむ、私にとっても有意義な時間であった。お主には、期待している。これからも、よろしく頼む」

「有りがたきお言葉……!」


 どのような相手でも堂々としている渋沢さんが、今この男性を前に委縮している。もしかすると、目の前の人はとても偉い人なのかもしれない。


「そなたも。毎日、この屋敷のために手を尽くしてくれて感謝する」


 男は私にもねぎらいのことばをかけてくれるが、何と答えてよいか分からず、ただお礼を言って頭を下げる。やはりこの人は、周りを緊張させる空気を持っている。


 下げた頭からこっそり、男を伺う。相変わらず端正な顔だが、それ以上に、その手に持たれた弓に目が向く。


「久々に、弓を引こうと思うてね」


 私の視線に応えるように、男は笑う。弓道が趣味なのだろうか。


「渋沢。私と、一緒に来てはくれぬか」

「恐れ多くも、私では勤まりかねます。正式な護衛の者を呼んでまいります」

「狩場はすぐそこなのだから、大層な護衛はつけなくてよい。あやつらは、堅苦しくてかなわぬ。

 お主であれば、息苦しくない。そして、信頼できる。引き受けてはくれぬか」


 渋沢さんは少し思案したのち、覚悟を決めたように頭を下げた。


「喜んで、お供させていただきます」


 その表情には、緊張以上に、隠しきれていない嬉しさが見えた。


「そなたも、どうだね。その履物の、足慣らしも兼ねて。無論、無理強いはせぬが」


 不意に自分に話を振られ、言葉に詰まる。

 何故私を、という疑問はさておき。


「動物を、射るんですか」


 この人は、狩場に行くと言った。手に持った弓の的となるのは、生き物であると想像がついた。


 数秒の沈黙。恐る恐る返事を待っていると、軽い笑みを返された。


「そなたは、優しいのだね。そうであれば、そなたの前では殺めないことを約束しよう」


 男は、言うなり馬の準備をし始める。同行するは返事をしていないが、確定してしまっているらしい。


「一緒に乗るかい」


 一瞬、何のことか分からなかったが、馬に乗ろうということらしい。私は乗馬ができないのだから、誰かに乗せてもらうことになる。

 忍びないが、それならばと男のほうへと足を踏み出すが、渋沢さんの焦ったような声に足を止めた。


「恐れ入りますが、それは周りの者に見られたときに説明が出来かねます。ここはどうか渋沢にお任せください」

「そうかな。それではよろしく頼む」


 身分の高い人との二人乗りは避けるべきなのだろうと理解する。一つ頭を下げて、渋沢さんの元に寄る。

 馬は近くで見ると想像以上に大きく、少し怖い。よろしくねと伝えれば、馬は返事をするように瞬きをした。


 渋沢さんは、慣れたように軽やかに馬に跨り、私に手を差し出す。


「おいで」


 手を掴めば、強い力で引っ張られる。ふらつきながらも、なんとか馬に乗ることができた。


「……すごい」


 馬の背は、とても高い。見える景色が、全く違う。気のせいだろうが空が近い。


「なるべくゆっくり走るけど、揺れるから気を付けて。しっかり掴まってて」


 一瞬ためらったのち、おずおずと腰に手を回す。当たり前のことだが距離が近い。

 着物越しに伝わる体温。ふわりと香るお日様のにおい。考えないようにしていたことが溢れだし、心臓が鳴り出す。


「いくよ」


 馬が動き出す。途端にバランスを崩しそうになり、渋沢さんの背中にしがみつく。

 掴まっている背中は、意外とたくましい。意識しないようにと思えば思うほど、胸がかき乱される。

 今私は、誰にも見せられない顔をしているだろう。これは、初めての乗馬に緊張しているからだと、必死に言い聞かせる。


「この速さなら、大丈夫そうかな」

「……大丈夫です」

「よかった」


 内心は平気ではないが、そんなことは言えるはずもない。


「渋沢さんも、馬に乗れるんですね」

「武士の嗜みだからね」


 早く着いてくれと願いながら、他愛無い会話に集中した。


挿絵(By みてみん)

本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。

ゲームプレイ(無料)はプロフィール等からご確認ください。

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