京都編四②_意味のない事なんて無い
「平岡さん」
弾んだ声と共に、障子が開けられる。振り向けば、髪を乱した渋沢さんがいた。
「どうだった、慶喜様は」
「それは……」
良くなかったのかと、若干不安がよぎったが、そうでもないらしい。
「成功でも失敗でもなかったように思います」
「慶喜様は、意見に対する肯定も否定もしなかっただろう」
「なんでわかるんですか?」
「慶喜様は慎重なのだ。ご自身の発言には常に気を配っておられる。どのようなものに対しても、本心は表に出されない。
たとえ、それに同意だとしても」
「平岡さん、それって」
ふ、と平岡さんが笑みをこぼす。
「慶喜様は、お前の意見書をご覧になった時から、お前の言葉には同意されていたのだ。
慶喜様からからの言付けだ。関東まで、一橋家の兵を集めに行けとのご命令だ」
「…………」
「お前に、徴兵の命を与えてくださったのだ。心してかかるように」
「ありがとうございます!」
「期待に応えられるよう、精進しなさい」
小さく笑みを残し、平岡さんは部屋を出ていく。残された私たちは、顔を見合わせ小さくガッツポーズした。
「慶喜様には、どんなご意見をしたんですか?」
「簡単に言えば、兵力を集めませんかってことだね。
幕府は衰退してるから、幕府から距離を取ったほうがいい。一橋家が幕府と共倒れになるのは、困るでしょう。けど、幕府に対抗する力がないと、それもできない。幕府から恨みを受けて、この家を潰そうと言いかねないからね。
今、一橋家に必要なのは、兵力だよ。
天下を乱す人は、次の天下を治めることのできる人……そういう人を集めて、味方にするんだ」
なるほどと頷く。あくまでも渋沢さんは、幕府に対抗するために力をつけたいと考えているらしい。
やはり、争いは避けられないのだろうか。
平和な世界で育ってきた私にとっては、戦争はとことんまで避けるべきものだと思う。
しかし、この世界では、その価値観は通用しない。
腰の刀から目を逸らし、食べかけの牡丹餅を手に取る。
「渋沢さんも、どうぞ。私ひとりじゃ食べきれないので」
「そのお菓子はまさか、いずみ屋さんの……」
「平岡さんから、いただきました」
「僕にはくれないのに……」
並んで腰かけ、牡丹餅を頂く。既に2個目だが、何個食べても美味しいものは美味しい。
「すごく落ち着くよ。さっきまで、すごく緊張してたから。慶喜様、ものすごく高貴なお方なんだよ」
脱力した様子で牡丹餅をつまむ姿に、頬が緩む。刀さえなければ、これほどに穏やかな人なのだが。
さらにもう一つ、牡丹餅を手に取る。渋沢さんも、既に3つ目を頬張っているところである。
「すごく美味しいよね、いずみ屋さんのお菓子。前に松風を食べたんだけど、それも美味しかったよ」
牡丹餅でお腹いっぱいだというのに、食べたい欲が沸く。甘いものは、罪深い。
「今度、一緒に買いに行こうよ」
ぴたりと、手が止まる。
『外出したいとは、思わないのか』。『何もしない時間を費やしすぎると、後悔することになるぞ』。
平岡さんの声が、頭に反響する。
「何か、あった?」
渋沢さんの声に顔を上げる。恐らく私は、情けない顔をしているのだろう。
言葉を見つけられず、黙る。渋沢さんは、急かすこともなく、ただ静かに待ってくれている。
たっぷり時間を使って、頭の中のごちゃついたものを、言葉に変換した。
「私、このままじゃいけないと思うんです。
平岡さんに言われて、気が付いたんです。私は、時間を無駄にしている。
私、ここに来てから、何もしてこなかった」
いや、ここに来る前から。
元の世界でも、何かと理由を付けて、何もしてこなかったのではないか。
「平岡さんも、難しいことを言うなあ。でも、平岡さんの言うこともわかるよ。進むべきところを明確にして、やるべきことを見つけることは、確かに大事だよね。
きみは、これからどうしたいのかな」
考える。私は、何を望んでいるのか。
茶を喉に流し込み、気持ちを固める。
「私は、帰りたいです。自分の家に」
元の世界に帰る。それが、私の望むことだ。
口に出せば、それはしっかりと形になって、自分の胸の中に落ちる。
「うん、そうだよね。僕も、それがいいと思う。ご家族も心配してるだろうし」
ぴくりと、身体が僅かに震える。心配など、誰がするのか。
ぎりぎりと痛む脳内。思い出せない家族の記憶。
頭を木槌で鈍く打ち付けているような。そんな不快感を見ないようにして、ふっと息をつく。
「一緒に、いずみ屋さんに行きたいです。連れて行ってください」
少しでもきっかけが掴めるのなら。
「うん、もちろん。行こう」
渋沢さんは、曇りなく楽しそうに笑う。
私は、この笑顔に救われている。
「これからは元の世界に帰るために、行動を起こそう」
「……それで、いいんでしょうか」
改めて言われると、委縮する。私は居候の身分なのに、自分のために行動するなど、傲慢ではないか。
「それじゃあ、きみのために動く人は誰?」
問われて、言葉に詰まる。
「きみは、自分のために動くことが悪いことだと思ってるみたいだけど。自分を満たさない限り、周りにも良い影響はないよ。
みんな、自分が自分のために動く権利を持ってる。それをとがめる人なんていない。きみは、きみ自身のために行動すればいいんだよ」
ぱっと、目の前が明るくなったような気がした。自分の進むべき道が、渋沢さんの言葉によって照らされている。
「ありがとうございます。なんだか、やる気が出てきました」
「そうと決まれば、帰るためにどうすればいいか考えなくちゃいけないわけだけど。きみは、記憶が一部消えてるって言ってたよね。
特に、ここに来る前後の記憶がないことが、やっぱり鍵になってると思うんだよね。それを思い出せば、きっと元の世界に帰るきっかけになるんじゃないかな」
私も、ほぼ同じ考えだ。消えた記憶、それは、何かしらこの状況と関わりがあるのだろう。
「だから、きみの記憶を取り戻すことを考えてみようよ。それが、きみにとっての最短で最優先のことだと思う」
「記憶を……」
鈍い頭の痛み。思い出したら、私はどうなるのか。
じわりと、嫌な汗が背中を伝う。
思い出したい。思い出したくない。相反する気持ちが、胸をかき回している。
「やっぱり、怖い?」
顔に出てしまっていただろうか。曖昧に相槌を返す。
何故だかわからない。しかし、くすぶるような不安は、大きく胸にのしかかっている。
「大丈夫だよ」
たった一つ、渋沢さんのその言葉は、胸の中の重りを軽くする。
「僕は、思うんだ。意味のない事なんて、きっと無い。きみが今ここにいるのも、何か意味があるんだよ」
悪質な嫌がらせに感じてしまうこの状況にも、理由はあるのか。あるとしたら、それは一体、どんなものなのか。想像もつかない。
それを理解する日は、いつだろうか。
「きみが外に出たいって言ってくれたこと、とっても嬉しいよ。これから、いろんなところに行ったり、見たりしてみようね。思い出すきっかけが、どこかにあるかもしれないから。
あまり外に出ないんじゃ、健康にも良くないしね」
平岡さんにも似たようなことを言われたなと思い、笑った。
開けた道は、平坦なものではないかもしれない。それでも、このまま立ち止まっているよりもはるかに良い。
「きみの記憶を取り戻せるように。きみが、元の世界に戻れるように。僕は協力は惜しまない。きみを応援するよ」
渋沢さんや平岡さんの善意を無下にしないためにも、早く、思い出さなければ。
「それじゃあ、僕は仕事に戻るね。関東に行くための段取りとか確認したいから、帰るのは遅くなるかも。きみは先に帰っておいてくれるかな。ご飯は先に食べててよ」
渋沢さんは、ぱたぱたと部屋を出てゆく。その姿はやる気に満ちていて、仕事でいきいきできるのはすごいなと思う。
元の世界での仕事は、自分で選んだが、やりがいを感じることはほとんどない。入社を決めたときは、それなりに頑張ろうと思っていたのだが。仕事のことを考えると憂鬱になる。
頭を振って立ち上がる。今、この世界に私の職場はない。給料も発生しないのだから、考えるだけ損である。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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