↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/57

京都編三②_それが普通だ

 風の強い日である。青い葉が風に揺れ、時折はらはらと落ちてくる。


 風に溶かすように、ため息を零す。未だこの環境に慣れることはない。

 いつ帰れるのか。そもそも帰れるのか。気を抜けばそんなことばかり考える頭を叱咤し、自分の身長ほどある竹ぼうきをせっせと動かす。

 朝の素振りで少し痛む腕は、それなりに頭を空っぽにしてくれる。集まった落ち葉が、かさかさと音を立てた。


 今日の仕事として、玄関まわりの掃除を頼まれたが、この家の敷地はそれなりに広い。履いても履いても落ち葉がなくなることはないが、どんどん落ち葉が集まる様子は楽しいとも思う。

 竹ぼうきで掃除するのは、何年ぶりだろう。小学生のころは、よくグラウンドの掃除に使っていたのだが。


「そなたは、新しく参った女中だね」


 振り返る。と、若い男が薄い笑みを浮かべて立っている。

 白の羽織に袴、紫の着物。その凛とした空気に、自然と背筋が伸びる。この人も、ここで働く人なのだろうか。


「はい、そうです。不慣れなことも多いですが、よろしくお願いします」

「うむ」


 男の去る足音を見送る。その音が遠くなってから、ふっと息をついた。


 箒を動かし、掃除を再開する。落ち葉の乾いた音が、耳に心地良い。

 無意識に、鼻歌が零れる。自らを異邦人と呼び、かつて親しかった人を振り返る。そんな歌だった気がする。


 落ち葉をおおかた集め終わったところで、視線を感じて振り返る。先ほどの男が、縁側に座ってじっとこちらを見ていた。

 もしかすると、掃除の間、ずっと見ていたのだろうか。


「何か……」

「いや」


 男は立ち上がり、こちらに寄る。ふわりと、澄んだ香のにおいがした。

 細い目に薄い唇。どこか影を落とす表情。綺麗な人だとは思っていたが、近くで見ると、より一層。


 男の手がこちらに伸び、身が固まる。

 私の髪をかすめ、離れる手。見れば、その手には落ち葉が掴まれていた。


「これからも、よろしく頼む。苦労をかけることもあるだろうが、無理のないよう」


 すらりとしたその姿が、屋敷の奥へと消えていく。あの口ぶりからすると、彼は偉い人なのかもしれない。

 粗相はなかっただろうか。今更、不安になる。しかし、失礼を働いていたとしても、終わったことは仕方がない。


 箒で落ち葉の山をつつく。ぴーぴーと、空を飛ぶ鳥が笑い声をあげた。


「娘さん、新入りかい?」


 不意にかけられた声に振り向けば、恰幅のいいお兄さんが、こちらへ手を差し出してきた。その手を見れば、丁寧に巻かれた紙が握られている。


「手紙だよ。宛先のお方によろしくな」


 それを受け取ると、お兄さんは大きく笑みを浮かべて、颯爽と去っていった。彼は配達員さんだったらしい。

 誰宛の手紙だろうと、紙を回し宛名を見る。しかし。


「よ、読めない」


 筆で記された流れるような文字は、私にとっては文字ではない。

 形の雰囲気で、平岡さん宛なのだろうと推測し、彼の部屋へ向かう。文字が読めないというのは、なんとも不便だ。


「平岡さん。お手紙が届いているんですが、平岡さん宛で間違いないでしょうか」


 部屋で何やら作業をしていた平岡さんは、手を止め手紙を受け取る。そして、手紙と私の顔をじっと見比べた。


「文字が読めないのか」


 おもむろに頷く。途端に、申し訳なさと恥ずかしさが肥大化し、胸を圧迫した。


「文字が読めねば不便だろう」

「すみません」


 今の私は、何もできない新入社員だ。いや、それよりも断然に酷い。

 元の世界ならば、それなりの仕事を任せられるようになっていたというのに。


「どの程度読める」


 渡された和綴じの本を、パラパラとめくる。少しざらついたそれは、持つ手に緊張を与えてくる。

 中には、墨で手書きされた文字と、味のある絵が並んでいる。その雰囲気から察すると、内容は専門書の類ではなく、物語らしい。


「正直に言うと、ほとんど読めないです。これなら、まだ漢詩のほうが読みやすいと……」

「漢詩?」

「文字が繋がっていると、どこまでが一文字なのかすら……」

「……なかなか面白い視点だが、そんな事を言ってきたのは、お前が初めてだ。基本的に、文字はそうして繋げて書く。それが普通だ、俺たちにとっては」


 その『普通』は、私には通じない。

 普通という概念は、大多数の人間と、その枠に当てはまらない少数派がいてこそ成り立つのだ。その大多数が『普通』となり、少数は弾かれる。


「お前は、頭は悪くないはずだ。文字を覚えるのは、そう難しくはないだろう」


 そうは言うが、前途多難なような気がしてならない。


「書けるようになるまで、時間がかかりそうです」

「書けなくても、読むことさえ覚えればいい。書く機会はそうないだろう。必要があれば、代筆でも頼めばいい」


 平岡さんの言うことは正しい。

 だが、それでも。


「書けた方が、便利ですよね。私、書けるようになりたいです」

「……ほう」


 ただでさえ出来ないことが多いのに、文字を書くという今まで当然に出来ていたことが覆るのが、精神的にきつい。

 それに、少しでも出来ることを増やし、役に立ちたい。


「ならば、この筆を貸そう」


 目の前に差し出される筆。反射的に受け取ると、平岡さんは私の隣に腰を下ろした。


「本を開きなさい」


 戸惑いつつも、言われるままに従う。すると、平岡さんは文字を指で追いながら、静かな声を響かせた。


「――初め里見氏の安房に興るや、徳誼以て衆を率ゐ、英略以て堅を摧く。二總を平呑して、之れを十世に傳へ、八州を威服して、良めて百將の冠たり」

「…………」

「何を呆けている。書き写しなさい」


 はっと、我に返る。紙を広げ、筆を握り直した。


「手だけではいかん。復唱しながら、耳、手、全身で覚えるんだ」


 頷きながら、持ちなれない筆で字を連ねる。よたよたと力のない字だが、今は文字の上手さなど気にしていられない。


「間違っているぞ」


 平岡さんは、小さく息を吐き出す。

 申し訳なさに襲われていると、平岡さんのごつごつとした大きな手が、こちらに向けられた。


「筆を貸しなさい」


 固まっている私の手から筆を取り、平岡さんは字をするすると描いていく。


「これは、ここから繋げて……」


 線が文字となり、紙面を飾る。私に芸術センスはないが、これにはそういった魅力を感じた。


「分からないところがあれば、すぐに言うように。そのままにすると、後々辛くなるからな」


 頷いて、手本のとおりに筆を動かす。

 部屋を包む墨のにおい。時間を忘れさせてしまう魔力が、その香りにはある気がする。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。