第59話 三時間の餃子
「おかえりなさーい!」
玄関を開けた瞬間、母さんの声が飛んできた。
そして、次の瞬間、悲鳴になった。
「ちょっと、ケイ!? なにその怪我!!」
「あ、ええと、これは」
「セツナちゃん、うちの子、何したの!?」
「お、おばさま、それがその、闘技場で四百人の前で客将条項を行使して」
「なに言ってるかわからないわ!」
その通りだと思う。
◇
夕飯は、宣言通り、餃子だった。
冷凍庫から出てきたのは、寸分の狂いもなく等間隔に並んだ、四十八個の餃子だった。
「……いち、に、さん」
「数えないで」
「四十八個ですね。全部同じ大きさですね」
「数えないでって言ってるでしょう!!」
「三時間かけたって聞きましたけど」
「三時間半よ!!」
「増えてる!」
母さんが、お腹を抱えて笑っていた。
久しぶりに見る光景だった。ここ数日、この家は静かすぎた。
「あらでも、ほんとに助かったわ。ケイったら、行く前に『三日で帰る』って言っただけで、何も説明しないんだもの」
「あ、すみません」
「先生も『氷を取りに行く』しか言わないし」
「あの人は本当にそれだけが目的でした」
窓枠で、ヴィムが鼻を鳴らした。
「失礼な。ちゃんと働いたぞ」
「氷室にいましたよね!?」
「氷室で待機してたんだよ。三日間な」
彼は、プリンの蓋を開けた。
「言っとくがな、坊ちゃん。あの屋敷、常時四百の術者が結界を回してる。その中で、他家の当主が二人、闘技場に降りたんだ。……もし裁定がひっくり返って、四百が一斉に敵に回ったら、どこから逃がすと思う?」
「……えっ」
「地下の氷室だ。あそこだけ、結界の外に繋がってる」
僕は、口を開けたまま固まった。
「三日、そこにいたんですか」
「氷を食いながらな」
「食ってたんじゃないですか!!」
「両方だ」
ヴィムは、スプーンを咥えたまま、にやりと笑った。
「――で、報酬の話だが」
「まだ増えるんですか!?」
「プリン三十、指導料十、それに緊急時の脱出経路確保が別料金で二十」
「六十!?」
「あら、じゃあ明日、まとめて買ってくるわね」
「母さん!! 交渉して!!」
◇
夜、僕は縁側に出た。
うちの縁側には、雪も氷の松もない。あるのは、母さんの育てている枯れかけたバジルの鉢と、蚊取り線香だけだ。
蝉の声がうるさかった。
三日ぶりの、暑い夜だった。
「……隣、いい?」
セツナが、麦茶を二つ持ってきた。
「どうぞ」
彼女は、一畳ぶんあけて――座らなかった。
半畳ぶんのところに、座った。
僕は、それに気づいて、気づかないふりをした。
「傷、どう?」
「痛いです」
「そう」
「でも、動けます」
「無理しないで」
彼女は、麦茶をひとくち飲んだ。
「……ねえ、真昼くん」
「はい」
「わたし、これからどうなるのかしら」
僕は、彼女を見た。
「氷渡家の後継に戻ったわ。後見はザクロで、側仕えはシグレ。お父様も目覚めた。……全部、うまくいったの」
「はい」
「なのにわたし、今、あなたの家の縁側で麦茶を飲んでる」
彼女は、庭のバジルを見た。
「氷渡の後継が、真昼家に居候してるのよ。おかしいでしょう」
「おかしいですね」
「そこは否定するところよ!」
「でも」
僕は、麦茶のグラスを両手で包んだ。
「帰る場所は、二つあってもいいって、ザクロさんが言ってました」
セツナが、動きを止めた。
しばらく黙って、それから、彼女は膝を抱えた。
「……そうね」
小さな声だった。
「そうよね」
蝉が鳴いていた。蚊取り線香の煙が、まっすぐ上に伸びていた。
「――真昼くん」
「はい」
「わたし、氷渡家の後継として、真昼家と同盟を結んだわ。お父様の裁定でね」
「はい」
「だから、これからは、その……立場としては、対等な家の、当主同士なの」
「はい」
「だから、家門とか、そういうのじゃなくて」
彼女は、そこで、言葉を探した。
探して、探して、それから、ひどく小さな声で言った。
「……ファミリー、って呼ぶんだったかしら。あなたのところは」
僕は、麦茶を吹きそうになった。
「ヴィムさんが言ってただけです!」
「あら、そう。……じゃあ、友達でいいわ」
彼女は、立ち上がった。
立ち上がって、二歩歩いて、それから振り返って、こう言った。
「――一号のままで、いさせてね」
襖が閉まった。
僕は、縁側に一人残されて、生ぬるい麦茶を飲み干した。
屋根の上で、ヴィムが小さく笑ったのが、聞こえた気がした。




