第58話 帰り道
僕たちが屋敷を出たのは、その日の昼過ぎだった。
門の前には、人が並んでいた。
白装束の使者たち。分家の当主。昨日、僕を「無知だ」と言った壬生と、降参した霜。そして四百人の、たぶん半分くらい。
全員が、頭を下げていた。
「……あの」
僕は、氷柱に小声で聞いた。
「これ、何ですか」
「見送りにございます」
「四百人で!?」
「二百ほどでございましょう。……四百年、この門を客人が出るのは初めてゆえ」
「客人、来たことないんですか!?」
「客人を招いたことが、ございませんので」
この家は、本当に、いろいろとおかしい。
◇
「――当主様」
門の脇で、シグレが待っていた。
包帯だらけで、腹を押さえて、それでもへらへらと笑っていた。
「腹、まだ痛い」
「すみません」
「だから謝るなって」
彼は、片手を差し出した。
「……また来てよ」
「はい」
「稽古つけて。俺、あんたの『読む』やつ、覚えたい」
「僕、教えられるほど上手くないですけど」
「そこは嘘でも『任せろ』って言うとこだろ!」
僕は、その手を握った。
昨日、闘技場で握った時より、ずっと温かかった。
◇
ザクロは、門の一番外れにいた。
一人で立って、僕たちが通り過ぎるのを、ただ見ていた。
僕は、その前で足を止めた。
「あの」
「……真昼家当主」
「一つ、聞いてもいいですか」
僕は、彼を見上げた。
「なんで昨日、裁定を認めないなんて言ったんですか」
ザクロは、答えなかった。
「あのまま黙ってれば、氷渡さんは後継に戻って、あなたは何も失わずに済んだのに」
「……失うも何も」
彼は、目を伏せた。
「わしは、あの子から、八年ぶんを奪った男だ」
「でも」
「真昼家当主」
彼は、僕の言葉を遮った。
「そなたは昨夜、四百人の前で、勝ちを他人に渡した」
「はい」
「あれを見た後で、盗んだ椅子に座らせておけるほど――」
彼は、そこで言葉を切って、ひとつ、咳払いをした。
「……面の皮が、厚くはない」
僕は、なんと言えばいいかわからなくて、結局、頭を下げた。
顔を上げると、ザクロは、もう向こうを向いていた。
「――氷渡セツナ様」
「なに」
「行っておいでなさいませ」
石の男は、背中を向けたまま、言った。
「……帰る場所は、二つあってよろしい」
セツナは、しばらくその背中を見ていた。
それから、深く、頭を下げた。
「――行ってまいります」
◇
電車は、南へ走った。
窓の景色に、少しずつ色が戻ってきた。杉林が減って、田んぼが増えて、蝉の声が聞こえるようになって、そして――暑くなった。
「……あつい」
セツナが、制服の襟をぱたぱたと扇いだ。
「三日で忘れるものね、夏」
「氷渡さん、氷の術使えるじゃないですか」
「使わないわ。人前で使うものじゃないもの」
「そこは真面目なんですね」
「当然でしょう」
彼女は、窓の外を見た。
白い髪が、夏の光の中で、金色に透けていた。
「――ケイくん」
僕は、思わず座席から浮いた。
「言った!」
「言ってないわ」
「言いましたよね!? 今!」
「勝ったら言ってあげるって、約束したもの」
彼女は、涼しい顔で言った。
「勝ったのは、あなたでしょう」
「……あ」
「だから、一回だけよ」
彼女は、顔を窓のほうに向けた。耳が、真っ赤だった。
「二回目は、次に勝った時ね」
僕は、しばらく何も言えなかった。
言えないまま、なんとなく嬉しくて、頬が緩んで、そしたら鎖骨の下の傷が痛んで、変な声が出た。
「……なにしてるの」
「痛いです」
「当たり前でしょう。……ばか」
彼女は、そう言いながら、僕の隣に移ってきて、傷の上に、そっと手をかざした。
ひやりとした感覚が、痛みを連れていった。
「――ありがとう」
小さな声だった。
「三日ぶん、全部」
「はい」
「……あと、餃子、絶対食べなさいよ。三時間かけたんだから」
「はい」
電車は、家へ向かって走っていた。
車両の一番後ろで、パーカーの男が、両手にいっぱいの氷を抱えて、幸せそうに眠っていた。
この人は、結局、三日間ずっと氷室にいた。




