第57話 当主の裁定
翌朝、四十二の分家が、大広間に集まった。
上座に、氷渡ソウゲツ。八年ぶりに、当主の席に当主が座った。
僕は、末席の、さらに外――廊下に座らされていた。他家の当主を大広間に入れるわけにはいかない、という氷柱の判断で、僕自身もそれには全面的に賛成だった。あの視線の中に座るのは、正直もう勘弁してほしかった。
「――裁定を述べる」
ソウゲツの声は、昨夜より、しっかりしていた。
「氷雪祭の結果を、当主として承認する」
広間が、どよめいた。
「後継は、氷渡セツナ」
「お待ちくださいませ!」
分家の一人が、身を乗り出した。
「セツナ様は当主戦に敗れておられます! 家訓には、罅の入りし器は――」
「その家訓を、書き換える」
どよめきが、止まった。
「――は?」
「四百年、氷は純度が命であると言うてきた」
ソウゲツは、広間を見渡した。
「誰か、確かめた者はおるか」
誰も、答えなかった。
「混じりものは濁る。罅が入れば器にならぬ。……それを、この四百年、一度でも試した者はおるか。おらぬな。試す前に、外してきたゆえ」
彼は、静かに続けた。
「昨夜、わしの娘の氷は、他家の少年の足元を三メートル、寸分の狂いもなく取った。四百人が見ておる。……あれが濁った氷か」
広間が、しん、となった。
「異論のある者は、闘技場へ来い。わしが相手をする」
当主が、初めて、笑った。
「八年寝ておったゆえ、体がなまっておる。ちょうどよい」
――誰も、立たなかった。
◇
「氷渡ザクロ」
「はっ」
「当主代行の任を解く」
広間の空気が、張り詰めた。
ザクロは、深く頭を下げた。
「――ありがたき、幸せに」
「早合点するな。まだ終わっておらん」
ソウゲツは、扇で膝を叩いた。
「本日をもって、氷渡ザクロを、後継・氷渡セツナの後見とする」
ザクロの頭が、跳ね上がった。
「……当主。わたくしは、セツナ様を賭け札に――」
「知っておる」
「なにゆえ、わたくしを」
「八年、この家を潰さなんだ男を、他に知らぬからだ」
ソウゲツは、扇を閉じた。
「それにな、ザクロ。おぬし、あの嘆願書に名を書かなんだであろう」
広間の、あちこちで、息を呑む音がした。
「四十二のうち、二十七が書いた。おぬしは、当主代行として、その二十七を束ねる立場でありながら、自分の名だけ、書かなんだ」
ザクロは、答えなかった。
石の顔が、少しずつ、崩れていくのが、廊下からでも見えた。
「憎まれ役を八年やって、最後まで、たった一行だけ、譲らなんだ男だ」
当主は、目を細めた。
「――そういう男を、わしは後見と呼ぶ」
ザクロの額が、畳についた。
その背中が、震えていた。
四百年、罅を入れずに来た家の、分家筆頭の背中が。
◇
「――それと、シグレ」
「はいっ!?」
広間の隅で、包帯だらけの少年が、飛び上がった。
「おぬし、昨夜、客将条項を持ち出したな」
「……はい」
「四百年、誰も読まなんだ条文だ。なぜ知っておった」
シグレは、口ごもった。
「……えっと、六つの時に、姉さんが、書庫の鍵の場所を教えてくれて」
「ほう」
「その、二人で、初代様の日記を読んだりして……変な条文があるって、笑って……」
彼の声が、だんだん小さくなった。
「……ずっと、覚えてました」
ソウゲツは、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「氷渡シグレ。後継の側仕えを命ずる」
「えっ」
「不服か」
「い、いえ! ですけど、俺、姉さんを不良品って」
「では、生涯かけて詫びよ。逃がさぬ」
シグレの顔が、みるみる赤くなった。
「……っ、はい!」
広間の、あちこちから、笑いが漏れた。
僕は、廊下で、そっと息を吐いた。
――倒した相手が、仲間になっていく。
ヴィムがいつだったか、そんなことを言っていた気がする。魔界十三家の掟は、ずいぶん物騒な形をしているけれど、その芯にあるのは、案外、こういうことなのかもしれない。
◇
裁定が終わり、分家が退がった後。
僕は、大広間に呼ばれた。
「真昼家当主」
ソウゲツが、上座から言った。
「昨夜、そなたは氷渡家の後継の座を、いらぬと申したそうだな」
「……はい。すみません」
「詫びるな」
彼は、笑った。
「あれで、この家は救われた。他家の当主が氷渡の椅子を取っておったら、四十二の分家が割れておった」
「そんなつもりじゃ、なかったんですけど」
「知っておる。だからよい」
ソウゲツは、身を乗り出した。
「――真昼カナメの子か」
僕は、顔を上げた。
「父を、ご存じなんですか」
「若い頃、二度ばかり」
彼は、遠い目をした。
「そなたは、あれには似ておらん。……あれは、もっと、人の話を聞かぬ男であった」
「あ、はい。母もそう言ってます」
「はは。であろうな」
当主は、ひとしきり笑って、それから、真顔になった。
「――真昼ケイ。娘を、頼む」
「え」
「氷渡家後継としてではない。……セツナという、一人の娘を、頼む」
僕は、慌てて畳に手をついた。
「あ、あの、僕、そういうつもりでは」
「わかっておる。友であろう」
「はい」
「――友でよい」
ソウゲツは、目を閉じた。
「あれには、それが、一等足りなんだ」




