第60話 火柱、来る
朝五時の河川敷に、三人がいた。
僕。セツナ。そして、土手の上でプリンを食べているヴィム。
「――右!」
「わたしから見て右ね!」
「はい!」
セツナの氷が、僕の右側だけを塞いだ。
ヴィムの投げた氷礫が、そこに当たって、砕けた。
「――八割五分ってとこだな」
土手の上から、判定が降ってきた。
「上がりましたね!」
「まあな。三日で修羅場踏んだ奴は伸びる」
僕は、膝に手をついて息を整えた。傷はまだ痛むけれど、走れるようにはなった。氷渡の術は、治りが早い。
セツナが、隣に来て、タオルを投げてよこした。
「……ねえ」
「はい」
「わたし、今日、屋敷に戻らなきゃならないの」
僕は、顔を上げた。
「後継として、正式な就任の儀があるのよ。三日ほど」
「あ、そうなんですね」
「……三日で戻るわ」
「はい」
「その、留守の間に、勝手に強くならないでよね」
「無茶言わないでください」
彼女は、ふん、と鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
その耳が赤いのを、僕はもう指摘しないことにしている。学習した。
◇
異変に気づいたのは、その直後だった。
二錠目が、ざわり、と粟立った。
――近い。
二か月前、この河川敷で、南の地平の向こうに感じたあの気配。熱くて、でかくて、隠す気がまるでない、火柱みたいな魔力。
あれが、今、恐ろしく近い。
「……ヴィムさん」
「ああ」
ヴィムは、プリンを置いて、立ち上がった。
珍しく、真面目な顔だった。
「来たな」
「え? もうですか!? まだ当分先って」
「言ったな。……訂正する」
彼は、南の空を見た。
「あれの『まっすぐ』を、俺は舐めてた」
◇
その日、学校の門は、開かなかった。
正確には――開きすぎた。
僕たちが登校した時、校門は、蝶番から吹き飛んで、二十メートル先の花壇に突き刺さっていた。
周りに、生徒が輪になって集まっていた。誰かが「事故だ」「工事だ」と言っている。誰も、真実には辿り着かない。
その輪の中心に、男が一人、立っていた。
背が高い。夏服のシャツの袖を肩までまくって、日に焼けた腕を晒している。髪は赤茶けていて、朝日を浴びて、たてがみみたいに逆立っていた。
制服は、うちの学校のものだった。
サイズが、明らかに合っていなかった。
「――お」
男が、こちらを見た。
目が合った瞬間、僕の二錠目が、警報みたいに鳴り響いた。
彼は、輪の中から、まっすぐこちらへ歩いてきた。生徒たちが、津波を避けるみたいに割れた。
「よぉ!」
彼は、白い歯を見せて笑った。
悪意は、一切なかった。それが逆に、恐ろしかった。
「氷渡の姫さん落としたっつう、最弱の坊主ってのは――」
彼は、僕の顔を、上から下まで眺めた。
それから、心の底から嬉しそうに言った。
「お前か!!」
「……はい」
「うおおお本当に弱そうだな!!」
「よく言われます」
「素直か!!」
隣で、セツナが額を押さえた。
「――獅子堂レン」
彼女が、絞り出すように言った。
「十三家武闘派筆頭、獅子堂家の後継者。……なぜ、当主戦の申し込みもなしに、こんな」
「ん? ああ、申し込み?」
レンと呼ばれた男は、頭をかいた。
「あー、そういうのな。あるって聞いた。書状とか、日取りとか、介添人とか」
彼は、実に朗らかに、こう言った。
「めんどくせえから、直接来た」
「めんどくせえで来ないでください!!」
「うるせえな! 会いたかったんだよ!」
彼は、右腕を突き出した。
その拳の周りの空気が、陽炎みたいに揺らいでいた。夏の朝の空気が、そこだけ、じゅう、と音を立てて焼けていた。
――熱い。
氷渡セツナの魔力が、冷たく研がれた糸なら。
この男の魔力は、そのまま、火柱だ。
「なあ、真昼ケイ」
獅子堂レンは、笑っていた。
子供が、新しい遊び相手を見つけた時の顔だった。
「――俺と、殴り合おうぜ」
その瞬間、校庭の地面が、彼を中心に、円く、焦げた。
◇




