第51話 当たる前提
僕は、前に出た。
避ける動きを、全部やめた。
最初の刃は、右の二の腕を裂いた。
二本目は、脇腹をかすめた。
三本目は、左の太腿に入った。
「――は?」
シグレの笑いが、止まった。
「え、なに、避けないの? 死ぬよ?」
「殺す気なら」
僕は、一歩、踏み出した。
「――もう、二本目で殺してますよね」
シグレの顔が、固まった。
彼の刃は、全部、致命傷を外していた。腕、脇腹、腿。全部、痛くて、動きが鈍って、でも死なないところ。
この子は、十六年、氷渡の術を仕込まれて、それでもまだ、人の殺し方を選ばずにいる。
「――っ、うるさい!!」
四本目。五本目。
どっちも、僕の肩と背中を裂いた。血が、氷の床に散った。
僕は、また一歩、踏み出した。
◇
これは、二か月前に一度、経験している。
氷の城の中で、氷渡セツナの絶対凍土に踏み込んだあの日。僕はひたすら立って、転んで、立って、また転んだ。
あの時、僕は何もできなかった。技もなかった。魔力もろくに使えなかった。
ただ、立ち上がる回数だけが、相手より一回多かった。
――それが、僕の唯一の才能だ。
「なんで立つんだよ!!」
シグレが、叫んだ。
「あんた、うちの家と何の関係もないだろ!? 姉さんの家のことだろ!? なんで血まみれになってんだよ、他人が!!」
「他人じゃないです」
「友達とか言うんだろ!? そんなのっ、」
六本目の刃が、僕の鎖骨の下に入った。
膝が落ちた。氷の床が、頬に冷たかった。
観覧席が、悲鳴を上げた。
「――真昼くん!!」
セツナの声が、遠くで聞こえた。
彼女の氷が、僕とシグレの間に、何枚も、何枚も立ち上がる。もう読まれるとか読まれないとか関係ない、ただがむしゃらな壁の連続だった。
僕は、床に手をついて、また立ち上がった。
膝が笑っている。視界が半分白い。血が、指の間を伝って氷に落ちて、落ちた先から凍っていく。
距離は――四メートル。
あと、一メートル。
「……なんで」
シグレの声が、震えていた。
「なんで、あんたみたいなのが」
彼は、刃を構え直した。構え直しながら、その手が、震えていた。
「あんたみたいな、弱いのが……なんで、姉さんの隣に立ってんだよ」
三メートル。
シグレの射程に、入った。
「――お前が羨ましかったんだ、姉さん!!」
彼は、闘技場中に響く声で、叫んだ。
僕にではなく、セツナに向かって。
「本家に生まれて、術の才能があって、四十二の分家が頭下げて! 俺がどんだけ稽古しても『分家の子にしては』で終わって! なのにお前は、その全部を『重い』って顔してた!!」
セツナの氷が、止まった。
「重いなら寄越せよ!! 俺が代わりに背負ってやるって、ずっと、ずっと思ってたんだよ!!」
彼の目から、涙が落ちた。
落ちた雫が、頬の途中で凍った。
「なのにお前、負けて、椅子から降りて……降りたその椅子に、俺が座るのかよ!? そんなの、」
彼は、刃を振り上げた。
「そんなの、俺が一番、いらないんだよ!!」
僕は、その刃を、避けなかった。
代わりに、言った。
「――じゃあ、羨ましがられる側から、一つ言います」
シグレの手が、止まった。
振り下ろされかけた氷の刃が、僕の額の三センチ手前で、止まった。
「僕、二か月前まで、パシリでした」
闘技場が、静かになった。
降る雪の音だけが、聞こえた。
「魔界十三家の当主で、継承の刻印を持ってて、それで――階段で足引っかけられて、パンを買いに行かされてました」
僕は、シグレの目を見た。
「羨ましがられる側って、たぶん、そういうものです。持ってるものが重いか軽いかは、外から見てもわからない」
「……なんだよ、それ」
「だから、聞いてほしいんです」
僕は、血の混じった息を吸った。
「――氷渡さんに、直接、今のを言ってください。刃じゃなくて」




