第5話 宿題は生き延びること
ヴィム流教育、三日目の朝。僕は宿題を出された。
「今日の宿題だ。学校にいる間に、俺はお前を三回『殺す』。全部避けたら合格」
「学校で!? 授業中はやめてくださいよ!?」
「刺客が時間割に配慮すると思うか?」
「しないだろうけども!」
こうして僕の学校生活は、地獄の間違い探しになった。
◇
一回目は、二時間目の数学だった。
板書を写していた僕のうなじが、ちり、と鳴った。
反射的に頭を下げる。直後、開いた窓から入った風で、教卓の花瓶が――倒れて、僕の席めがけて水を、ではなく、花瓶ごと飛んできた。物理法則を無視するな。
僕は椅子ごと横にずれた。花瓶は僕の机の角に当たって、なぜか無傷で床に転がった(あとで聞いたら「備品は壊さない主義だ」らしい。僕は備品以下なのか)。
「おい真昼、なにやってんだ」
「す、すみません、虫がいて」
クラス中の笑い。ヴィムの気配は、もう消えていた。
二回目は、昼休みの購買だった。
鈴木くんの焼きそばパンを買って戻る廊下で、ちりっ。今度は上だ。見上げると、天井の板がずれて、バケツが(バケツ!?)落ちてきた。半歩下がってかわす。バケツは音もなく、床すれすれで見えない何かに受け止められて消えた。
……あの人、大道具の準備だけは本当に丁寧だ。
三回目が、来なかった。
五時間目が終わり、六時間目が終わり、掃除の時間も、帰りのホームルームも。うなじは沈黙したままだった。
僕は逆に怖くなった。まだ一回残っている。いつ来る? どこから来る?
気づけば僕は、教室の窓の位置を確認していた。廊下側の出口との距離。死角になる柱。背後を取られない席の座り方。
――三日前の僕が見たら、気味悪がるだろうな、と思った。
◇
放課後の昇降口で、僕はようやく息を吐いた。今日はもう帰るだけだ。靴を履き替えて、外に出て。
「……あれ?」
違和感は、匂いだった。
いつもの昇降口の匂いに、一つだけ、知らない匂いが混ざっていた。甘い……カラメルの匂い?
僕は足を止めた。目の前の、何の変哲もない地面。夕日で伸びた僕の影が、そこだけ、ほんの少し滲んで見える。
「…………そこ、ですよね」
影に向かって声をかけると、地面がぐにゃりと歪んで、ヴィムが生えてきた。地面から人が生える光景は、三日目でも普通に怖い。
「ほー」
ヴィムは珍しく、両眉を上げていた。
「気配は完全に消してたぞ。なんでわかった」
「……プリンの匂いがしたので」
「…………」
「食べながら待ち伏せしないでくださいよ」
ヴィムは自分の手元のプリンを見て、僕を見て、もう一度プリンを見た。それから、声を出して笑った。初めて聞く、素の笑い声だった。
「合格だ。今日の宿題は満点」
「や、やった……」
「気配察知ってのはな、坊ちゃん。目でも耳でもねえ。『いつもと違うもの』に気づく力だ。匂いでも、影でも、なんでもいい。――お前、筋がいいぞ。そういうの」
僕は、返事に困った。
筋がいい。生まれて初めて言われた言葉だった。
「……あの。それって、僕が普段から、その、人の顔色ばっかり見てるから、ですか」
自分で言って、自分で嫌になる。空気を読んで、機嫌を窺って、変化に怯えて生きてきた。それが「筋」の正体なら、あんまり嬉しくない。
ヴィムはスプーンを止めて、少しだけ黙った。
「――顔色を見るってのはな、相手をよく見てるってことだ」
「え?」
「よく見てる奴は、変化に気づく。変化に気づく奴は、死なねえし――他人も、死なせねえ」
ヴィムはプリンの最後の一口を食べて、容器を僕に押しつけた。
「お前が弱さだと思ってるもんは、磨けば武器になる。俺が言うんだから間違いねえよ」
「…………はい」
夕日の帰り道、僕は空のプリン容器を持たされたまま(なんで僕が捨てるんだ)、その言葉を何度も反芻した。
磨けば、武器になる。
この時の僕は、まだ知らない。
その言葉が試される日が、もう三日後まで来ていることを。
――翌朝、教室は一つの噂で持ちきりだった。
「知ってる? 明日、転校生が来るんだって。すっごい美人らしいよ」




