第4話 ヴィム流教育・初日
午前五時。
目覚まし時計が鳴る一秒前に、僕は布団ごと窓から投げ出された。
「うわあああああ!?」
二階から落ちる。死ぬ。と思ったら、布団ごと庭の物干し竿に引っかかって、僕は洗濯物みたいにぶら下がった。
「よし、初日から死ななかったな。及第点だ」
庭に立つヴィムが、朝日を浴びながらプリンを食べていた。
「じゅ、授業は!? 数学とか、英語とかは!?」
「今のが一時間目だ。科目は『寝てる時に襲われても死なない』。次、二時間目」
「時間割がおかしい!」
◇
二時間目の科目は「通学」だった。
「いいか、坊ちゃん。今日からお前の通学路には、罠が仕掛けてある」
「なんで!?」
「刺客ってのは日常に潜むからだ。学校までの二・四キロ、全部を疑って歩け。……あ、母さんには『朝のジョギング始めた』って言っとけよ」
半信半疑で家を出て、三歩目だった。
足元の敷石が、かこん、と沈んだ。
「え」
次の瞬間、植木の陰から丸太が水平に飛んできた。時代劇で見たやつだ。僕は悲鳴を上げてしゃがんだ。丸太は頭の上を通過して、電柱に当たって止まった。
「はい死んだー。今のが本物なら首が飛んでる」
いつの間にか塀の上にいるヴィムが、指で×を作った。
「住宅街に丸太を仕掛けないでください!?」
「安心しろ、人間には見えない術がかけてある」
「そういう問題じゃない!」
通学路二・四キロ。
落とし穴、三回。ワイヤートラップ、五回。上から金だらい、二回(金だらいだけ様式が古いのはなんなんだ)。信号待ちの間に背後から気配で威圧してくるヴィム、無数。
校門にたどり着いた時、僕は生まれたての小鹿みたいに震えていた。遅刻はしなかった。ヴィムの罠は、なぜか計ったように「全部避けても始業に間に合う」配置になっていた。
◇
「真昼、お前なんか今日、ボロボロじゃね?」
教室で、鈴木くんが僕の顔を見て笑った。
「うん、ちょっと、朝から運動を……」
「ふーん。あ、購買な。いつもの」
「……うん」
断れなかった。世界がひっくり返るような秘密を知っても、僕の日常はこの通り、一ミリも変わらない。
購買へ廊下を歩きながら、僕はため息をついた。魔界の名門の跡継ぎが聞いて呆れる。丸太からは逃げられても、鈴木くんの「いつもの」からは逃げられないのだ。
――その時だった。
うなじが、ちりっとした。
考えるより先に、体が右に半歩ずれていた。直後、僕がさっきまでいた場所を、消しゴムが猛スピードで通過して、廊下の壁にめり込んだ。
「…………え?」
振り向くと、廊下の端の窓の外――校庭の木の上で、ヴィムが手を振っていた。
いや、待って。
今の、避けた? 僕が? 見えてなかったのに?
窓の外のヴィムは、口の動きだけで言った。
『い・い・ぞ』
僕は消しゴムを壁から引っこ抜きながら(めり込んでるってなんだ)、自分のうなじを触った。あの、ちりっとした感じ。あれが来た瞬間、体が勝手に動いた。
……もしかして、朝の地獄には、意味があったのか?
◇
放課後、帰り道(もちろん罠だらけだった)を抜けた僕に、ヴィムは初めて講義らしい講義をした。
「今日お前がやってたのは『気配察知』の初歩だ。魔力ってのは、まず感じることから始まる。撃つのはその後だ」
「あの消しゴム、当たってたらどうしてたんですか」
「保健室に運んでやった」
「撃つ前提!?」
「いいか、坊ちゃん」
ヴィムは僕の額を、指でこつんと突いた。
「お前は今日、丸太を三本、ワイヤーを五本、消しゴムを一個避けた。昨日のお前は、一個も避けられなかった。――つまりお前は、昨日より一日ぶん、死ににくくなった」
「…………」
「俺の授業はそれだけだ。毎日、昨日より死ににくくなる。以上」
むちゃくちゃな理屈だと思った。
思ったのに、なぜだろう。「昨日より死ににくくなった」という言葉は、十五年間で貰ったどんな褒め言葉より、少しだけ、胸に残った。
「よし、じゃあ帰るか。今日の報酬はカラメル多めのやつな」
「まだ働いて二日目ですよね!?」
「明日は罠を倍にする」
「聞いてない!!」




