第49話 読んでから、動く
一回戦の相手は、二十歳前後の男女の組だった。
氷渡壬生と、氷渡霜。分家の中でも術者の家系で、二人とも十年以上、当主戦の実戦経験があるという。
「――真昼家の当主様」
壬生と名乗った青年が、僕に一礼した。
「無礼を承知で申し上げる。あなたが降りてきたのは、勇気ではなく、無知だ」
「はい」
「氷渡の氷は、人を殺せる」
「知ってます」
僕は、頷いた。
「二か月前に、氷渡さんに殺されかけたので」
壬生の眉が、動いた。
「――それを知って、なお降りたか」
「はい」
「では、遠慮はいたしません」
◇
開始の合図は、氷の鈴だった。
りん、と鳴った瞬間、床が消えた。
――違う。床の氷が、一斉に立ち上がったのだ。無数の氷柱が、僕の足元から、串刺しにする角度で。
「真昼くん!」
「大丈夫です!」
僕は、跳んだ。
跳べたのは、見えていたからだ。
二錠目が開いてから、僕の目には、人の魔力が「流れ」として映る。壬生の魔力は、指先から床へ、床から僕の足元へ、水路をたどるように走った。
――魔力が届いてから、氷になるまでに、コンマ数秒ある。
その隙間が、僕の全財産だった。
「ほう」
壬生が、感嘆の声を上げた。
「一錠、いや二錠か。……当主戦の噂は、本当だったらしい」
着地。すぐに次が来る。今度は横。左から三本。
「左、三!」
叫んだのは、癖だった。
杉林で三時間叫び続けた癖が、勝手に出た。
そして――セツナの氷が、僕の左側だけを、寸分の狂いもなく塞いだ。
壬生の氷柱が、その壁に激突して、砕けた。
「……なるほど」
もう一人、霜という女性が、初めて口を開いた。
「その坊やが、目か」
「そういうことだ。……ならば、目を潰す」
二人の魔力の流れが、変わった。
僕に向かって、殺到してくる。
――速い。
さっきまでの倍以上だ。読める。読めるけど、追いつかない。氷柱が、氷の礫が、扇形に、僕の逃げ場を潰しながら来る。
「真昼くん、下がって!」
「いえ」
僕は、前に出た。
自分でも、なんでそうしたのかわからない。ただ、体が「そっちだ」と言った。
――ヴィムの言葉が、頭の中で鳴っていた。
『見えたところに、自分の足で入っていけるってことだ』
僕は、氷の間を縫った。
右。左。半歩下がって、また右。読んだ道筋の、氷にならない隙間だけを、拾って、拾って、拾い続けて。
壬生の顔が、初めて歪んだ。
「――なぜ当たらん!」
当たっていた。
肩をかすめた。頬が切れた。制服の袖は、とっくに裂けている。
でも、止まらなかった。二か月前の僕なら、一発目で転んで、そこで終わっていた。今の僕は、転んでも次の一歩が出る。
それだけが、二か月ぶんの違いだった。
距離が、五メートル。三メートル。
「氷渡さん!」
「――ええ!」
僕が叫ぶより早く、セツナの氷が動いていた。
僕の背後から、細い氷の帯が、僕の脇をすり抜けて、壬生と霜の間に割り込む。二人の視界を、一瞬だけ、断った。
その一瞬で、僕は懐に入った。
一錠目。身体強化。
二か月前、いじめっ子に初めて言い返した夜に、薄く光ったあの錠。
「――ごめんなさい!」
僕は、謝りながら、拳を振り抜いた。
壬生の体が、氷の床を三度跳ねて、闘技場の縁から転がり出た。
同時に、背後で、氷の砕ける音。
振り返ると、霜が膝をついていた。その周りを、セツナの氷が、檻みたいに囲んでいた。
「――降参します」
霜は、静かに言った。
「氷渡霜、負けを認めます。……セツナ様の氷、以前より、ずいぶん綺麗になられた」
闘技場が、静まり返っていた。
四百人が、声もなく、僕たちを見ていた。
鈴が、りん、と鳴った。
「――勝者、氷渡セツナ組」
ザクロの声だけが、雪の中に落ちた。
◇
控えの間で、僕は氷の椅子に座り込んだ。
膝が、今頃になって、本格的に震え始めていた。
「動かないで」
セツナが、僕の頬に手を当てた。ひやりとした感触が走って、切り傷が塞がる。氷渡の術は、こういうこともできるらしい。
「……無茶よ、さっきの」
「はい」
「前に出るなんて聞いてないわ。読んで、下がって、わたしが撃つ。そういう約束でしょう」
「途中で気づいたんです」
「なにに」
「下がってるだけだと、氷渡さんが全部背負うことになるって」
セツナの手が、止まった。
彼女は、僕の頬に手を当てたまま、しばらく黙っていた。
「……あなた、本当に」
「はい」
「――ばか」
その時、控えの間の外が、どよめいた。
もう一組の準決勝が、決着したらしい。
僕とセツナは、顔を見合わせて、闘技場を見た。
氷の床の中央に、白い髪の少年が立っていた。
足元に、二人の候補者が倒れている。シグレは、息ひとつ乱していなかった。
彼は、こちらを――控えの間のほうを、まっすぐ見た。
そして、口の動きだけで、こう言った。
――待ってた。




