第43話 同じ側
翌日は、氷雪祭の前日だった。
屋敷は朝から騒がしかった。分家の人間が続々と到着し、闘技場の設営が始まり、白装束の使者が廊下を走り回っていた。
その喧騒の中で、僕とセツナは、屋敷の一番奥にいた。
「――ここが、お母様の部屋」
八畳ほどの、何もない部屋だった。
畳は新しく替えられている。障子も、真っ白だ。誰も住んでいないのに、毎日手入れされているのが一目でわかった。
床の間に、写真立てがひとつ。
うちの二階の机にあるものと、同じ写真だった。若い女の人と、小さいセツナ。
「……氷渡ミオ。それが、お母様の名前」
セツナは、部屋の真ん中に座った。
「ここで亡くなったの。わたしが六つの時。……病気よ。ごく普通の、人間の病気」
「人間の」
僕は、その言葉に引っかかった。
セツナが、こちらを見た。
そして、言った。
「――お母様は、人間だったの」
部屋が、静かだった。
外の喧騒が、遠かった。
「……お父様が、人間界の大学で出会ったそうよ。氷渡の当主が、人間の女性を娶る。四百年で初めてのことだったって」
彼女は、写真立てを見ていた。
「分家は、猛反対したわ。当然よね。四百年、氷を薄めずに来た家だもの。……でもお父様は押し切った。そして、わたしが生まれた」
僕は、ようやく、いろいろなことが繋がった気がした。
昨日、シグレが吐いた言葉。「不良品」。
あれは、当主戦に負けたことだけを指していたんじゃない。
もっとずっと前から、この家の中で、彼女に貼られていた札だ。
「……氷渡さんが『不良品』って呼ばれるのは」
「半分、人間だから」
彼女は、あっさりと言った。あまりにあっさり言ったので、逆にそれが、彼女が何回それを飲み込んできたかを表していた。
「氷渡の氷は、純度が命だと言われてるの。混じりものがあると、氷は濁って、脆くなる。……わたしは、生まれつき混じりものなのよ」
「それ、誰が言ったんですか」
「え?」
「氷が濁るとか、脆くなるとか。誰が確かめたんですか」
セツナが、目を瞬かせた。
「……そういう、家訓で」
「四百年で初めてなんですよね。だったら、誰も確かめたことないじゃないですか」
彼女は、口を開けたまま、僕を見た。
「――そういう、ところよ」
彼女は、額を押さえた。
「あなた、そういうところが本当に……ずるいの」
僕は、部屋の写真立てを見ていた。
若い女の人が、小さいセツナを抱いて、笑っていた。
その笑い方に、僕は、見覚えがあった。
「……あの」
「なに」
「僕の母さん、人間なんです」
セツナが、ぴたりと止まった。
「え?」
「魔界十三家の当主の妻で、刻印のことも当主戦のことも知ってて、ヴィムさんを『先生』って呼んで平気でお茶出してるけど、……あの人、たぶん、ただの人間なんです」
僕は、自分の手のひらを見た。
「僕、二か月前まで、魔力の使い方も知りませんでした。刻印は十三個ぜんぶ閉まってて、いじめられて、パシリで、階段で足引っかけられてました」
「……真昼くん」
「だから、たぶん僕も」
僕は、顔を上げた。
「――僕も、混じりものです」
セツナは、何も言わなかった。
外で、誰かが闘技場の氷を鳴らす音がした。
彼女は、写真立てのほうを向いて、ずいぶん長いこと、黙っていた。
やがて、その肩が、震え始めた。
「……ずるい」
絞り出すような声だった。
「ずるいわ、あなた。……そんなの、そんなの言われたら」
畳に、雫が落ちた。
今度は、凍らなかった。
「わたし、十六年、この家でひとりだと思ってたのよ。……ずっと、ひとりで、」
「はい」
「ひとりで、この寒いところに、いたのよ」
「はい」
僕は、何もできなかった。
背中をさするのも、肩を抱くのも、なんだか違う気がして、僕はただ、一畳ぶん離れたところに座っていた。
彼女が泣き終わるまで、たぶん十分くらいかかった。
顔を上げた彼女は、目が真っ赤で、鼻をすすって、それから――ものすごく恥ずかしそうに、僕を睨んだ。
「……見た?」
「見てません」
「嘘つき」
「はい」
彼女は、袖で乱暴に顔を拭いて、立ち上がった。
そして、写真立てを、そっと元の位置に戻した。
「――真昼くん」
「はい」
「明日、氷雪祭に出るわ」
彼女の背中は、まっすぐだった。
「勝ちに行く。……お母様が濁りものじゃなかったことを、あの闘技場で証明してくる」




