第40話 采配
翌朝、僕はヴィムを捕まえた。
地下の氷室から上がってきたところを、廊下で待ち伏せしたのだ。彼は両手いっぱいに何かを抱えていた。
「……何持ってるんですか」
「氷だ」
「氷!?」
「見ろ、この透明度。四百年もんの氷室で、氷渡の術で締めた氷だぞ。これでプリンを冷やしたら、たぶん人生が変わる」
「変わらないと思います」
ヴィムは氷を廊下に置いて、その上に腰を下ろした。冷たくないんだろうか。
「で? 何か聞きたい顔だな、坊ちゃん」
「わかりますか」
「顔に書いてある。『何かおかしい』ってな」
僕は、昨夜セツナに言ったことを、そのまま話した。
なぜ最弱の真昼家に、氷渡家の後継者本人が来たのか。
ヴィムは、氷の上であぐらをかいて、最後まで黙って聞いていた。
話し終わると、彼はひとつ、あくびをした。
「――やっと気づいたか」
「やっと!?」
「俺は最初から言ってたぞ。第一話から」
「言ってないですよね!?」
「言った。『あの家の連中は、決めた獲物は絶対に逃がさねえ』」
ヴィムは、指を一本立てた。
「逃がさねえ家がだ。仕留めそこなう可能性のある札を、なんでいきなり切る?」
僕は、言葉に詰まった。
「あのな、坊ちゃん。当主戦ってのは、家の格をかけた博打だ。勝てば序列が上がる。負ければ落ちる。……だから普通、格上の家は『絶対に落ちない札』から順に切る」
「絶対に落ちない札」
「分家の腕利き。歴戦の使い手。負けても『分家が一つしくじった』で済む札だ」
ヴィムは、二本目の指を立てた。
「本家の後継者ってのは、最後の最後に切る札だ。そいつが負けたら、家そのものに罅が入るからな。……で、氷渡はどうした?」
「……最初に、切りました」
「そうだ」
ヴィムは、指を下ろした。
「最弱相手に、最上の札を、初手で切った」
廊下が、静かだった。
どこかで、氷の落ちる音がした。
「……それって」
僕は、喉が渇くのを感じた。
「勝たせるつもりなら、そんな采配、しませんよね」
「――しねえな」
ヴィムは、あっさりと言った。
「あれは勝たせる気の采配じゃねえ。勝っても負けても、どっちでも困らねえ奴が組んだ盤だ」
僕は、その言葉を、二回、頭の中で繰り返した。
勝っても、負けても、困らない。
「……勝ったら?」
「氷渡の序列が上がる。組んだ奴の手柄だな」
「負けたら?」
「本家の後継者が、資格を失う」
ヴィムは、僕を見た。
フードの下の目が、笑っていなかった。
「――で、空いた椅子に、誰が座る?」
背筋が、氷の廊下より冷たくなった。
僕は、昨日の光景を思い出した。門の前で腕を組んで待っていた、白い髪の少年。父の後ろをへらへらとついてくる背中。
「……シグレ」
「知らねえよ。俺は他人の家の名前まで覚えねえ」
ヴィムは、また氷を抱えて立ち上がった。
「言っとくがな、坊ちゃん。ここから先は、俺は口を出さん」
「え」
「俺の仕事はお前を一人前にすることだ。他家の内輪揉めを解決してやることじゃねえ。……それに」
彼は、廊下の先を、顎でしゃくった。
その先には、セツナの部屋がある。
「あれは、あの嬢ちゃんの家の話だ。お前が全部やってやったら、あいつは一生、自分の家に帰れなくなるぞ」
「……はい」
「調べるとこまでは手伝ってやる。ただし」
ヴィムは、にやりと笑った。
「追加でプリン十個な」
「増えた!!」
◇
朝食のあと、僕はセツナを廊下の隅に呼んだ。
ヴィムから聞いた話を、そのまま伝えた。
彼女は、最後まで一言も口を挟まなかった。
聞き終わって、彼女は長いこと、床の木目を見つめていた。
「……氷渡さん?」
「――記録があるはずよ」
顔を上げた彼女の目は、昨夜とは別人のものだった。
「当主戦は、正式な申請がいるの。誰が、いつ、どの家に対して申し込んだか。全部、書面で残る」
「どこにあるんですか」
「書庫」
セツナは、廊下の奥を見た。
「本家の書庫。……当主と、当主代行しか、入れないところ」
「入れないんですか」
「入れないわ」
彼女は、そこで初めて、うっすらと笑った。
あの完璧な微笑みじゃない。もっと悪い、うちの居間で見せるほうの顔だった。
「――でも、わたし、六つの頃から鍵の場所を知ってるの」




