第38話 氷雪祭
「明後日の日没より、氷雪祭を行う」
ザクロは、余計な前置きを一切しなかった。
「氷渡家の後継を、改めて定める儀式だ。分家より推挙された候補者が、闘技場で一騎打ちを行い、勝ち残った者を後継とする。当主の裁可を待たず、この結果は氷渡家全体の決定として効力を持つ」
「候補者って、何人いるんですか」
僕が聞くと、ザクロは僕ではなくセツナのほうを見て、答えた。
「四名。すべて分家の者だ」
四名。
全員、分家。
「本家からは、出ないんですか」
「本家の血を引く者は、二名しかおらん」
ザクロは、淡々と続けた。
「当主・氷渡ソウゲツ様。八年前より『氷の眠り』についておられる」
僕は、セツナを見た。
彼女は、身じろぎひとつしなかった。
「そして、そのご息女――氷渡セツナ様」
「じゃあ、氷渡さんが出れば」
「出られん」
ザクロの声が、初めて、わずかに固くなった。
「氷渡セツナ様は、当主戦において敗北された。家訓に照らし、後継の資格を失っておられる」
「その家訓、おかしくないですか」
言ってしまってから、しまった、と思った。
でも、止まらなかった。
「一回負けたら、もう資格がないって……じゃあ、誰も戦えないじゃないですか。負けるのが怖くて」
「――だから、勝つのだ」
ザクロが、僕を見た。
「氷渡は四百年、一度も罅を入れずに来た。当主戦において氷渡家が敗れたのは、これが初めてだ」
部屋の空気が、ぎしりと軋んだ。
「その初めてを、この家がどう受け止めるか。他の十一家が、氷渡をどう見るか。……それを背負うのが、当主代行の役目だ」
「じゃあ、氷渡さんはどうなるんですか」
「氷渡セツナ様は、本家のご息女として、変わらず遇される」
「後継じゃなくなって、家に居場所もなくて、それで『変わらず遇される』ですか」
「――真昼様」
セツナが、初めて口を開いた。
静かな、けれど有無を言わせない声だった。
「わたしの家のことです。これ以上は、どうか」
「でも」
「お願いします」
僕は、口を閉じるしかなかった。
セツナは、ザクロのほうに向き直って、両手を畳についた。
「――ザクロ。書状は、確かに受け取りました」
「はっ」
「立ち会えとのこと、承知しました。……それと、この場でひとつ、申し上げます」
彼女は、頭を下げた。
深く。とても、深く。
「氷渡セツナは、氷渡家の継承権を、放棄いたします」
時間が、止まった。
僕の隣で、シグレの顔から笑いが消えた。案内の使者が、声にならない声を上げた。庭の松から、氷の粒がぱらぱらと落ちる音がした。
ザクロだけが、動かなかった。
「……理由を」
「わたしがこの家に残る限り、分家は割れます」
セツナの声は、揺れなかった。
「本家の娘が資格を失ったまま屋敷にいれば、担ごうとする者と、排そうとする者が必ず出ます。四百年、罅を入れずに来た家に、わたしがそれを入れます。……それだけは、したくありません」
完璧な理屈だった。
完璧すぎて、僕は吐き気がした。
この人は、十六年かけて、自分をこの家から差し引く計算だけを覚えさせられたんだ。
「――ちょっと待ってください」
僕は言った。
「氷渡さん。それ、本気で言ってます?」
「本気です、真昼様」
「じゃあ聞きますけど」
僕は、自分でも驚くくらい、はっきりした声で聞いた。
「――氷渡さんは、氷渡家が好きですか」
彼女の肩が、跳ねた。
「……なにを」
「好きですか、嫌いですか。どっちですか」
「そういう問題ではありません」
「そういう問題です」
「真昼様!」
「だって」
僕は、庭を指さした。
四百年、誰かが守り続けてきた、白い松を。
「嫌いな家のために、自分を差し引く計算なんて、しないでしょう」
セツナが、僕を見た。
その目が、みるみるうちに潤んで、彼女は慌てて顔を伏せた。畳に落ちた雫が、落ちた先から、小さく凍った。
部屋は、ずっと静かだった。
やがて、ザクロが立ち上がった。
「――放棄の申し出は、預かる」
「ザクロ」
「明後日の日没まで、預かるだけだ」
彼は襖に手をかけ、背中を向けたまま、一度だけ止まった。
「氷雪祭は、氷渡の血を引く者であれば、当日の申し出により参加を認める。……家訓に、そう書いてある」
「え?」
僕が顔を上げた時には、もう襖は閉まっていた。
残されたシグレが、ぽかんとして、それから慌てて父を追いかけていった。
庭で、氷の松が、かすかに鳴った。




