第30話 次の気配
合同特訓の初日は、散々だった。
朝五時の河川敷。ヴィムの「二人まとめて面倒見てやる」は、要するに「二人まとめて命懸け」という意味だった。セツナの氷を僕が読み、僕の動きをセツナが氷で援護する。連携の練習――のはずが、息が合わず、僕はセツナの氷壁に激突し、セツナは僕をかばって泥まみれになった。
「なによもう……! どうして今ので右に行くの!?」
「い、行くでしょ普通!? 今の流れなら!」
「行かないわよ! 術の道筋を見なさいって、昨日……あ」
言いかけて、セツナは自分の泥だらけの袖を見て、ぷっと吹き出した。
「……わたし、泥だらけで人と言い合いしてるの、生まれて初めて」
「じゃあ、それも僕が第一号ですね」
「変な第一号を増やさないで」
土手の上で、ヴィムはプリンを食べながら僕たちを眺めていた。何も教えていないようで、転び方や、僕たちの立ち位置の距離だけは、時々ぼそっと直された。あとで気づくと、その一言のせいで連携が急に楽になっているのだった。
昼前、休憩中に、ふと聞いてみた。
「ヴィムさん。当主戦って、これで終わり……じゃ、ないんですよね」
「あ?」
「氷渡家は最初の一家でした。十三家って言うくらいだから、あと……」
指を折る。真昼家と氷渡家を除いて、十一。
「安心しろ。全部が全部、喧嘩腰なわけじゃねえ。様子見の家、日和見の家、そもそも興味のねえ家。ただな――」
ヴィムはプリンのスプーンを止めて、南の空を、目を細めて見た。
「今回の当主戦の結果は、もう十三家全部に回ってる。『最弱の真昼の坊主が、氷渡の姫を落とした』。この報せをどう読むかは、家によって違う。脅威と読む家。好機と読む家。それから――」
「それから?」
「『面白え』と読む、脳みそまで筋肉の家」
その時だった。
二錠目の感知が、ざわり、と粟立った。
遠い。ものすごく遠い。南の地平の向こう。なのに、届く。氷渡の冷たく研がれた糸みたいな気配とは正反対の――熱くて、でかくて、隠す気がまるでない、火柱みたいな魔力の気配。
それは一瞬だけ、こちらを向いて。
笑った、気がした。
「……ヴィムさん、今の」
「ほう。もう拾えたか、坊ちゃん」
セツナも、南の空を見ていた。彼女の顔から血の気が引いている。
「この魔力……嘘でしょう。この距離で感知できるなんて……獅子堂……十三家の武闘派筆頭……」
「まだ遠い。当分先だ。……だがまあ、あれの性格からして、来るな。まっすぐ、堂々と、正面から」
ヴィムはプリンの最後の一口を食べ終えて、容器を置き、にやりと笑った。
「言ったろ、坊ちゃん。――次はもっと骨のあるやつが来るぞ」
「……ですよね」
不思議と、膝は震えなかった。隣を見ると、セツナが「仕方ないわね」という顔で、もう術の道筋の復習を始めていた。
一人じゃない。それだけで、次の嵐は、少しだけ怖くなかった。
◇
その夜。
真昼家の屋根の上に、ヴィムは一人で寝転がっていた。
夏の夜空に、星が出ていた。人間界の星は、魔界より数が多い。カナメは昔、それを自慢げに語ったものだった。酒を飲みながら、何度も、同じ話を。
「……坊ちゃんは、二錠目まで開けたぞ」
誰にともなく、ヴィムは呟いた。
「三日で錠に鍵を挿して、初陣で二錠。友達第一号つき。……早えよ。お前に似て、無駄に早え」
風が、屋根の上を撫でていった。
ヴィムは懐から、小さな古い銀貨を取り出した。魔界の、もう流通していない古い貨幣。表には十三の錠の紋。裏には、深い傷がひとつ。
約束の、印だった。
封印が破れる、その時には――。
ヴィムは銀貨を夜空にかざして、星の光に、傷跡を透かした。
それから、笑った。いつものだるそうな顔のまま、ほんの少しだけ、泣き笑いに似た形で。
「……約束の刻には、まだ早いよな、カナメ」
銀貨が、ぱしり、と手の中に消える。
星は、何も答えなかった。
屋根の下では、明日も朝五時からの特訓を知らない顔で、少年がぐっすり眠っている。
――最弱の後継者の物語は、まだ、始まったばかりだ。




