第29話 プリンと転校生
当主戦から三日。世界は、驚くほど普通だった。
鈴木くんは「ベンチで寝てた」ことになっていて、風邪ひとつ引かず登校している。ただ、なぜか僕にパシリを命じなくなった。すれ違う時、ちょっと気まずそうに目を逸らす。氷の中の記憶はないはずなのに、体のどこかが何か覚えているんだろうか。
そして、氷渡セツナは――変わらず、うちのクラスの完璧な転校生だった。
「おはよう、真昼くん」
「お、おはようございます……」
朝の教室で、彼女が僕に挨拶をした。
それだけで、教室の空気がざわっとした。当然だ。学園の頂点の氷渡さんが、「便利なやつ」の真昼に、自分から声をかけたのだ。
「ね、ねえ氷渡さん、真昼と知り合いなの?」
「ええ」
セツナは、完璧な微笑みで、さらりと言った。
「彼、わたしの命の恩人みたいなものだから」
「「「えええええっ!?」」」
「ちょっ、氷渡さん!?」
おい。おいおいおい。教室が蜂の巣をつついた騒ぎになっている。女子が僕を取り囲む。「どういうこと!?」「何があったの!?」。何があったかというと学校が氷の城になって決闘したんですが、言えるわけがない。
「せ、説明……!」
助けを求めてセツナを見ると、彼女は口元に指を当てて、少しだけ意地悪に微笑んだ。
「内緒」
……この人、意外と、性格が悪い。いや、たぶんこれが素なんだ。完璧な氷の下に、ちゃんと悪戯好きの十五歳が入ってた。
◇
放課後。セツナは当たり前みたいに、うちに来た。
「失礼します。……あ、おばさま、これ、お土産です」
「あらあら、セツナちゃんいらっしゃい! やだ、気を遣わなくていいのに」
この三日で、母さんとセツナは完全に打ち解けていた。というか母さんが一方的に娘扱いしている。今日の夕飯は餃子で、セツナは生まれて初めて餃子を包むらしい。氷の術で完璧に等間隔に並べられた餃子は、ちょっと怖かった。
「真昼くん、あなたの包み方、雑よ」
「餃子に完璧を求めないでください……」
「求めるわ。わたしはもう真昼家の――こほん。と、友達だから。友達の家の餃子の水準は、わたしの水準よ」
「途中で言い直した!」
言い直すたび、彼女の耳が赤くなるのを、僕は知っている。「家門」と言いかけて「友達」に直す。その一瞬の照れが、なんだかくすぐったくて、僕はいつも気づかないふりをする。
夕飯のあと、母さんがデザートを出した。手作りのプリンだった。大きい耐熱皿にどーんと作った、崩し盛りのやつ。
そして事件は起きた。
「……なにこれ」
一口食べたセツナが、固まった。
「甘い……やわらかい……冷たいのに、あたたかい味がする……何これ……こんな食べ物が人間界に……」
「魔界に甘味はねえからな」
窓枠に、いつの間にかヴィムが座っていた。神出鬼没にもほどがある。
「で、だ。奥さん。俺はそろそろ、今回の報酬の話をしたいんだが」
「あら先生、いつものプリンでいいの?」
「いや。今回は坊ちゃんが予想の三倍働いた。指導料も三倍請求させてもらう」
ヴィムは指を三本立てた。
「そのでかい手作りプリン、皿ごと。あと三個パックを週三。それと嬢ちゃんの初回指導料として今この場でもう一皿」
「ちゃっかりしすぎでしょう!? あと氷渡さんの分まで請求しないでください!」
「あら安い教育費」と母さんは笑って、本当にもう一皿出した。母さんは大物だと思う。
プリンの皿を抱えて世界一真剣に食べるヴィムを眺めながら、セツナが、小声で僕に聞いた。
「……ねえ。あの人、いったい何者なの? 決闘場でザクロ様を、その、一歩で」
「……家庭教師、だそうです」
「家庭教師って、あんなに怖いものだった?」
「僕もずっと、それを考えてるんですけど」
当のヴィムは、プリンの皿から顔を上げて、だるそうに言った。
「おい坊ちゃんども。明日から合同特訓な。朝五時」
「「えっ」」
「なに驚いてんだ。――言ったろ、指導料は三倍もらったって」
セツナと僕は、顔を見合わせた。
彼女の顔に浮かんだ「聞いてない」という表情が、たぶん僕と全く同じ形で、僕たちは同時に、ため息をついた。
友達第一号との日常は、こうして、朝五時から始まるらしい。




