第25話 氷の玉座
「来ないでって、言ってるのに……!!」
セツナが後ろへ跳んだ。跳んで、跳んで――玉座の前まで、下がった。
そして彼女は、氷の玉座を背にして、残った魔力の全部で、最後の術を組み始めた。
二錠目の感知に、その術の全貌が映る。
玉座を核にした、全方位の氷結。彼女自身ごと、僕ごと、この闘技場の中心を丸ごと凍らせる――相打ち覚悟の、破れかぶれの術だった。
「(……ああ、そうか)」
僕は、走りながら、理解してしまった。
あの玉座は、飾りじゃない。
氷渡家が設えた、この決闘場の心臓部だ。絶対凍土も、封氷の柱も、全部あそこから氷渡の魔力の供給を受けている。勝者があそこに座ることで、当主戦の決着が刻まれる。家が用意した、家の勝利のための椅子。
そして、あれは――檻だ。
勝ったら、彼女はあそこに座らされる。「百年に一人の才」として、序列を三つ上げた英雄として、今よりもっと分厚い「氷渡セツナ」の中に、閉じ込められる。
負けたら負けたで、不良品の烙印ごと、氷の家の奥に仕舞われる。
どっちに転んでも、あの椅子が、彼女の行き先なんだ。
「――だったら」
僕は、最後の直線で、右の拳を引き絞った。
一錠目の熱を、拳に集める。二錠目の感知で、狙いを定める。狙うのは、セツナじゃない。彼女の術でもない。
その後ろ。
全部の大元。
「セツナ!! そいつを凍らせろ!! 氷渡の総力で!!」
「あああああっ――!!」
彼女の最後の術と、僕の最後の一歩が、交差した。
世界が白く塗り潰される寸前、僕は彼女の横を――すり抜けた。
「……え……?」
狙われると思って身構えた彼女の、すぐ横を。攻撃もせず、触れもせず、ただ全速力で。
僕の目の前に、氷の玉座が迫る。
夕焼けを閉じ込めて、オレンジと群青に燃える、綺麗で、冷たくて、残酷な椅子。五歳の女の子から時間を奪い続けた家の、象徴。
「僕はッ――」
拳を、振り抜いた。
金色の魔力が、拳の先の一点で、爆ぜた。
ばぎん、と。
世界で一番大きな氷が割れる音がして――玉座は、粉々に、砕け散った。
氷の破片が、夕焼けの中を、雪みたいに舞い上がる。何千という欠片のひとつひとつがオレンジ色の光を宿して、闘技場全体に、ゆっくりと降りそそぐ。
絶対凍土が、音を立てて、解けていく。
封氷の柱の輝きが、弱まっていく。
「……あ……」
振り返ると、セツナが、へたり込んでいた。
砕けた玉座の破片の雨の中で、彼女は呆然と、僕を見上げていた。
「なんで……玉座を……あれを砕いたら、勝敗の刻印は……あなた、わたしを直接凍らせ……倒せば、勝ちだったのに……」
「嫌だったんです」
僕は、じんじん痺れる右手を開いたり閉じたりしながら、言った。我ながら、締まらない勝ち方だと思う。でも、これが僕の答えだった。
「君を『倒して』勝つのも、君があの椅子に『座らされる』のも、両方嫌だった。だから、椅子のほうを、壊しました」
降りやまない氷の雨の中で、僕は、手を差し出した。
あの夜、公園で見えた輪郭に、やっと、最後の言葉が追いついた。
「氷はもう――君を守る檻じゃない」
セツナの目から、透明なしずくが、ひとつ、落ちた。
それは頬の途中で凍らずに、最後まで、ちゃんと涙のままだった。




