第23話 乱れる氷
「セツナァッ!! 何を聞いている!!」
ザクロは桟敷の縁に立って、石の目を血走らせていた。
「敵の口車だぞ!! 惑わされるな!! おまえは氷渡の剣だ! 剣が『どうしたい』だと? 笑わせるな、剣は振るわれるだけでいい!!」
びくり、と。
セツナの肩が、跳ねた。
その瞬間、僕は見た。はっきりと、見てしまった。
彼女の背筋が、勝手に伸びるのを。俯きかけた顎が、機械みたいに引き上げられるのを。揺れていた目が、無理やり「完璧」の位置に戻されていくのを。
声だ。
あの声が、鎖なんだ。
五歳の頃から、あの声で叱られて、あの声で採点されて、あの声に頷いてきた。だから体が覚えてしまっている。あの声が飛んだら、考えるより先に、従う形になることを。
僕が鈴木くんの「おい真昼」に、十五年間、勝手に頷いてきたのと――同じ仕組みで。
「思い出せ! おまえは百年に一人の才よ! 氷渡の悲願よ! その小僧を凍らせて、刻印を持ち帰る! それだけがおまえの存在理由だ!!」
「……はい……っ」
セツナが、両手を振り上げた。
「はい、はいって……わたしは、氷渡の……!」
絶対凍土が、咆えた。
氷の槍が、乱れ撃ちに来た。
――でも。
「(……違う)」
避けながら、僕は違和感に気づいていた。
軌道が、ばらばらだ。
さっきまでの彼女の術は、詰将棋だった。一本一本に意図があって、逃げ場を削る設計があった。今の槍には、それがない。数は倍以上なのに、ただ、力任せに、めちゃくちゃに降ってくるだけ。
何本かは、狙いすら逸れて、あさっての氷柱に突き刺さった。
「なんで……なんで当たらないの……!」
セツナの息が、上がっていた。
「あなたなんか……あなたなんかに、わたしの何がわかるのよ!! わかったような顔で、勝手に、人の中に入ってこないでよ!!」
撃つ。外れる。撃つ。掠る。撃つ。
彼女の術が乱れるほど、絶対凍土そのものも軋んでいた。完璧だった冷気の膜に、むらができている。濃いところと、薄いところ。彼女の心の乱れが、そのまま領域の乱れになって、僕の肌に伝わってくる。
「乱すな!! 術が泣いておるぞ、セツナ!! おまえの練度はその程度か!!」
「っ、申し訳、ありません……!」
叱責が飛ぶたび、彼女は術を立て直そうとする。立て直そうとするたび、どこかがまた乱れる。当たり前だ。「どうしたい」を殺して「どうすべき」だけで術を組んでるんだから。心と術の継ぎ目が、ずれ続けてるんだから。
――泣いてるのは、術じゃない。
僕は、乱れた槍の雨の中で、確信していた。
あの人は今、氷の後ろで、泣いてる。五歳からずっと泣けなかった分まで、術で泣いてる。
だったら、僕のやることは決まってる。
この氷を、全部受け止めて、あの声の鎖ごと――断ち切りに行くことだ。
でも、そのためには足りない。一錠の身体強化だけじゃ、この乱れた嵐の「隙間」を縫って彼女まで届く精度が、足りない。
見えそうで、見えない。感じられそうで、届かない。冷気のむら、魔力の濃淡、槍の生まれる兆し。肌のすぐ外側で、世界中の情報が渦を巻いているのに、僕の目はまだ、その全部を掴みきれない。
「(……見たい)」
右手の甲が、熱を持った。
「(もっと、ちゃんと、見たい――あの人の氷の、奥まで)」
十三の錠の、外から二番目。
その鍵穴が、金色に、明滅を始めた。




