第22話 誰のために
「……何を、言って」
セツナの指先が、氷原の上で、微かに揺れた。
「わたしは氷渡家の後継者として、家門の命により――」
「そういうのじゃなくて」
僕は、もう一歩、前に出た。足の感覚はほとんどない。でも、口はまだ動く。今の僕の武器は、拳じゃなくて、これだ。
「公園で、言ってましたよね。勝てば家の序列が三つ上がる。氷渡さんの『価値』も上がるって」
「っ……」
「それって、誰が喜ぶんですか」
絶対凍土の冷気が、僕の言葉ごと凍らせようとする。負けない。息を継いで、続ける。
「氷渡家の人たちは喜ぶんでしょうね。序列が上がって、ザクロさんは鼻が高くて。……じゃあ、氷渡さんは? 君は、その勝利のどこにいるの?」
「わたしは……家の勝利が、わたしの」
「五歳の時から、そう教わってきたんですよね」
彼女の言葉を、遮ってしまった。生まれて初めてかもしれない、人の言葉を遮ったのは。
「家中に喜ばれて、時間を全部家のものにされて、凍傷になったら治してまた練習して。勝っても道具、負けたら不良品って、笑ってましたよね。あの夜、ブランコで」
「――やめて」
「誰にも聞かれたことがないって言ってましたよね。『負けたら?』って。……なら、僕が聞きます。もうひとつの、誰にも聞かれたことのない質問を」
僕は、彼女の目を見た。青白く漂白された世界で、そこだけが、生きた色をしていた。
「氷渡セツナさんは――本当は、どうしたいの?」
静寂。
絶対凍土の底で、彼女は、彫像みたいに動かなかった。
「……ずるいわ」
やがて、掠れた声がした。
「そんなの、ずるい。決闘の最中に、そんな……そんな質問……」
「すみません。でも、今しか聞けないので」
「答える義務は、ないわ」
「はい。ないです」
「わたしは氷渡の娘よ。氷渡の術で、氷渡のために勝つ。それがわたしで、それ以外のわたしなんて、どこにも」
「――なら、なんで」
僕は、氷柱の中の鈴木くんを、指さした。
「なんで君は、さっき、鈴木くんの氷が進んでるのを見て、真っ青になったの」
セツナの息が、止まった。
「なんで『わたしが責任を持って解かせる』なんて言ったの。あれ、氷渡のためになる言葉じゃないですよね。ザクロさんに睨まれるだけの、一円の得にもならない言葉ですよね。……でも君は、言った」
一歩。
「決闘の前の夜、敵の僕に『来ないという選択肢もある』って言った。あれも、氷渡のためじゃない」
一歩。
「君の中には、もういるんだよ。家の命令と関係なく、勝手に動く君が。関係ない人が凍るのは嫌だって思う君が。敵にまで逃げ道を作っちゃう君が。――僕はそっちの君と、あの夜、公園で話したんだ」
気づけば、彼女まで、あと五歩の距離にいた。
絶対凍土が、緩んだわけじゃない。ただ、彼女の目が揺れるたび、世界を満たす冷気も、同じ周期で揺れていた。
「わたし、は……」
セツナの唇が、震えた。完璧な決闘者の顔に、罅が入っていく。氷の壁の罅とそっくりの形で。
「わたしは……っ」
「――セツナァッ!!」
石の声が、桟敷から、落雷みたいに落ちた。




