第20話 癖
罅の入った氷壁が、内側から弾け飛んだ。
僕が割ったんじゃない。セツナが自分で砕いて、その破片を全部、礫に変えてこちらへ撃ってきたのだ。防御を、そのまま攻撃に。無駄のない、教科書みたいな術の運び。
僕は横へ跳んで、礫の雨をやり過ごした。強化された体は、ちゃんと応えてくれる。でも――
「(当たらない……!)」
届かないのだ。距離を詰めても、あと三歩のところで必ず氷壁が生まれ、僕が壁に対処する間に彼女は下がり、次の攻撃が来る。攻めて、受けて、離れて。完璧な循環。彼女の周りだけ、絶対に崩れない氷の間合いがある。
一錠目は、僕を戦いの土俵に上げてくれた。でも、土俵に上がっただけだ。向こうには十年の型がある。力と速さが並んでも、型のない僕は、型のある彼女を崩せない。
「いい動きよ。……本当に、いい動き」
セツナの声は、賞賛の形をした警告だった。
「でもね、真昼くん。速くなったあなたは、速くなった分だけ、わたしの術の的になるの。動きが大きいから」
「みたい、ですね……!」
氷の斧みたいな一撃を、仰け反って躱す。前髪が数本、持っていかれた。
力だけじゃ、届かない。
だったら――見ろ。僕の武器は、最初からひとつだけだ。強化された目で、十五年間磨いてきたことをやれ。
僕は攻撃を避けながら、彼女の全部を見た。指先。足運び。呼吸。袖の揺れ。強化された目に映るものの量は、三日前の比じゃない。ロックアイス相手に磨いた観察と、人の顔色ばかり見て生きてきた癖の、全部で、見た。
――見つけた。
「(……切り替えの時だ)」
氷渡セツナの術は、大きく二種類ある。撃つ術と、守る術。
撃つ時、彼女の重心はつま先にある。守る時、かかとに移る。当たり前だ。誰でもそうする。でも彼女は、撃つ術から守る術に切り替える一瞬――かかとに重心を移すその半瞬だけ、両方の術が途切れる。撃ち終わりの魔力を畳んで、守りの魔力を開く。その畳み目が、必ず、重心の移動と一緒に来る。
完璧に仕込まれた術と術の、継ぎ目。
ヴィムの言う「風が止まる」が術の始まりの癖なら、これは術と術の間の癖だ。何千回の反復で完璧になったからこそ、完璧に同じ形で繰り返される癖。誰に教わったわけでもない。ただ、ずっと見ていたから、見えた。
「(継ぎ目は、攻めた直後にしか出ない。……なら、攻めさせる)」
僕は、わざと正面から突っ込んだ。
「まっすぐ来るなんて――!」
セツナが撃つ。氷の槍、三連。読める。見える。一本目を屈んで躱し、二本目を肩で掠らせながら潜り、三本目――躱さない。左腕で、受けた。
「なっ……!?」
腕の外側が凍る。痛みは、ある。でも骨までは通らない。金色の魔力が、皮膚の上で氷を押し返している。一錠の熱が、氷渡の冷気と拮抗している。受けられる。受けられるなら、受けた分だけ前に出られる。
彼女の目が見開かれる。距離、二歩。攻め終わった彼女の重心が、つま先から――かかとへ、動いた。
攻めから、守りへ。
継ぎ目。
「そこ、です……!」
僕は最後の一歩を、踏み込んだ。氷壁は、間に合わない。生まれかけの薄い壁を、拳が突き破る。
破った先で、僕は――拳を、開いた。
殴れなかったんじゃない。殴らなかった。代わりに開いた手のひらで、彼女の手首を、掴んだ。
「……っ、離しなさい……!」
「嫌です」
初めて触れた氷渡セツナの手首は、細くて、冷たくて――袖口の奥に、あの凍傷の痕があった。何千回の練習の痕。誰にも見せないように隠してきた、彼女の十年。
「あなた、正気? この距離は、氷渡の距離よ。凍らせられるわよ、腕ごと」
「知ってます。でも、この距離じゃないと」
僕は、彼女の目を見た。嵐の中心は、不思議なくらい静かだった。
「この距離じゃないと、聞こえないと思ったので。――聞きたいことが、あるんです」
「……決闘の最中に、質問?」
「はい。決闘の最中じゃないと、君は絶対、答えてくれないので」
セツナの手首の先で、冷気が渦を巻き始める。桟敷でザクロが立ち上がる気配がする。ヴィムが、目を開けた気配がする。
その全部の真ん中で、彼女は掠れた声で言った。
「……何よ」
「その前に、たぶん、これが来ますよね」
彼女の足元から、今までで一番深い冷気が、噴き上がった。
掴んでいた手首ごと、世界が白に飲まれる寸前――彼女の目が「ごめんなさい」の形に動いたのを、僕は確かに見た。




