第17話 氷嵐
最初の三発は、避けた。
体をひねって一発。伏せて一発。転がって一発。そこまでは、自分でも上出来だったと思う。
四発目は、肩をかすった。制服の肩口が凍って、ぱりぱりと砕けた。五発目は覚えていない。気づいたら氷原を転がっていて、世界が白い横殴りの雪に飲まれていた。
嵐だった。
氷の礫と、刃みたいな冷気と、視界を潰す雪煙。領域全体が、氷渡セツナというひとりの女の子の呼吸に合わせて、うねっていた。息を吸えば雪が濃くなり、吐けば礫が飛ぶ。世界のほうが、彼女の一部になっていた。
「……っ、ぐ……!」
立つ。転がる。氷柱の陰に滑り込む。その氷柱ごと、横から来た冷気に薙ぎ倒される。砕けた氷の破片が頬を切った。痛みより先に、冷たさが刺さる。切られたことに気づくのに、二秒かかった。
風を読む? 無理だ。風なんてもうない。あるのは全部、彼女の「術」だ。世界そのものが敵に回ったら、観察も読みもあったものじゃない。
それでも僕は、氷柱から氷柱へ走った。走るしかなかった。足を止めたら、そこが終点だと、肌でわかったから。
「どうして」
嵐の中心から、声だけが澄んで届いた。
「どうして、まだ立つの」
「……っ、さあ……なんででしょう、ね……!」
「軽口を叩く余裕があるなら、まだ本気で怖がっていないのね。……なら、教えてあげる」
軽口の途中で、足首に冷気が絡んだ。振りほどく。遅い。靴の先が白く凍っている。感覚が、指二本ぶん消えた。
――いつの間にか足が凍ってた。以上、試合終了。
ヴィムの声が頭をよぎる。冗談じゃない。まだだ。まだ、僕は立ってる。
僕は氷柱の陰から陰へ、みっともなく走った。攻撃なんて一度もできていない。距離を詰めようとするたび、氷の壁に阻まれ、槍に追い返され、嵐に転がされる。防戦一方――いや、防戦ですらない。ただ、死んでいないだけだ。
わかっていたことだ。ヴィムは言った。今のお前じゃ百回やって百回凍る、と。三日で「百回に一回」までは持っていってやる、と。
じゃあ、この一回は? 今日のこの一回は、百分の一なのか。百分の九十九なのか。
決めるのは確率じゃない。決めるのは――たぶん、まだ僕の知らない何かだ。
「……ふん」
嵐の切れ間に、桟敷のザクロの声が落ちてきた。独り言のくせに、届くように放たれた独り言だった。
「見えたか、セツナ。あれが真昼の現在地だ。魔力量は雑兵以下。術は皆無。武器は目だけ。逃げ足だけは褒めてやるがな」
「…………」
「安心したぞ。十六代も続けてあの程度なら、真昼の刻印は宝の持ち腐れよ。飼い主のいない番犬に、名刀を咥えさせているようなものだ。――氷渡が持つべきだ。誰よりも、正しく使える家がな」
石の目が、氷柱の中の鈴木くんを、それから僕を、順番に見た。品定めの目だった。魚屋の店先で、切り身の値段を決める目。あの目は、人間を見る目じゃない。在庫を見る目だ。
「五分だ。五分以内に終わらせろ。氷渡の名で、格の違いを刻みつけてやれ」
「……御意」
セツナの返事は、短かった。
短くて、平坦で――ほんの少しだけ、遅かった。
「(……今)」
嵐の中で、僕は見た。見てしまった。
命令に頷く直前、彼女の視線が、一瞬だけ揺れたのを。氷柱の中の鈴木くんへ。それから、僕へ。「格の違いを刻め」と言われた完璧な後継者の目が、瞬き一回ぶんだけ、迷子みたいになったのを。
あの夜の公園の顔だ、と思った。
勝っても道具、負けたら不良品。どっちに転んでも自分のものにならない――そう言って笑った、疲れた女の子の顔。
完璧な氷の鎧の継ぎ目から、あの顔が、まだ覗いている。
「五分もいらないわ」
でも次の瞬間、その顔は嵐の向こうに消えていた。セツナが両手を広げる。領域中の雪と氷が、彼女を中心に、ゆっくりと渦を巻き始めた。氷柱が唸る。氷原が軋む。空そのものが、白く沈んでいく。
「真昼くん。あなたの目は本物よ。三日でここまで来たのも、認める。正直に言えば、少しだけ、驚いてもいる。……でもね」
渦が、加速する。
「観察は、武器じゃないの。観察しても、届かなければ――ただ、絶望が精密になるだけ」
嵐が、来た。
さっきまでの比じゃなかった。氷柱の陰ごと吹き飛ばされた。僕は氷原に叩きつけられ、バウンドして、もう一度叩きつけられ、それでも氷柱の根本に爪を立てて、耐えた。
耐えて、どうなる? わからない。わからないまま、雪煙の切れ間、視界の隅で、僕はまた見てしまった。
鈴木くんを閉じ込めた氷柱が――さっきより、厚くなっている。
「……え……?」
氷は、腰までだったはずだ。
それが今、胸まで、来ていた。




