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いじめられっ子の俺に、魔界No.1暗殺者が家庭教師としてやってきた ~報酬はプリン。ただし俺は、先生の正体をまだ知らない~  作者: 燈野いさり
第1章 家庭教師、来る

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第17話 氷嵐

 最初の三発は、避けた。


 体をひねって一発。伏せて一発。転がって一発。そこまでは、自分でも上出来だったと思う。


 四発目は、肩をかすった。制服の肩口が凍って、ぱりぱりと砕けた。五発目は覚えていない。気づいたら氷原を転がっていて、世界が白い横殴りの雪に飲まれていた。


 嵐だった。


 氷の礫と、刃みたいな冷気と、視界を潰す雪煙。領域全体が、氷渡セツナというひとりの女の子の呼吸に合わせて、うねっていた。息を吸えば雪が濃くなり、吐けば礫が飛ぶ。世界のほうが、彼女の一部になっていた。


「……っ、ぐ……!」


 立つ。転がる。氷柱の陰に滑り込む。その氷柱ごと、横から来た冷気に薙ぎ倒される。砕けた氷の破片が頬を切った。痛みより先に、冷たさが刺さる。切られたことに気づくのに、二秒かかった。


 風を読む? 無理だ。風なんてもうない。あるのは全部、彼女の「術」だ。世界そのものが敵に回ったら、観察も読みもあったものじゃない。


 それでも僕は、氷柱から氷柱へ走った。走るしかなかった。足を止めたら、そこが終点だと、肌でわかったから。


「どうして」


 嵐の中心から、声だけが澄んで届いた。


「どうして、まだ立つの」


「……っ、さあ……なんででしょう、ね……!」


「軽口を叩く余裕があるなら、まだ本気で怖がっていないのね。……なら、教えてあげる」


 軽口の途中で、足首に冷気が絡んだ。振りほどく。遅い。靴の先が白く凍っている。感覚が、指二本ぶん消えた。


 ――いつの間にか足が凍ってた。以上、試合終了。


 ヴィムの声が頭をよぎる。冗談じゃない。まだだ。まだ、僕は立ってる。


 僕は氷柱の陰から陰へ、みっともなく走った。攻撃なんて一度もできていない。距離を詰めようとするたび、氷の壁に阻まれ、槍に追い返され、嵐に転がされる。防戦一方――いや、防戦ですらない。ただ、死んでいないだけだ。


 わかっていたことだ。ヴィムは言った。今のお前じゃ百回やって百回凍る、と。三日で「百回に一回」までは持っていってやる、と。


 じゃあ、この一回は? 今日のこの一回は、百分の一なのか。百分の九十九なのか。


 決めるのは確率じゃない。決めるのは――たぶん、まだ僕の知らない何かだ。


「……ふん」


 嵐の切れ間に、桟敷のザクロの声が落ちてきた。独り言のくせに、届くように放たれた独り言だった。


「見えたか、セツナ。あれが真昼の現在地だ。魔力量は雑兵以下。術は皆無。武器は目だけ。逃げ足だけは褒めてやるがな」


「…………」


「安心したぞ。十六代も続けてあの程度なら、真昼の刻印は宝の持ち腐れよ。飼い主のいない番犬に、名刀を咥えさせているようなものだ。――氷渡が持つべきだ。誰よりも、正しく使える家がな」


 石の目が、氷柱の中の鈴木くんを、それから僕を、順番に見た。品定めの目だった。魚屋の店先で、切り身の値段を決める目。あの目は、人間を見る目じゃない。在庫を見る目だ。


「五分だ。五分以内に終わらせろ。氷渡の名で、格の違いを刻みつけてやれ」


「……御意」


 セツナの返事は、短かった。


 短くて、平坦で――ほんの少しだけ、遅かった。


「(……今)」


 嵐の中で、僕は見た。見てしまった。


 命令に頷く直前、彼女の視線が、一瞬だけ揺れたのを。氷柱の中の鈴木くんへ。それから、僕へ。「格の違いを刻め」と言われた完璧な後継者の目が、瞬き一回ぶんだけ、迷子みたいになったのを。


 あの夜の公園の顔だ、と思った。


 勝っても道具、負けたら不良品。どっちに転んでも自分のものにならない――そう言って笑った、疲れた女の子の顔。


 完璧な氷の鎧の継ぎ目から、あの顔が、まだ覗いている。


「五分もいらないわ」


 でも次の瞬間、その顔は嵐の向こうに消えていた。セツナが両手を広げる。領域中の雪と氷が、彼女を中心に、ゆっくりと渦を巻き始めた。氷柱が唸る。氷原が軋む。空そのものが、白く沈んでいく。


「真昼くん。あなたの目は本物よ。三日でここまで来たのも、認める。正直に言えば、少しだけ、驚いてもいる。……でもね」


 渦が、加速する。


「観察は、武器じゃないの。観察しても、届かなければ――ただ、絶望が精密になるだけ」


 嵐が、来た。


 さっきまでの比じゃなかった。氷柱の陰ごと吹き飛ばされた。僕は氷原に叩きつけられ、バウンドして、もう一度叩きつけられ、それでも氷柱の根本に爪を立てて、耐えた。


 耐えて、どうなる? わからない。わからないまま、雪煙の切れ間、視界の隅で、僕はまた見てしまった。


 鈴木くんを閉じ込めた氷柱が――さっきより、厚くなっている。


「……え……?」


 氷は、腰までだったはずだ。


 それが今、胸まで、来ていた。


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