第11話 特訓一日目・氷を知る
特訓一日目の会場は、河川敷の橋の下だった。
「氷渡の術の恐ろしさはな、威力じゃねえ。『静かさ』だ」
ヴィムはクーラーボックスを開けた。中には市販のロックアイスと、保冷剤と、プリン(勝手に入れるな)。
「炎や雷は、来るのが見える。音もする。だが冷気は――気づいた時には、もう浸かってる。氷渡と戦った奴の負け方は、だいたい同じだ。『いつの間にか足が凍ってた』。以上、試合終了」
「い、嫌な負け方ですね……」
「だから今日の科目は『氷を知る』だ。ほれ」
ヴィムが指を鳴らすと、ロックアイスがふわりと浮き上がり、僕の周りをゆっくり旋回し始めた。魔力で氷を操っているらしい。氷渡の術の、超劣化版の再現だそうだ。
「目をつぶれ。で、氷がどこにあるか、当て続けろ」
「見ないで、ですか!?」
「冷気は肌で読め。気配察知の応用だ。氷が近づくと、産毛が先に知る」
……これが、思ったより、できた。
目を閉じると、頬や腕の表面が、氷の位置をぼんやり教えてくれる。右のこめかみ。左手首。首の後ろ。ヴィムの罠で鍛えられた「いつもと違うもの」への感覚が、温度にも働くらしい。
「上。……右肘。……後ろ、二個」
「……ふん。初日でこれか」
ヴィムの声が、ちょっとだけ悔しそうだったのは気のせいだろうか。
「調子に乗るなよ。本番の冷気はこんなもんじゃねえ。領域全体が氷点下だ。『冷たい場所を探す』んじゃなく『冷たさの中の、より殺意のある冷たさ』を探すことになる」
「殺意のある冷たさ……」
「それと坊ちゃん、もう一個大事なことを教えといてやる」
ヴィムは浮いていた氷を全部、ぱしゃんと川に落とした。
「氷渡の術には、癖がある。発動の一瞬前、必ず『風が止まる』」
「風が?」
「冷気で空気を固めるからだ。嬢ちゃんクラスの使い手だと止まるのは半径数メートル、時間にして瞬き半分。……普通の奴には知覚できねえ。だが」
ヴィムは、にっと笑って僕を指さした。
「観察の化け物なら、話は別だろ?」
◇
翌日の学校で、氷渡セツナは完璧だった。
完璧に、いつも通りだった。
女子と笑い、先生に頼られ、僕とすれ違っても視線ひとつ動かさない。三日後に僕と決闘する人間には、まるで見えない。あの屋上の出来事のほうが夢だったんじゃないかと思えてくる。
でも、観察の宿題を続けている僕は、見てしまった。
六時間目の英語。教科書のページをめくる、彼女の指先。
――荒れてる。
指のはらに、細かいひび割れ。爪の際に、治りかけのあかぎれみたいな痕。あれは、たぶん、凍傷の痕だ。何百回、何千回と氷の術を練習してきた手だ。
完璧な転校生の、完璧じゃない指先。
彼女はそれを、誰にも見せないように、いつも袖口を軽く引いて隠している。今日、僕が気づけたのは、たまたま風でカーテンが膨らんで、彼女が一瞬だけ、両手でそれを押さえたからだ。
「(……あの人も、朝五時に叩き起こされてきたのかな)」
ふと、そんなことを思った。
物心つく前から術を仕込まれたエリート。笑顔を鏡で練習する子供。凍傷の痕を袖で隠す指。
――お前がこれから戦う相手は、怪物じゃねえ。お前と同い年の、家の道具にされてる子供だ。
放課後、僕は自分のノートに、今日の観察を書いた。
『氷渡さんの指は、努力の痕を隠している。あの人は、頑張ってることを人に見せちゃいけないと思ってる』
書いてから、ペンが止まった。
変だな、と思った。
三日後に僕を潰しに来る相手のことを知れば知るほど、怖くなるはずなのに――なんでだろう。
怖さと一緒に、別のものが、胸の底に溜まっていく。
この感じの名前を、僕はまだ知らない。




