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一寸先は闇

物語の設定上、様々な死に方を示唆する表現、描写がございます。

ご了承の上お読みいただけますと幸いです。

「……これはまた、随分と珍しい光景で。」


彼岸を見回っている蝶達が、いつになく騒々しいので急ぎ駆け付けてみると、見知らぬ犬に追いかけられていた。

ある蝶は飛びかかってくる犬から必死に逃げ惑い、また別の蝶は犬の鼻先近くや頭上で挑発するように舞い、彼岸花の間を縫い移ろいながら、数匹の黒蝶と一匹の茶色い犬は戯れている。左前に衿を重ねた黒い着物の下に立ち襟の白いブラウス、赤い袴と編み上げの黒いブーツを履いた女は、目の前に広がる光景に少し驚きつつも、どこか面白そうにしばらく遠くから眺めていた。


ふと、逃げ回っていた一匹の蝶が女の元に一直線に飛んできた。女の黒髪を纏めている彼岸花を模した簪に器用に留まると、まるで、観ていたなら助けろと抗議するかの様に羽をばたつかせる。


「あら……それは大変でしたね。ご苦労さまです。」


女が可笑しそうにフフッと笑っていると、他の蝶達も女の元へ集まってきた。蝶達は順々に女の袴に掴まると布へ染み込むように溶けていき、やがて美しい柄へと姿を変えた。女はそれを確認すると、次に、じっとこちらを見つめている犬の方へ歩みを進めた。驚かせないように、手に持っている錫杖からなるべく音を立てずに近づくと、犬から少し距離を置いた所で女は立ち止まった。

三角形に垂れた両耳、くるんと一巻した尻尾が愛らしい中型犬は、女を警戒する素振りを見せたが敵意が無い事がわかると、恐る恐る女に近づき暫し匂いを嗅ぎ回り、満足したのか女の前でお座りし顔を見上げた。


「飼い犬の守護霊ですか。ご主人に着いてきたのですか。」


女はその場に屈むと、優しい手つきで犬を撫でる。犬は気持ちよさそうに目を細め、左右に軽く尻尾を振った。

本来彼岸に居るはずのない動物を目の当たりにし、さてどうしたものかと女が思案していると、バッと突然犬は後ろを振り返った。耳を少し動かしたかと思うと、女の顔を一瞥し振り返った先へと小走りに向かっていく。そして、少し進んだ先でまた女の方に振り返った。着いてこい、という事のようだ。


――案内人が案内されるとは、此度は本当に珍しい。

女は楽しげな笑みを浮かべ、先を往く犬の後を追った。



* * * * * * * * * * *



辺り一面の彼岸花と静かに流れる大きな川の景色に、青年は大いに困惑していた。真っ暗な空間をがむしゃらに進み、気が付くとこの場所に辿り着いていた。一緒に居たはずの友人達は疎か、人……いや、生物が居る気配がしない。


「すみませーん!誰か居ませんかー!」


なけなしの希望に縋り声を張り上げてみたものの、返ってきたのは川の静かなせせらぎだけであった。青年はその場に立ち竦み、どうしてこの様な状況に陥ったのか振り返る。

な(・)に(・)か(・)に追われ逃げ込んだトンネルは、来る時に通った際はたいした長さではなかった。それなのに、走っても走ってもトンネルを抜けられない。それどころかどんどん周囲は暗くなり、いつしか自分の姿すらわからない程の暗闇に包まれた。身体の輪郭が無くなり暗闇に溶けて混じり合う感覚に、青年が恐怖し半狂乱になりかけたその時、動物の吠える声と共に遠くで何かが明るく光った。導く様に瞬く光に向かって、青年は一目散に駆け出した。この光は一体何なのか、先程から聞こえる鳴き声に何故聞き馴染みがあるのか、その時の青年に考えている暇は無かった。


――あぁ、そうだ。あれは犬の、あの子の鳴き声だ。

少し落ち着きを取り戻した青年は、何かを探すように改めて周囲を見渡す。相変わらず生き物の気配は感じないが、浮世離れした景色からどこか神秘的な雰囲気を感じる。ここでなら、亡くなったあの子にも会えるような気がした。


「コウタロー!」


青年は、かつて一緒に暮らしていた愛犬の名前を叫んだ。



* * * * * * * * * * *



自分が5歳の時、母と公園に行った際、茂みに隠れるように蹲る痩せ細った成犬を発見し保護した。ボロボロの首輪を着けてはいたが、人馴れはしておらずむしろ酷く怯え震えていた。いくつかの傷や、毛が抜けて皮膚が見えている所も見受けられ、この子はかなり辛い目に合ったのだろう、と幼いながらに察し悲しくなった。

動物病院に連れていった後、両親はそのまま愛護センターか保護団体に迷子犬として引き渡そうとしたが、自分がその子の世話をしたいと食い下がった。渋る両親にあれだけの我が儘を言ったのは、おそらく後にも先にもこの時だけだった。最終的に両親が折れ、元の飼い主が見つかるまでの間という条件で家で飼うことになった。


犬は大人が近づくと怯えるため、宣言通り自分が両親に手伝ってもらいながら世話をした。犬の警戒が解かれるまでかなりの時間を要したが、浮き出ていた骨が見えなくなり毛艶が良くなってきた頃、犬は差し出した手に唸ることなく体を撫でさせてくれた。その時に感じた喜びと感動はひとしおで、すぐに両親に報告した事を覚えている。結局元の飼い主は見つからず、その頃には両親も犬に愛着を抱いていたため、正式に我が家で引き取った。この子はきっと自分達に沢山の幸せをもたらしてくれるだろう。そして、この子自身もこれから沢山の幸せを感じて欲しい。そう願いを込め、新たな家族の一員に「幸太郎(こうたろう)」という名前を贈った。


以降、幸太郎とはおもちゃを取り合いつつも仲良く遊び、どちらかが両親に叱られた時には慰め合い、妹が誕生した時には一緒に子守りをし、散歩しながら登校を見守ってもらい、時に兄弟の様に、時にお互いが保護者となり一人と一匹は暮らした。月日が経ち、老犬になり一日の大半を寝て過ごすようになった幸太郎だが、当時受験勉強のためほとんど家に居なかった自分が帰ってくると、ふらつく足でなんとか立ち上がり出迎えてくれた。そして、希望の大学に合格した報告を聞き届けると、その数日後に家族に見守られながら虹の橋を渡った。



* * * * * * * * * * *



トンネルの中で聞いた鳴き声が聞こえる。

青年が声のする方へ振り向くと、何かが彼岸花の間を掻き分け、こちらに向かって一目散に駆けて来ている。そして、茶色い塊が青年に飛び掛り、思わず情けない声をあげながら青年は尻もちを着いた。茶色い塊はちぎれんばかりに尻尾を振り、甘えるように鼻で鳴きながら青年の顔を舐め回している。紛れもない、元気に遊んでいた頃の幸太郎であった。


――俺の背が今位に伸びた頃にはもう幸太郎はおじいちゃんで、こんな風に元気に飛び付くことも無かったな。

そんな事を思い出しながら、青年は愛犬との久々の再会に涙ぐみ、何度も何度も名前を呼びながら彼を抱きしめ撫でまわした。


一人と一匹が喜びを分かち合う様子を、女は離れた所からそっと眺めていた。突如飛ぶように駆けて行ってしまった犬を追った先では、なんとも微笑ましい情景が広がっており、声を掛けて水を差す無粋な真似はしたくなかった。

しばらくすると、犬が女の方へ振り返り呼ぶ様にひと吠えし、それに釣られ青年も視線を向ける。目を大きく開き、人(らしき者)が居る事への驚きと安堵が混じった様子が伺える。女は青年と犬の元へ歩みを進める。錫杖から小気味よく、それでいて厳かな金属音が辺りに響く。


「ご案内いただきありがとうございます。あとは私(わたくし)にお任せくださいませ。」


女が犬を見つめ礼を言うと、犬は青年の足元に伏せ前足にあごを乗せた。女は次に青年の正面に立ち、挨拶をしようと口を開いた。


「あの、すみません!俺道に迷って、友達とはぐれちゃって。〇×トンネルに行きたいんですが、ここからどう行けば良いか教えてもらえませんか!」


それより先に慌てた青年に尋ねられ、女は少々面食らいつつも、その質問には応えずジッと青年の様子を伺う。彼岸(ここ)がどういう場所か知らない事は致し方ないが、自身がど(・)う(・)な(・)っ(・)て(・)し(・)ま(・)っ(・)た(・)かも自覚が無いらしい。いきなり事実を伝えても受け入れ難いだろう。


「??……あ、すみません。いきなり迷惑でしたよね……。」

「いえ、こちらこそお応えもせず大変失礼致しました。改めまして、私はここで案内人を務めております。道案内をご所望でしたら、どうぞ私にお任せくださいませ。」

「本当ですか!!良かったぁ……。」

「ですが、その前に。よろしければ、貴方様がどのような経緯でこの場所にいらっしゃったのか、お聞かせいただけますか。」


女、もとい案内人は青年に説明を促す。丁寧な口調だが、どこか有無を言わせぬ圧を感じる。青年は少したじろぎつつも、記憶を辿りながらぽつりぽつりと話し始めた。

大学の夏休みに友人3人と肝試しに来た事。友人の車で〇×トンネルへ向かい、心霊スポットと言われている、トンネルとその先にある廃村を探索して帰る予定であった事。お互いにふざけて脅かし合いつつ、しばらく探索したが特に何も無かった事。


「それで、そろそろ帰ろうってトンネルに戻っていたんですけど……。」


青年の顔が一気に曇る。身体の震えを抑えるように、右手で自身の左肩をぎゅっと掴む。


「何かに、遭遇されたのですね。」

「……最初は、よく見えなかったんです。黒い靄(もや)みたいで。ただ、少しずつ大きくなってる気がして、みんなで見てたんです。そしたら段々、目みたいなのが出てきて……濁った瞳が、はっきりと俺達を見て笑ったんです。それで、俺、気づいちゃって……大きくなってるんじゃなくて、こ(・)っ(・)ち(・)に(・)近(・)づ(・)い(・)て(・)る(・)んだって。」


そこからは阿鼻叫喚。皆なりふり構わず、我先に逃げ出そうとトンネルへ向かって一目散に走り出した。トンネルを抜け、停めてある車に乗り込み直ぐ様その場を離れる、はずだった。



* * * * * * * * * * *



「――だから、こいつのおかげで俺はトンネルを抜けられたんです。」


青年はトンネル内での出来事を語りながら、愛しそうに犬を見つめた。犬はゴロンとお腹を見せ、嬉しそうに青年に撫でられている。


「成程、そうしてお二方は彼岸(こちら)にいらっしゃったのですね。」

「他のみんなも無事でしょうか。この後合流できたら良いんですが……。」

「あいにくですが、ご友人の皆様との再会は諦めた方がよろしいかと。」


さも当然のようにさらっと応える様子に、青年は呆気にとられ、思わずまじまじと案内人の顔を見つめる。この人は何故そんな事を平然と言ってのけるのか、軽い憤りすら湧いてくる。そんな青年を意に介さず、案内人は淡々と話を進める。


「まずは貴方様の身に何が起こったのか、ご理解いただかなければなりませんね。端的に申し上げますと、貴方様はトンネル内で既に亡くなっております。そうして冥土、つまり死者の魂が集まる世界にある、彼岸と呼ばれるこの場所に辿り着いたのです。」

「…………は、え?ちょっと、何言ってるんですか……。」

「守護霊であるそちらの方と触れ合えているのは、貴方様の魂が身体から離れ、霊体となられたからに他なりません。そしてもちろん、私も霊体であり生身の人間ではございません。」

「そん、な……俺、死んでるんですか?」

「曰くのある場所とはそう語られるだけの理由がございます。無闇に近づけば身を危険に晒し、最悪死に至る。皆様の軽率な行いの結果でございます。」


青年は困惑した様子で傍らに居る犬へ顔を向ける。犬もまた、心配そうな目で青年の顔を見つめ返した。


――あれ、幸太郎のおかげで俺はここに居るなら、他のみんなは?

ふと疑問が湧いたと同時に、青年は嫌な予感に顔を強ばらせる。案内人の“再会は諦めた方がよろしい”という発言が、自分自身が死んでいるから、という理由だけでないとしたら……。


「あの、もしかして……俺以外のみんなは、まだトンネルに……。」

「捕らわれたままでしょうね。遭遇された黒い何物かに取り込まれていれば、おそらくご遺体も見つからないでしょう。」

「!!……助ける方法は、あるんですか。」

「そうですね……現世で余程お力のある方がそこを祓えば可能性もございますが、怪異に蝕まれた魂は大抵自我が崩壊しているそうなので、完全な救済とはいかないでしょう。少なくとも、貴方様は現世には戻れませんし、仮に戻れたとて出来ることは何もございません。」


青年は愕然とし、その場に手を突き項垂れる。既に動いていない心臓の辺りが苦しい。夏休みの楽しい思い出作りが、一転自身の命も友も失い、その友は死して尚救われず暗闇の中で苦しみ続けている。悲しみ、怒り、後悔、無念……様々な感情が頭を駆け巡り、思わず喉の奥から呻き声が漏れる。


「……想う事は多々ございましょうが、もしご自分の魂だけが救われた罪悪感を抱いているのでしたら、お隣の方が可哀想ですよ。」


青年の傍らで悲しそうな、どこか申し訳なさそうな表情の犬を見つめながら案内人は告げた。青年はゆっくりと顔を上げ、案内人、そして犬へと視線を移す。


「おそらく、例のトンネルは冥土と限りなく近い空間であったと推測されます。守護霊といえど、元来飼われていた動物の霊に強い力はございません。繋がりやすかった彼岸(ここ)へ貴方様一人の魂を導くだけで、その方には精一杯だったのでしょう。」


案内人の言葉に青年はハッとした表情をする。そして、犬と向き合うと優しく微笑みそっと犬を抱きしめた。


「そんな顔するな、幸太郎。……迎えに来てくれて、ありがとう。」


案内人は幸太郎を守護霊と言った。きっと傍でずっと見守ってくれていたのだろう。危険な事をして命を落としたのは自分の所為だ。死んでも尚、自分を愛し寄り添い、なんとか助けようとしてくれた家族に責任を感じて欲しくなかった。


犬は青年に頬を寄せる。垂れていた尻尾が再び巻かれ、フリフリとゆっくり左右に揺れている。

案内人は一人と一匹がしばらく寄り添い合うのを見届けると、さて、と声を掛けた。


「状況をご理解いただけた様ですし、そろそろ私も勤めを果たしましょう。」

「勤め、というのは……?」


青年の問いかけに案内人はニコリと微笑むと、胸に手を当て丁寧にお辞儀をした。


「ここ彼岸へ迷い込み、お困りの亡者の皆様を正しい旅路へとご案内する。それが、私『彼岸の案内人』の勤めにございます。」



* * * * * * * * * * *



犬は嬉しそうに尻尾を振りながら、ピタリと青年の横に張り付き頻りに顔を見上げる。青年もまた、犬を見つめながら楽しそうに道無き道を進む。案内人は先を歩き先導しつつも、普段よりゆっくりと歩みを進め、一人と一匹の散歩を出来る限り引き延ばしていた。

しかし、別れの時間は刻一刻と迫る。衣服が掛かった大木がよく見える、開けた川原に到着し案内人は足を止めた。


「あちらが、他の亡者の皆様との合流地点でございます。」

「……じゃあ、ここで……お別れ、ですね。」


青年は膝を突き犬と目線を合わせる。目に涙を貯め、それでも精一杯の笑顔を作る。


「幸太郎、最期まで着いてきてくれて、ありがとう。……父さんと、母さんと、ユイを、俺の代わりに、今度は家族を見守ってくれ。男同士の約束な。」


犬は青年を真っ直ぐに見つめ、ワンとひと吠えした。青年はひしと犬を抱きしめ目一杯撫で回すと、名残惜しそうに、しかし意を決した表情で手を離し立ち上がった。そして、今度は案内人の方へ振り返る。


「案内人さんも、ここまでありがとうございました。幸太郎の事、よろしくお願いします。」

「承りました。貴方様に代わり、責任持って動物霊界へお見送り致します。」

「……また、幸太郎とは会えるんですよね。」

「無事浄土へ往く許しを得られれば、共に過ごす事も出来るでしょう。どの様な結果と成るかは十王様のご判断次第ではございますが、私からは、貴方様のご冥福をお祈り申し上げます。」

「ありがとうございます。……行ってくるな、幸太郎。また会おうな。」


青年は大木の方へ進んでいく。時折目元を拭いつつも、犬と案内人の方へは一切振り返らず、歩みを止めることは無かった。犬は青年の背中が見えなくなるまで、その場にじっと佇んでいた。


「……我々も向かいましょうか。先触れを出しておりますので、貴方様のお迎えも来ているはずです。」


案内人が犬の背後からそっと声を掛ける。犬は暫しそのまま動かなかったが、勢いよく立ち上がると案内人の元へ歩み寄る。その顔は凛々しく前を向いていた。


案内人と犬は共に歩き出す。彼岸花の群れが優しく一人と一匹と飲み込み、その姿を隠していく。辺りには、錫杖が奏でる心地良い金属音が響いていた。



『一寸先は闇』 終


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