鬼の念仏
物語の設定上、様々な死に方を示唆する表現、描写がございます。また、今回は暴力的な描写が多くございます。
ご了承の上お読みいただけますと幸いです。
衿を左前に重ねた黒い着物の下に立ち襟の白いフリルブラウス、所々黒い蝶の柄が入った赤い袴、編み上げの黒いブーツを身につけ、長い黒髪を簪で結い上げた女は、いつになく足早に一面の彼岸花の中を進んでいく。手に持った錫杖から、普段より少々忙しない音が辺りに響く。
しばらく歩いていくと、上空に円を描きながら舞う黒い蝶を発見した。最初に知らせを受けた地点から随分と離れている。大抵の人は、見知らぬ場所に困惑しその場で呆然としている事が多いが、今回此処に降り立った者は相当肝が据わっているらしい。動かずに居てくれた方が探す身としては有難い、と女は内心で愚痴をこぼしつつ、こちらに気づき近寄ってきた黒蝶を迎え入れる。蝶がヒラリと肩口に留まり羽を広げたり閉じたりを繰り返すと、女は眉をひそめ蝶に目線を送った。
「承知しました。では、急ぎあの方にもご連絡を。」
蝶が飛び立ちどこかへ飛んでいくのを見届け、女は亡者が居るであろう場所へ向かって再び歩き出した。
* * * * * * * * * * *
三十代位の顔の整った男は、彼岸花を手折ったり川に手を浸けたりしながら其処に居た。スリーピースの消し炭色のスーツを華麗に着こなした姿は、あまりにも周囲の景色とそぐわず浮いている。ふと、微かな金属音を捉えた男は音のする方へ視線を向けると、誰かが杖を突きながら自身の方へ近づいている事に気がついた。男はにこやかな笑みを浮かべ、自らもその人物へ近づいていく。こうして、着物の女とスーツの男は相対した。
「こんにちは。良かった、やっと人らしき方に会えました。危うく死に際に妄想の世界でも作ったのかと、自分を疑うところでしたよ。」
「ご機嫌よう。そして、この度はご愁傷さまです。ご自身が亡くなられた事はご承知なのですね。」
「ええ勿論。しかし、私は長らく無神論者で死んだらそれで終わりだと考えていたので、死後にこんな世界があるとは思いもしませんでした。」
男は笑みを絶やさずに辺りを興味深げに見回す。女もまた、微笑みを崩さずに会話を続ける。
「ここは死者の魂が集う場所、冥土でございます。亡者の皆様は旅路の間に十王様の裁判を受け、その判決により浄土又は地獄へ送られます。」
「あぁやはり、この川は三途の川なのか……。だとすると、私の記憶違いでなければ、川に辿り着く前にまず山に登り、それから最初の審判を受けるはずですが。」
「よくご存知で。本来であれば貴方様の仰る通りなのですが、稀に三途の川を超え、直接ここ彼岸に降り立ってしまう方がいらっしゃいます。」
「では私はその稀有な亡者の一人という事ですね。何か理由や条件があるのか、貴女はご存知ですか?」
「寿命を迎える前に亡くなった方々である事は確かでございます。あとは、一概には申せませんが、ご自身の死を強く願った方がよくいらっしゃる様に存じます。」
「……成程、納得しました。」
男は一瞬目を伏せたが、直ぐに元の笑顔で女に笑いかける。そんな男の様子を伺いつつ、女は「あぁ」と呟くと、姿勢を正し一礼する。
「申し遅れました。私は冥土の旅路から外れてしまった亡者の皆様をご案内する、『彼岸の案内人』と申します。僭越ながら、貴方様を正しい順路へお連れするためお迎えに上がりました。」
「これはどうも、ご丁寧に。早速ですが、案内していただいても?」
「勿論でございます。では、参りましょうか。」
女、もとい案内人と男は川沿いに、彼岸花が咲き乱れる道無き道を歩き始めた。
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「へぇ、食事の必要は無いのに味覚はちゃんと有るというのは、中々面白いですね。」
「食事は生前では身体を維持するための行為でございますが、死後の世界では、精神の安定維持のための娯楽の一つとして成り立たつ様、味が分かるようになっていると言われております。」
「喫煙や飲酒と同じ嗜好品の枠組みなのですね。」
これから向かう場所、そこからの旅路の流れ、冥土での様々な事柄を案内人が道中説明をし、男が度々質問をしながら二人は進んでいく。男は特に現在の自身の状態、“魂”という存在に強く興味を惹かれたようであった。
「見た目の姿形が変わる事も含め、魂は記憶や感情と密接な繋がりがあるのですね。死んでからも新たな知識を得られるとは、嬉しい限りです。」
「随分と博識ですし、生前もかなりの勉強家でいらっしゃったのですね。」
「旺盛な知的好奇心故ですがね。まぁでも、色々な事を知っていると人と話を合わせやすいですし、信頼も得やすかったですよ。おかげで色々な物事が順調でした、この見た目の頃までは。」
男は自身の顔を指差し案内人に笑顔を向ける。
「それ以降の人生は退屈で退屈で。早くつまらない時間が終わらないかと願っていました。」
「ご自身が命を落とした事は、然程悲観されていないのですね。」
「むしろ、死後の世界が本当に存在すると知っていたなら、もっと早く殺して欲したかった位です。」
「……左様でございますか。」
「ああ、そうだ。貴女に尋ねたい事がもう一つありました。」
案内人の引き気味の返事を意に介さず、男は自身の手首を見せながら質問を口にする。
「この模様は何の目印ですか。貴女がずっと私を警戒している理由はコレでしょう?」
ワイシャツの袖からチラリと見える男の両手首には、鮮血の様な真っ赤な縄痕が一本ずつ付いている。
――やはり明敏で、厄介な人だ。
案内人はスッと目を細める。
「……手首の縄痕は、生前に重罪を犯した者の証でございます。罪が重いほど赤みが強く浮き上がります。思い当たる節がございましょう、元死刑囚殿?」
「おや、そんな事までバレていますか。これは困ったなぁ。」
言葉とは裏腹に、余裕綽々といった表情で男はニヤリと笑う。
「やっぱり私は地獄に落とされるのでしょうか。刑に服して自分の命で償ったのに、死んでもその事で罰せられるなんて、理不尽だと思いませんか?」
「貴方様をどう裁くかは十王様方がご判断されますので、私の口からは何とも。ですが、死後の裁判において生前きちんと服罪し反省されている方は、それらを考慮され減刑や不問となりますよ。」
「それは吉報です!あの長い退屈な日々も、決して無駄では無かったのですね。」
「ええ、全ての罪を償っていれば、ですが。」
男の顔から表情が消える。案内人は、相変わらず口元は緩く弧を描きつつも、男を捉える細められた瞳は暗く冷ややかであった。
「……と、言いますと?」
「罪を犯した者であっても、生前に反省し十分な償いをしていれば痕が付く事はございません。つまり、貴方様はそうでは無い人物であると、その手首の痕は周囲に警告しているのです。……痕の数は罪の数だけ付けられます。二人分の命を奪った責任は、現世では知られずに済んだようですが、死後の世界では見過ごされませんよ。」
男と案内人は暫し無言で対峙する。穏やかな川のせせらぎだけが聞こえる中、男が盛大な溜め息を吐き静寂を破る。
「あれは事故と判断されましたし、当時の私はまだ未成年ですよ。」
「そうなるよう仕向けたのでしょう。明確な殺意を持って事に及んだのであれば、十王様の裁きに年齢は考慮されません。それと、これは私の予想ではございますが、袖から見えない部分にまだ数本、真っ赤では無いでしょうが縄痕があるのではありませんか。」
「……ったく、要は僕の地獄行きは決定事項ってコトだ。キャラ作って損した。」
先程までの温和で紳士的な態度は影を潜め、男は品のない不敵な笑みを浮かべ、品定めする様な目つきを案内人へ向ける。
「キミ、なんか色々言ってくるけど、別に裁いたり罰を与えたりする権限は無いんだろ。」
「はい、私はあくまで案内人で――」
けたたましい金属音と共に錫杖が倒れる。押し倒された衝撃で、案内人の簪が外れ黒髪が地面に広がる。
男は案内人に馬乗りになり、細い首に手を掛けた。案内人は特に抵抗せず、冷淡な目つきで男を見つめた。
「どうせ地獄に行くなら、ちょっと遊んだところで変わらないでしょ?付き合ってよ、案内人さん。」
「お止めになった方、がッ……よろ、しぃ…ッ……」
「澄ました顔して、つまんねぇ女だな。泣き叫んで暴れて助けを呼ぶぐらいしてくれない?まぁ、そんな事しても周りに誰も居ないけどさ。」
男が腕に体重を掛けていくにつれ、案内人は次第に苦しげな表情を見せる。その様子に、男は下劣な満面の笑みを浮かべる。
「やっぱり痛みや苦しみは感じるのか!生身ならこのままだと死ぬけど、魂の場合は気絶?苦しいまま?教えてくれよ!あぁ、傷付けたらどうなるかも知りたいなぁ……!」
「お前自身で確かめたらどうだ。」
突然低い声が聞こえたかと思うと、何かが男と案内人の間で空を切る。同時に案内人は息苦しさから解放され、そして、
――『ゴロン』
男の両手が、地面に転がった。
「…………は?」
男は状況を理解出来ず寸刻呆然とした。が、瞬く間に味わったことの無い激痛に襲われ、獣の咆哮にも似た絶叫を上げる。周囲の土を撥ね飛ばし、彼岸花をなぎ倒しながら派手にのたうち回る。
「喧しいな。」
低い声の主は冷めた口調で呟くと、暴れている男の頭を踏み付け、悲鳴を上げる男の口中に、手に持っている刀を躊躇無く突き立てうなじを貫いた。
「そのうち傷は元に戻る。大人しくしていろ。」
暫し身を捩り四肢をばたつかせていた男だが、やがて痙攣を起こし段々と動かなくなった。男からは声にならない音が微かに発せられており、未だ意識を保っている、否、手放せない様であった。
切断された手首からも、貫かれた喉からも出血は無く、切断面には黒い靄がかかっている。転がっている両手は、風化する様に少しずつ塵になり次第に消えていった。
案内人が身を起こすと、刀を携えた人物――詰襟の黒い軍服を着て軍帽を被った男は、案内人に歩み寄り手を差し出す。
「すまない案内人。遅くなった。」
「いえいえ。お手数をお掛け致しました、獄卒さん。」
軍服の男、もとい獄卒の手を取り案内人は立ち上がった。
「やはり、先触れを出しておいて正解でした。助けていただきありがとうございます。」
「構わない。これも仕事だ。」
「お心遣い、痛み入ります。」
獄卒は終始無表情で淡々と喋るが、決して冷酷なわけでは無い事を案内人は理解している。彼の職務を全うする実直な性格が言葉の端々から感じ取れ、案内人は思わず顔が綻んだ。
「では、あの亡者はこのまま引き取らせてもらう。」
「かしこまりました。よろしくお願いいたします。」
獄卒は再び倒れている男の元へ近づくと、刺したままだった愛刀を勢いよく抜き取る。痛みに顔を歪め身悶える男を気にすること無く、姿勢を正し、そのまま刀の切っ先を地面に当てる。
「 開 門 」
獄卒の言葉と共に、男の真下に黒くおどろおどろしい穴が広がる。驚いた男は逃げようとするも、無数の手の様な黒い影が男を掴み、少しずつ穴へ引きずり込んでいく。
「十王様のお膝元で他者に危害を加えた亡者は、審理を待たず即刻地獄送りとなる。生前の行いに対する判決は、此度の罰を受けながら平身低頭して待て。」
澄んだ青空の様な美しい瞳の奥で、縦長の瞳孔が男を見下ろす。男は戦慄し、なんとか言葉を発しようと藻掻くも、泣き叫ぶ事も、助けを呼ぶ事も、許しを乞う事も、今の男には許されなかった。
「お前が自身を省みて、償いの心を持てるようになる事を、切に願っている。」
縋るように二人を見つめる男に、獄卒は餞別の言葉を送る。案内人は一礼し、沈み行く男を見送る。
やがて、完全に男の姿が見えなくなると、獄卒は静かに門を閉じた。
「改めまして、お力添えいただきありがとうございました。」
「大したことはない。案内人も、ご苦労だったな。」
案内人が獄卒の背中に向かって言葉を掛けると、獄卒は振り返り案内人を労う。辺りには再び穏やかな静寂が訪れる。なぎ倒された彼岸花たちも、いつの間にか元の姿に戻り綺麗に地面を彩っていた。
獄卒は地面に転がっている錫杖と簪を丁寧に拾い上げる。案内人は礼を伝え受け取ろうとした、が、獄卒に静止される。
「持っておく。先に服を直せ。」
押し倒されている間に、服装が少し乱れたらしい。案内人は獄卒の気遣いに甘えることにした。
「しかし、獄卒の武器ほどの威力は無いにせよ、杖で殴るくらいしても良かったんじゃないか。」
「あら、そんな事をすれば私も獄卒さんのお世話になってしまいます。」
「正当防衛だろ。」
「それを判断するのは、十王様方でございます。」
手際良く服を整えながら、案内人は受け答えする。
「――私も、審判を待つただの亡者ですもの。」
普段はフリルで見えない案内人の首には、はっきりと青痣の様な縄痕が浮かんでいた。
『鬼の念仏』 終




