第6話③「春森のどかの一番長い日」
◆
各チームが動いた。
弾幕が角度を変え、銀弾が軌道を誘導し、転移パンチが退路を塞ぐ。一つ一つは小さな力だった。
二人にとっては、蚊に刺される程度のものだったかもしれない。だがその蚊が四方八方から、一糸乱れぬタイミングで襲いかかってくる。
肝心の勇者と魔王は、背中合わせのまま言い争っていた。
互いの因縁に夢中だった。友であり敵であり、世界の命運を背負った二人。その視界には互いしか映っていない。自分たちが少しずつ、じりじりと追い込まれていることに気づいていない。
のどかはモニターの端で、エリア移動システムの稼働状況を確認していた。予定ポイントまでの距離が縮まっていく。数字が減るたびに、少しだけ息がしやすくなる。
――予定ポイント到着。
モニターの映像が切り替わった。そこに待ち構えていたのは消防隊だった。
消防車が横一列に並んでいる。赤い車体が埃と粉塵にまみれているが、隊員たちの表情には緊張と、それ以上の気合が満ちていた。ホースを構えた隊員が、勇者と魔王を見上げている。
通信に、消防のまとめ役の声が割り込んだ。
「よぉレッド、待ってたぜ。カッカした頭ぁ冷やしてやるよ」
「消防が来てくれると心強いな。火の元は任せるぞ」
「火の元どころか、水の元だがな。市民の安全を守るのは、何もヒーローだけの仕事じゃねぇんだ」
消防のまとめ役が合図を出した。
「放水開始!」
ホースから放たれたのは水ではなかった。
透明なゼリー状の液体が、勇者と魔王に向かって放射された。空中で膨張し、二人を包み込むように広がっていく。やがてそれは巨大な塊となり——スライムになった。
消防用に遺伝子改造されたスライム。半透明のゼリー状の巨体が、勇者と魔王をその内部に取り込んでいく。二人の動きが鈍る。剣も魔法も、粘性の壁に阻まれて威力を発揮できない。
「お前らの世界にもいるだろ、定番のこいつ。剣と魔法のファンタジーだっけ?」
消防のまとめ役が、腕を組んで笑った。
「多層世界のハブターミナルなめんなよ。お前らの世界の素材だって、こっちじゃ日用品だ」
のどかは、拘束が成功した映像を見ながら端末を叩いていた。エリア移動システム——地面のパネルを動かして、スライムごと二人を門の方向へ輸送する。
課長がシステムの起動キーを入力し、パネルがゆっくりと動き出した。
十秒。二十秒。
スライムの中で、光が膨れた。
勇者の剣が輝き、魔王の黒炎が燃え上がる。たかがスライムに拘束されたまま終わる二人ではなかった。互いの攻撃と魔力がスライムの内部で爆発し、スライムが弾け飛んだ。
十数秒の拘束。
どうだと言わんばかりに、二人が粘液を振り払って立ち上がる。と、同時に再放水。
ホースから再びスライム液が放射され、二人をもう一度飲み込んだ。
「大都市を支える消防なんだ。おかわりくらいあるさ」
消防のまとめ役が得意げに腕を叩いた。隊員たちも口元を緩めている。
だが、のどかはモニターの端に表示されている数値を見ていた。スライム液の残量ゲージ。放水のたびに目に見えて減っている。もってあと数回。
レッドも同じ計算をしていたのだろう。通信に低い声が乗った。
「理論上は間に合う。……理論上はな」
◆
理論は裏切った。
スライムが問題だった。拘束に使ったスライムが、エリア移動システムの可動部に流れ込んでいた。パネルの継ぎ目から内部に染み込み、精密な機構に絡みつき――
バチッ。電気系統がショートした。
門まであと百メートルほどの距離で、足元のパネルが完全に停止した。
「――動かない」
のどかの各種端末の画面にエラーが並んでいる。可動部の異常、電気系統のショート、復旧の見込みなし。
レッドの声が、一瞬だけ詰まった。
「……くそ」
ここまでだ――レッドの沈黙の中に、その言葉が聞こえた気がした。
だが、即座に別の声が割り込んだ。
「三丁目のたばこ屋のところから迂回させろ」
グリーンだった。
「ほら、向かいに美味いラーメン屋がある交差点の。あそこからぐるっと回せば」
「ああ、あのニンニクマシマシの……いや、それはわかるが番号がわからんぞ」
レッドが苦い声をだす。現場の地理はわかる。だが、エリア移動システムのパネル番号とルート番号は別物だ。たばこ屋の交差点が何番パネルなのか――
「中央区のe-38番パネルから迂回して、g-16ルートです」
割り込んだのどかの声で通信回線が、一瞬静まった。
課長がマイクから顔を上げると、のどかはすでに端末の操作に入っていた。迂回ルートの計算。パネルの切り替え。電力供給の再配分。指が端末の上を走っている。
「……言われる前にやってんのか」
課長が呟いた。感心でも驚きでもない、淡々とした声だった。だがその視線は、ほんの一瞬だけのどかの横顔に留まっていた。
のどかはそれに気づかず目の前のモニターと端末だけ処理していく。
迂回ルートでパネル移動が再開した。少し遠回りになるが、門の方向へ確実に進んでいく。
◆
門まで上空200メートルのところでスライムの残弾が尽きた。
最後のスライムが勇者の剣に切り裂かれ、霧散した。消防隊のホースからは、もう何も出てこない。消防のまとめ役が黙ってホースを下ろした。隊員たちも同じだった。出し切った。やれることは全部やった。
拘束手段がなくなった。
勇者と魔王が、スライムの残滓を振り払って立ち上がる。再び互いに向き合い因縁の続きを始めようとしている。
「司令官。ビルを門の高さまで上昇させられるか」
門は空中にある。地上から押し込むことはできないため、その高度まで二人を持ち上げる必要がある。格納したビルを再上昇させ、そこから門へ。
「やれる。が、本線の電力がスライムのショートで死んでる。緊急用電源に手動で切り替えないと動かない」
「切り替え装置はどこだ」
「お前さんの足元だ。スライムでぐちゃぐちゃになってる現場のど真ん中」
沈黙。
「……行ってくる」
レッドが走った。
モニターに映るレッドの姿は、ヒーローというより——泥だらけの作業員だった。スライムの残滓でぬるぬるに滑る地面を走り、火花を散らす配電盤に手を突っ込む。電気がバチバチと弾ける中で、手動の切り替えレバーを探している。
戦隊のリーダー。本来なら合体ロボに乗り込んで華々しく操縦する男。その仕事が電源の手動切り替え。
だが、これがなければビルは上がらない。ビルが上がらなければ、門に届かない。門に届かなければ終わらない。
レッドの手が、レバーを掴んだ。力を込めるもスライムで滑る。もう一度、握り直す。歯を食いしばって――
ガチン。レバーが倒れた。
通信に、息を切らしたレッドの声が乗った。
「よし……通ったぞ」
ビルが動き始めた。地面から押し上げられるように、ゆっくりと上昇していく。門の高さへ。
◆
グリーンが動く。
拘束手段はもうない。弾幕も銀弾も、この段階では間に合わない。転移パンチのリーゼントは三発を使い切っている。メカは装甲が限界で、これ以上の接近戦は不可能だ。
残っているのは、グリーンの身体ひとつだった。
特殊能力はない。身体能力が高いだけの、緑のおじさん。普段は交差点に立って、児童の通学を見守っている。旗を持って、おはようと声をかけて、横断歩道を渡り終わるまで見届ける。それだけの男だ。
その男が、勇者と魔王の二人に向かって走った。
上昇するビルの屋上で、再び向き合おうとしていた勇者と魔王。その背後からグリーンが飛びかかった。両腕で二人の首を抱え込むようにしがみついた。
「なっ」
「貴様、何を」
勇者と魔王が振りほどこうとする。国家災害クラスの力だ。グリーンの腕など、本来ならば紙のように引き剥がせるはずだった。
だが、グリーンは離さなかった。
腕が軋み筋肉が悲鳴を上げる。それでも離さない。能力の差など、最初からわかっている。力で敵う相手ではないことなど、とっくに承知している。
それでも――離さない。
ビルが門の高さに達した。グリーンが二人を掴んだまま、屋上の端に足をかけた。門が目の前にある。あの扉の向こうが、この二人の世界だ。
グリーンは走った。二人を引きずりながら、門に向かって突っ込んだ。
「——帰れ。お前たちの世界で、好きなだけやれ」
三人の身体が、門の中へと消えていく。
通信に、グリーンの声が叩きつけられた。
「閉めろーっ! 今すぐ閉めろ!!」
オフィスが凍りついた。
のどかは、モニターに張り付いたまま動けなかった。グリーンの姿が、門の向こうの光に飲み込まれていく。異世界の光景が一瞬だけ映った。荒廃した大地と、赤い空をしたあの二人の世界。
「門を閉めろ」
課長の声が、静かに重ねられた。
のどかはその声で我に返った。端末に手を伸ばす。門の閉鎖シークエンス。操作は簡単だ。ボタンひとつ。だが、その指が震えた。
門が閉じていく。
ゆっくりと、巨大な石と鉄の扉が閉ざされていく。隙間が狭まり、向こう側の光が細くなっていく。
グリーンの姿は、もう見えない。
モニターの前で、のどかの唇が震えた。現場のヒーローたちも動けずにいる。レッドが拳を握りしめていた。リーゼントの男が目を逸らした。消防隊の誰かが、ヘルメットを脱いで頭を下げた。
門の隙間が、あと数十センチになった。
——パンッ。
手を叩く音が響いた。
それは、戦場のどこよりも小さな音だった。爆裂魔法の轟音にも、バルカン砲の咆哮にも及ばない、ただ手のひらを合わせただけの音。
門が閉ざされる寸前、その隙間から、グリーンの身体が引き戻された。
有視界二百メートル。同意した対象を一人。
グリーンの身体がビルの屋上に転がった。仰向けに倒れたまま、空を見上げている。衣装はボロボロで、腕は力なく投げ出されていて、顔は傷だらけで――
親指を、立てていた。
「……ヤレヤレ。いつまで格好つけてるんですか」
クイッとメガネを直しながら呆れた声がビルの屋上に一つ。息が上がっている。有視界二百メートル、ギリギリの距離だったのだろう。それでも声は、どこか安堵していた。
◆
静寂が降りた。
モニターには、街が映っていた。あちこちのビルの窓が割れ、道路には瓦礫が散らばっている。粉塵がまだ薄く漂っているが、空は晴れていた。遠くでサイレンの音が聞こえる。さっきまで戦っていたヒーローたちが、一人、また一人と地面に腰を下ろしていく。
救護班が動き始めていた。メカのパイロットが片腕を抑えながらコクピットから降り、ギャルが駆け寄って肩を貸している。スナイパーの中年は自分で歩いていたが、少し足を引きずっていた。猫がその横を、ヒゲをしょんぼりさせてついていく。
リーゼントの男は、メガネの男に肩を借りていた。変質した右腕がだらりと垂れている。メガネの男は無言だったが、リーゼントの体重をしっかり支えていた。
グリーンが担架に乗せられていった。意識はあるようだったが、身体に力が入らないらしい。両腕が痛々しく腫れている。
担架が運ばれていく途中、グリーンが何か呟いた。通信のマイクが拾ったその声は、うわごとのように小さかった。
「……通学路は、守ったぞ……」
のどかは、モニターの前で動けなかった。
椅子に座ったまま、膝の上で拳を握りしめていた。爪が手のひらに食い込んでいることに、気づいていなかった。
街は半壊している。ヒーローたちはボロボロだ。グリーンの腕は折れている。それでも通学路は守った。子供たちが毎朝歩く道は、守った。
でも。
「……課長」
のどかは自分の声が震えていることに驚いた。この職場に来てから、声を震わせたことはなかった。どんな案件でも淡々と処理してきた。そうするものだと思っていた。
「私たちの仕事は……なんだったんですか」
課長は答えなかった。マグカップを持ったまま、モニターを見ていた。
「もっと、うまくやれたんじゃないですか。もっと早く承認が通っていれば。もっと早くシステムを起動していれば。私がもっと早く迂回ルートを――」
言葉が詰まった。
課長はしばしその言葉を受け止める。インスタントコーヒーの湯気が、もう立っていなかった。とっくに冷めている。いつから冷めていたのか、のどかにはわからなかった。
「……そうだな」
否定しなかった。慰めなかった。「よくやった」とも「仕方ない」とも言わなかった。
ただ――
「だから次は、もう少しうまくやるさ」
それだけだった。
のどかは、何か言おうとした。言い返したかったのか、同意したかったのか、自分でもわからなかった。喉まで出かかった言葉を、飲み込んだ。飲み込めなかった。飲み込もうとして、うまくいかなかった。
だからのどかは、ただモニターを見た。
半壊した街と、担架で運ばれていくヒーローたちと、瓦礫の中をサイレンの光が横切っていく光景を——目に焼き付けた。
これが、今日の仕事だった。
――業務日誌――
案件名:異世界召喚扉・決戦系案件
発生場所:首都圏市街地上空
災害区分:都市災害(実質国家災害級)
被害状況:甚大(市街地半壊)
対応:防衛軍ヒーロー部隊による扉強制閉鎖
備考:政府判定=都市災害。補償縮小。
※観測できない災害は人災扱いとして処理済み




