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第6話②「春森のどかの一番長い日」


 二人は互いに向き合ったまま、空間を歪ませるほどの魔力を溜め込んでいた。

 周囲の空気が陽炎のように揺らぎ、ビルの屋上のコンクリートにヒビが走っていく。最後の大技を放つつもりだ。熱気と凄まじい風が地上にまで届き、ヒーローたちの衣装をはためかせている。


 レッドから通信がはいる。


「まずいな。司令官、三十秒後にあのビルを地下に格納できないか?」

「こんなこともあろうかと、上を黙らせるネタの十や二十はあるから約束しよう」

「ハハハ、今のは聞かなかったことにするよ、司令官」


 深刻な状況のはずなのに、二人の声には余裕があった。余裕というより、覚悟の上の軽さだった。

 やることが決まっている人間の声とは、こういうものかと実感する。

 その空気が、通信回線を通して現場とオフィスに広がった。のどかも、知らず知らずのうちにつめていた息をひとつ吐くと、モニターに向き直る。

 画面の向こうでは、勇者と魔王が最後の叫びを上げていた。


「人々の想いこそ! 誰かのそばにいる一歩を踏み出せるんだ!!」

「押し付けたの間違いだろうが! その誰かの犠牲の上に成り立つ世界など、滅びればいい!」

「このわからず屋がぁーーーッ!!」

「勇者という偶像のまま散れーーッ!!」


 勇者の剣に雷が落ちる。

 天から一筋、光が降りた。凄まじい迸りが剣を包み、白金の輝きが夜のように空を染め上げる。

 魔王は全身に暗黒の波動を纏った。闇が生き物のように蠢き、両手に自らが練り上げた禍々しく圧縮された魔力が集まっていく。

 互いのオーラが膨れ上がる。

 光と闇が、空の半分ずつを塗り分けるように広がっていく。

 一撃で終わらせる。互いにそう決めているのか足に力が込められる。それに耐えきれないように、屋上のコンクリートに、蜘蛛の巣のようなヒビが走った。


「――3、2、1、ポチッとな」


 ガクン。


 高層ビルが揺れた。

 ゆっくりと、しかし確実に、ビルそのものが地面へと沈んでいく。周囲のアスファルトが割れ、ビルを飲み込むように地面が開いていった。

 都市格納システム。都市伝説だと思った、マニュアルの隅に載っていた文言は冗談ではなかった。

 足場を失った二人が姿勢を崩した。溜め込んだ魔力の制御が、ほんの一瞬だけ乱れる。

 ほんの一瞬——だが、それで十分だった。

 本来なら取るに足らない力量の者たちが、その隙に滑り込むには。


 ◆


「ハッ、転移能力ってのは便利だねぇ」

「有視界二百メートル、同意した対象を一人運ぶだけのチンケなチートですけどね」

「上等。こちとら日に三回しか殴れねぇゴキゲンなアルターさ。ぶっ飛べオラァアアアア!!」


 モニターの映像が切り替わった瞬間だった。

 姿勢を崩した勇者の背後に、一人の男が現れた。学ランにリーゼントという時代錯誤な出で立ちだが、その右腕は人間のものではなかった。拳を中心に上半身の右半分が異質な何かに変質している。

 皮膚の色も質感も違う。人間の形をしているが、人間の腕ではない。

 その拳が、勇者の背中を捉えた。

 鈍い衝撃音。異世界の最高戦力が。異世界そのものを背負って戦う勇者が、ただの一発で吹き飛ばされていく。ビルの壁を突き破り、瓦礫の雲を巻き上げながら消えていった。

 少し離れた場所に、もう一人の男が立っていた。細身の体にメガネ。風に乱れた髪を気にする素振りもなく、手を叩いた直後の姿勢のままクイッとメガネを直した。

 様々な制約と条件をクリアした上で発動できる短距離転移。この世界においてはそれだけの力。だがその「それだけ」が、国家災害クラスの勇者の背後を取った。

 勇者が瓦礫から飛び出した。態勢を立て直し、初めて明確に迎撃の構えを見せた。

 今まで、この男には戸惑いがあった。見知らぬ世界に飛ばされ、見知らぬ人間たちに囲まれ、それでもなお魔王だけを見ていた。

 周囲の者たちに本気を向けることに、あれでもまだどこか遠慮があったのだろう。

 だが、それが消えた。


「これでラストォォオオオオオー! 駆逐のファイナルバレットーーーッ!!」


 リーゼントが吠えた。変質した右腕が脈動し、拳に力が込められる。日に三回しか殴れない。つまり、これが最後の一発だ。


「クソッ、僕の邪魔をしないでくれないか。君たちに構ってられないんだ」


 低く呟く勇者に怒りはなかった。ただ、邪魔なのだ。彼にとって、目に映るのは魔王だけでそれ以外は風景に過ぎない。

 本来、魔王に放つはずだった一撃がリーゼントに向けられる。

 まともに喰らえば無事では済まない。ビルを両断する勇者の一撃だ。人間の身体がどうなるかなど、考えるまでもない。

 それでもリーゼントは止まらなかった。

 渾身のストレートを構えたまま、歯をむき出しにしながら真正面から突っ込んでいく。

 拳と剣がぶつかる――その瞬間。

 パンッ。

 乾いた音がした。メガネの男が手を叩いた音だった。クイッとメガネを直すその仕草は、さっきと全く同じだった。

 リーゼントの姿が消え、勇者の剣が空を斬る。

 手応えがない振り抜いた姿勢のまま、勇者の目が泳ぐ。

 左。

 死角から現れたリーゼントの拳が、勇者の左頬を捉えた。全体重を乗せた渾身のストレート。

 驚愕の表情を浮かべたまま、勇者の身体が再び吹き飛んでいく。今度はまっすぐ魔王がいる方向へ。


「飛距離と方向は良し。……あとは頼みましたよ」


 メガネの男が静かに呟いた。リーゼントは変質した右腕をだらりと下げて、肩で息をしている。三発使い切った。もう殴れない。それでも口元は笑っていた。


 ◆


 別のモニターには、魔王側の映像が流れていた。

 操縦型メカのバルカン砲が火を噴いている。口径二十ミリ。毎分数千発の弾丸が、閃光と轟音を撒き散らしながら魔王に叩きつけられる。

 が、効いていない。

 弾丸が魔王の身体に到達する寸前、闇の膜のようなものが弾き返す。体勢を崩すことはあっても、傷にはなっていない。


「オイオイオイ、軍事用のアームドフレームなのに全く効いてないとか……全く、これだからファンタジーな奴らは嫌になってくるぜ」


 メカのコクピットからパイロットのぼやきが通信に乗った。

 操縦桿を握りしめながら、それでも射撃の手は止めない。ダメージを与えられずとも、足を止める効果だけはある。


「アハッ。あのコスプレ野郎、あーしらにガチギレてんじゃん、コワーイ」


 メカの肩の上に一人の少女が立っていた。学校指定の制服に派手な髪色に派手なアクセサリー。戦場にそぐわない格好だが、その手元は虚空で忙しく動いている。


「あーしのアイテムボックスでタマは直接装填すっからさ〜、ちゃんと守ってねん」

「……弾丸は現物支給の項目つけといて助かったぜ、全く」


 メカの弾幕は止まることなく、二十ミリの鉄の雨が魔王を叩き続ける。効かない。効かないが、止まらない。


「小癪な機械人形ごときが我らの邪魔を——」


 魔王が腕を振り上げた瞬間だった。

 ドンッ。

 全く別の方向から、轟音が響いた。

 魔王の身体に衝撃が走る。闇の衣が裂け、その下の鎧に罅が入った。鉄の弾丸では届かなかった場所に、何かが突き刺さっている。



 そこからおよそ三キロ離れた、別の屋上。

 一人の中年の男が、対物ライフルを構えていた。人間が撃つには大きすぎる大口径の銃身を、慣れた手つきで支えている。さして表情は浮かんでいない。

 ただスコープを覗き、引き金を引いた。それだけの行為を淡々と行うように。

 その横で、人間の幼児サイズの猫が二本足で立っていた。器用に前足でスコープを掴み、覗き込んでいる。

 ご自慢のヒゲがヒクヒクと動いていた。


「有効命中ですにゃ〜」

「やはりああいう手合には、ルーン文字を刻んだ銀の十二・七ミリがよく効く」


 ただの鉄の塊ではない。

 この街のどこかで「うだつの上がらない飲んだくれ」として暮らしている、異世界出身のドワーフが一発一発にルーン文字を刻み込んだ銀の弾丸だった。


「ただの飲んだくれの偏屈ジジイと思ってましたけど、なかなかやりますにゃ」

「あれでも一応ドワーフの端くれだそうだ。腕だけは確かだとよ」


 男はそう言いながら、次の弾を装填した。排莢音がカランと屋上のコンクリートに響く。


「旦那こそ、本当にただの人間ですかにゃ〜?」

「風速と風向き。気温と湿度に気圧。自転の影響まで全部わかるんだ。目を瞑っても当てれるさ」

「いやいや。有効射程千三百メートル、最大射程二千メートルの対物ライフルで、三キロ先の動く標的に当てるほうがおかしいですにゃ」


 猫がヒゲをヒクヒクさせながら、呆れた声をだす。

 小さな漁村で生まれた猫だった。ただの気まぐれで、漁師たちに縁起物として餌付けされた。やがて航海の安全を祈る氏神として祀られるようになり――そして時代が変わり、人々に忘れ去られた。残ったのは、天気を読むという、ちっぽけな能力だけ。

 だがその「ちっぽけ」が、三キロ先の弾道を通す。


「八百メートル先の風がやや微風に。湿度も少し下がってきてますにゃー」

「あいよ」


 男が撃った。再び命中。魔王の闇の衣がまた一枚引き裂かれた。


「にしても、あのうだつの上がらない飲んだくれのドワーフの弾が効いてますにゃー」


 ただの鉄の弾丸では、魔王には致命傷を与えられない。だがルーン文字を刻んだ銀弾は違った。



 メカの二十ミリ弾の雨の中を紛れるように、三キロ先から銀弾が放たれる。魔王が鉄の弾幕を防御している隙に、手薄になった箇所へ正確に叩き込まれる。

 魔王はジリジリと後退を余儀なくされていた。

 

 「見事なものだな」


 魔王に焦りはなかった。致命傷にはなっておらず冷静に対処すれば、いずれ片付く。

 幾千の戦いを、幾万の絶望を越えてきた者の余裕がそこにあった。こんな羽虫どもを薙ぎ払ったあとで、勇者との因縁に決着をつければいい。

 防御を続けながら、魔力を練り上げていく。反撃に転じようと試みる。

 その時、遠くから何かが飛んで――勇者だった。

 リーゼントに殴り飛ばされた勇者が、弾丸のような速度で魔王に激突した。二人の体勢が崩れ、もつれ合うように互いに背中合わせになる。


「貴様、羽虫どもにすら手を焼くばかりか、我の邪魔までする気か」

「うるさい! お前と違ってボクは周囲に――」


 ◆


 モニターの向こうでは、ヒーローたちが連携を組みながら勇者と魔王を押し込んでいた。

 リーゼントの男が勇者を殴り飛ばし、メガネの男がその軌道を制御する。銀の弾丸が魔王の闇の衣を引き裂き、メカの弾幕が逃げ道を塞ぐ。それぞれの持ち場で、それぞれのやり方で、国家災害クラスの二人に食らいついている。

 誰一人として、勝てるとは思っていないだろう。それでも、全員が自分の仕事をしている。


「……押し返してる」


 のどかは自分でも気づかないうちに握りしめていた拳を、少しだけ緩めた。さっきまでの一方的な光景が嘘のように、戦線が形を成している。あの二人を、都市災害レベルの戦力が押し返している。能力の差を、連携と意地で埋めていた。

 課長がマグカップを口元に運ぶ、インスタントコーヒーの安っぽい香りが、緊迫したオフィスに場違いに漂った。

 百円のスティックコーヒーだ。国家の危機を処理しながら飲むものが、百円のスティックコーヒー。この職場は、どこまでいってもこの温度だ。

 それが返ってのどかを落ち着かせていた。


「まあ、倒せるわけないんだけどね」

「……え?」


 のどかの手が止まった。モニターから目を離し課長を見た。


「ん? いや、区分が違うってのはそういうことよ。あの二人、どっちも国家災害クラスだから。うちの連中がどんだけ頑張っても、倒すのは無理」


 さらりと言って、もう一口。湯気がゆらゆらと立ち昇る。

 のどかはモニターに目を戻した。画面の中では、ヒーローたちが身体を張って食い下がっている。メカの装甲は罅だらけで、リーゼントの男は肩で息をしていて、グリーンの衣装は泥と瓦礫で原型が見えない。

 あれだけやっても——倒せない。


「じゃあ……どうするんですか」

「どうするって、うちのお仕事はもともと倒すことじゃないからね。倒すなんてやってたら、ハンコ押すだけで毎日残業よ」


 課長はマグカップを机に置いた。コトン、という小さな音が、妙に静かなオフィスに響いた。


「お帰り願うのよ。定時に間に合うようにな」


 ◆


 レッドが動いた。

 通信越しに聞こえてくるさっきまでの軽い口調が消え、短く、鋭い指示が飛び始める。


「ブルー、左翼から回り込め。ピンク、そのまま牽制を続けろ。メカチーム、弾幕の角度を十五度東に振れ。銀弾、そのタイミングに合わせてくれ」


 現場指揮だった。各チームへの指示、配置、タイミング。クセの強いヒーローたちを一つの作戦に組み込んでいく。

 のどかはモニター越しにその采配を見ていた。混沌とした戦場が、レッドの声ひとつで形を変えていく。散らばっていた力が、一つの方向に収束していく。

 課長がマイクを通して、ぽつりと呟いた。


「流石だなぁ。――なぁレッド、何度も言ってるが、ヒーロー引退してこっち側に来ないか。事務方で欲しい人材なんだが」

「何度も断ってるだろ、司令官。ヒーローをやっていたいんでね」

「もったいないねぇ」

「そっちこそ、現場に出りゃいいのに」

「俺はハンコが本体だよ」


 何度目かのやり取りらしかった。互いに相手の答えを知っている声だった。

 レッドが作戦を告げた。


「勇者と魔王を予定ポイントに誘導する。各チームが連携して追い込み、拘束。そこからエリア移動システムで門の近くまで運んで、最後に門へ押し込む。以上だ」

「シンプルだな」

「複雑にしたって、あの二人には通じねぇよ。力でねじ伏せられない以上、流すしかない」


 押し込み、倒すのではなく送り返す。この世界の流儀で、あの二人を元の世界に叩き返す。課長が言った「お帰り願う」を、レッドは作戦に落とし込んでいた。


「レッド。イエローは?」


 カラーレンジャー必殺の合体ロボ。この戦力が使えれば、話は大きく変わる。


「キャベツだ」

「……キャベツ?」

「カレーの付け合わせのキャベツを求めて、産地に遠征中」

「……あー」


 天井を見上げる課長の横顔を見て、のどかは何も言えなかった。国家災害クラスの緊急事態に、最強戦力がキャベツで欠けている。この世界は――このお仕事は、どこまでいってもこうだ。


「ブルーとピンクは配置についてる。やれる戦力でやる」

「了解。じゃあ始めてくれ」

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