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第6話①「 春森のどかの一番長い日」

 朝のオフィスは、いつも通りの空気だった。

 蛍光灯の白い光。空調の低い唸り。デスクの上に積まれた昨日の処理済みファイル。どこにでもある役所の朝——ここが特殊災害対策課でなければだが。

 のどかは課長のデスクに一枚の紙を置いた。遅延証明書。昨日の出勤時に怪人の残骸処理で路線が止まり、振替輸送の列に四十分並んだ。


「昨日のやつか」


 課長は証明書を受け取って、ファイルに挟んだ。一瞥しただけでもはや日常の書類と変わらない扱いである。


「最近多いな。遅延」

「先月だけで四回です」

「そのうち通勤手当に『怪人遅延手当』でもつけてもらうか」

「それ、本気で申請したら通りそうなのが怖いです」


 課長はコーヒーを啜りながら、わずかに口角を上げた。


「で、今日は静かに行けそうか?」


 のどかはモニターに目をやった。監視システムのアラートは沈黙している。未明からの異常報告もゼロ。窓の外は穏やかな朝の光が差し込んでいる。


「一応、未明から異常なしです。このまま午前中もってくれれば――」


 言い終わる前に、モニターが光った。

 アラート。空中異常検知。

 モニターの映像が切り替わる。市街地上空、高度およそ三百メートル。空気が揺らぎ、何もなかった空間に光の円が浮かび上がっていく。

 魔法陣だった。

 複雑な文様を刻んだ光の環が、ゆっくりと回転しながら淡い輝きを放っている。


「……行けそうにないですね」

「だな」


 課長は遅延証明をファイルに挟んだばかりの手で、そのまま別のファイルを引き出した。切り替えが早い。

 のどかはその背中を見ながら、自分も端末に向き直った。


「ファンタジー系か。魔法陣出現型――都市災害クラスだな。文様パターンからして中世系の門だ」


 課長の判定はいつも通り早かった。モニターに映る魔法陣の形状や光の波長、魔力の反応パターンなどそれだけで災害の分類が決まる。

 のどかもマニュアルで学んだ知識を照らし合わせてみたが、課長と同じ結論だった。


「都市災害レベルのヒーロー部隊に派遣要請を出します」

「ああ。幸い手続きは楽だぞ。下から二番目だ」

「楽って……」


 都市災害が「楽」の部類に入る職場。

 下から二番目だが本来こんなにもお目にかかれる案件ではない。その名の通り都市そのものが危険な状態になるレベルなのだ。

 上にはまだ国家災害、世界災害、宇宙災害、そしてその先がある。この感覚に慣れてきている自分が少しだけ怖かった。

 感傷に浸っているわけにもいかず、書類を作成し承認フローに回す。課長のサインはものの数秒で下りた。

 派遣要請が通ると、ただちにヒーロー部隊が現場へ向かう。

 しかし、門はまだ出現しない。光を増しながら、魔法陣はゆっくりと回転しながら空中に浮かんでいる。

 通常のパターンであれば、この段階で門が出現し、中から怪物なり軍勢なりが現れる。だが、回転は続きなかなか扉が出現しない。


「まだ回転が続いてますね」

「見えてる」


 短い返事だった。だがその声色が、わずかに半音だけ低いのを聞き逃さなかった。


「複数用意しとけ。念のためだ」

「保険ですか」

「都市災害レベルならいける。国家災害クラスだとさすがに無理だが」


 のどかは端末を叩きながら、言われた通り追加のヒーロー部隊をリストアップし始めた。

 考えたくはないが、万が一に備えて予備の戦力を確保しておいたほうがいいだろうと思うぐらいは、課長の経験と嗅覚をここ数か月で信頼している。


「あと、都市格納の準備をしておけ」


 のどかの指が止まる。


「……あの。それ、都市伝説じゃなかったんですか」

「都市を格納するから都市伝説ってか。面白いこと言うな」

「いえ、そういう冗談ではなく――」

「念の為だ、念の為」


 課長の声は軽かったが、目はモニターに張り付いたままだった。


「国家災害で、かつ都市部が戦場になる場合の条件でのみ使える。逆に言えば、その条件が揃えば使えるってことだ。手続きに入っとけ」


 都市を丸ごと地下に格納するシステム。マニュアルの片隅に、小さな文字で載っていたのは覚えている。ただ、のどかはそれを読んだとき、冗談のページだと思った。誤植か、あるいは先輩がのどかをからかうために忍ばせた嘘マニュアルか。

 冗談じゃなかった。

 のどかは一瞬だけ目を閉じた。深呼吸をひとつ。それから端末に向き直り、マニュアルを読みながら都市格納システムの起動手続きに入った。

 手続きは手続きだ。信じられなくても、やることは変わらない。


 ◆


 モニターの中で、魔法陣の中からゆっくりと門が出現した。

 光量が跳ね上がり、モニターの映像が白く飛びそうになる。のどかはモニターの明度を二段階下げた。それでもまだ眩しい。現場に展開したヒーローたちが構えを取っているのが映る。

 中世ファンタジー系の都市災害クラス。門の形状や魔法陣の文様、魔力の波長パターン。すべてがその分類を指し示していた。ここまでは想定通り。


 ギィ――


 重い音が、モニターのスピーカーから響いた。

 魔法陣の中の扉がゆっくりと開いていく。中世の城門のような、石と鉄で組まれた巨大な扉のその隙間から、異質な光が漏れ広がっていく。

 その光がどことなくおかしい。

 のどかは眉を寄せた。マニュアルで見た中世ファンタジー系の門は、もう少し穏やかな光だったはずだ。魔力の色も違っており、都市災害クラスから漏れる光にしてはもっと強い、もっと――


 爆風。


 モニターが一瞬でホワイトアウトした。スピーカーから耳を劈くような轟音が弾け、のどかは反射的に身を引いた。

 映像が戻った時、現場のヒーローたちが吹き飛ばされていた。地面に叩きつけられ、瓦礫の中に転がっている。


「まだ中から何も出てきてないのに——っ」


 扉が開いただけ。それなのに何かが現れる前に、開いた瞬間の衝撃だけでヒーロー部隊が壊滅しかけている。


「ちっ」


 のどかはその音に背筋が冷えた。この職場に来てから、課長の舌打ちを聞くのは初めてだった。どんな案件でも飄々としていた課長が、初めて苛立ちとも緊張ともつかない反応を見せている。


「嫌な予感が当たった。決戦型だ」


 次の瞬間だった。門の奥から、二条の光が放たれた。

 一つは、白く――いや、白金に輝く斬撃の軌跡。空気を焼きながら、真っ直ぐに伸びていく光の刃。

 もう一つは、漆黒の炎。闇そのものが燃えているような、光を呑み込む黒い奔流。

 二つの力が門を突き破るように飛び出し、互いにぶつかり合った。その余波がビルの壁面を薙ぎ、ガラスの破片が雨のように降り注ぐ。

 やがてその光の中から、二つの影が飛び出した。

 互いに剣と拳で切り結びながら、一秒の隙もなく、一瞬の休みもなく魔法も放っている。

 爆裂魔法が飛び交うたびにビルの窓が割れ、路面が抉れ、電柱がへし折れていく。二つの影は空中で激突し、弾かれ、また激突する。その繰り返しが、街を壊していた。


「決戦型……?」

「亜種だ。まだ正式に区分はされておらずマニュアルにも載ってない。喜べ新人、レア中のレアだよ」


 課長の声は淡々としていた。だが胸ポケットをまさぐる手が、いつもより落ち着かない。


「その世界の最高戦力、あるいは激戦区そのものが、門と一緒にこっちに引きずり込まれる。最悪のパターンだ。向こうの世界のてっぺんが来るんだから、災害レベルも跳ね上がる」

「中世ファンタジーの場合は……」

「勇者と魔王の最終決戦ってわけだ」


 課長は胸ポケットからタバコの箱を取り出しかけて、やめた。指先で箱を転がしながら、モニターを見つめている。


「過去の事例じゃ、神様と殴り合ってる奴が飛び出してきたこともあったらしい」


 モニターの中で、ビルが切断された。

 剣の一振り。たった一振りで、二十階建ての高層ビルの上半分がずれ落ちていく。切断面が鏡のように滑らかだった。

 のどかはその映像を見ながら、自分の呼吸が浅くなっていることに気づいた。

 二人が真正面からぶつかり、鍔迫り合いになった。

 黒衣の鎧。全身を覆う漆黒の甲冑に、赤い紋様が脈動するように浮かんでいる。もう一方は青と白、おそらく勇者と呼称される者が着けている鎧は傷だらけで、元の色がわからないほどの戦いの痕跡が刻まれている。

 二人の剣と拳をぶつかり合う。その瞬間、衝撃波が二人を中心に同心円状に広がり、周囲に残っていたビルの窓ガラスが一斉に砕け散った。


「魔王ッ! アリシアは、そんなことのために死んだんじゃない!!」

「笑わせるな! 貴様こそが世界の操り人形だろうが!!」


 二人が叫んでいた。

 叫んでいた、としかのどかには表現のしようがなかった。

 互いにしか聞こえていないような声で、互いにしか意味のない言葉を吐きながら斬り合っている。

 アリシアが誰なのか、操り人形とは何のことなのか、のどかにはわからない。わかるのは、この二人の間には途方もない時間と感情の蓄積があって、それが今、この街で爆発しているということだけだった。

 周囲の状況など、二人の目には一切入っていない。

 モニター越しに、のどかは両手で耳を塞いだ。音声が割れるほどの衝撃音と怒声。スピーカーを通した音のはずなのに、振動がオフィスの空気を震わせ、デスクの上の書類がかすかに揺れている。


「な、何を言ってるんですか……?」

「知らん。因縁ってやつだ」


 課長は淡々と答えた。胸ポケットのタバコの箱に手を伸ばしかけて、引っ込めた。


「こんなのただの災害――いえ、テロじゃないですか」


 のどかは唇を噛んだ。

 モニターの向こうでは、避難誘導が始まっていた。防災放送が響き、市民が地下へ走っていく。倒壊したビルの粉塵が空を覆い始めている。通学前の時間帯だ。この街には子供もいる。


 それなのにあの二人は止まらない。

 ふたりのやりきれなさをよそに、異世界の二人はその世界の因縁を、関係のないこの街に叩きつけ続ける。


「ボクがお前を止めるっ! それが友であるボクの、最後にしてやれることだ!」

「傲慢だな。ああ、昔から気に食わなかったんだよ、その甘っちょろい考えがよッ!!」


 友。その言葉に少しだけ胸が詰まる感傷に使っている場合ではない。

 二人が放った全力の一撃がぶつかり、その衝撃でカメラを大きく揺らしている。

 弾かれるように距離を取り、二人が再び対峙する。

 その足元――いや、眼下で、巻き添えを食らったヒーローたちが、瓦礫の中から這い出る。

 空中に浮かぶ二つの影を地上から見上げる。ボロボロの装備で、膝を震わせながらそれでも立ち上がった。


「クソふざけやがって」


 低い声が漏れた。


「喧嘩ならテメーらの世界でやれってんだ」


 別のヒーローが吐き捨てた。


「まだこの時間でよかったが……通学路がむちゃくちゃだ」


 緑の衣装に身を包んだヒーローが、声を震わせていた。悲しいのか悔しいのか、あるいはその両方か。モニター越しでも、その声の震えが伝わってくる。

通学路。この人は、普段からこの街の子供たちを見ているのだ。その道がめちゃくちゃにされている。

 緑のヒーローのすぐ横に立つ、赤い衣装のヒーローが動いた。ヘルメットの耳部分に手を当てる。


「こちらレッド。聞こえるか、司令官」

「司令官じゃないが、聞こえてるよ」


 課長がマイクに応じた。声はいつも通りだったが胸ポケットのタバコの箱を指先で叩く癖が、いつもより早い。


「応援のほうは、いつごろ派遣されそうだ?」

「偉いさんの足元に火がついてる。三十分で承認は通る」

「……遅いな」


 沈黙が落ちた。

 課長は答えず、肯定の意味を込めたものだった。

 30分。たった30分と言えるのは、この仕事を知らない人間だけだ。

 あの二人が暴れ続けるその時間で、市街地がどれだけ削られるか、避難が間に合ない人間が続出するか。二人の長年の経験が、同じ計算を弾き出していた。

 重い沈黙が続く。通信回線を通して、現場の風の音とビルが崩れる遠い轟音だけが聞こえている。


「司令官」

「……やれるのか? 対象の二人は少なくとも国家レベルに達するぞ」


課長の声は問いかけの形をしていたが、のどかには別の感情に感じ取れた。

止めているのか確かめているのか、あるいは背中を押しているように。


「ハハハ、ヒーローなんでね。能力や強さじゃなく、志でやってんだよ」


 レッドが隣に目を向けた。


「なぁ、グリーン?」

「こちとら、児童の通学を安全に見守る緑のおじさんなんでね」


 さっきまで震えていた声がとまっていた。

 ほんの数秒前まで悔しさに声を震わせていた人が、今はまっすぐと前を向いていた。

 呼応するように、周囲が動きだした。

 操縦型のメカが損傷した装甲が軋み、関節部のモーターが唸りを上げながら立ち上がる。ファンタジー世界出身と思われる衣装の者たちも、折れかけた心を武器を構え直している


「都市災害だろうと世界災害だろうと関係ない! 俺達が前に立つ!」

「全く、別の異世界とはいえ、異世界出身者としてお帰り願おうじゃないか」

「違いない。鉄と火薬をたんまりご馳走してやるぜ」

「……イキツケノテイショクヤ……ナクナルトコマル……」


 最後のカタコトの声が妙に切実で、のどかは張り詰めた空気の中で少しだけ笑いそうになった。

 この人にとって、それが命を賭けるに値する守りたいものなのだろう。

 ヒーローたちが顔を上げた。高層ビルの屋上で睨み合う勇者と魔王を、決意を漲らせた目で見上げる。

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