表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/7

第4話「ゴブリンさん、通勤ラッシュの邪魔です」

 朝の通勤電車は、いつも通りの地獄だった。

 満員のドア際で潰されながら、のどかは片手で吊り革を握り、もう片方の手で端末の通知を処理していた。昨晩の残務が三件。今朝の未読が七件。スクロールするたびに数字が増えていく気がするのは、たぶん気のせいではない。

 会社に泊まれば、この満員電車だけは回避できるのではないか。

 一瞬そんな考えが頭をよぎったが、すぐに振り払った。それは労務的にアウトだし、何より自分の生活がどこかに消えてしまう。赤ちょうちんの灯りが遠ざかっていく人生は、まだ受け入れたくない。

 車内アナウンスが流れる。


『本日は通常通りの運行となっております。各線、遅延はございません』


 珍しい。ここ一週間ほどまともに定刻通りだった記憶がない。今日こそは静かに出勤して、溜まった書類を片付けられるかもしれない。デスクで淹れたコーヒーでも飲みながら、落ち着いて――


『——お客様にお知らせいたします。只今、前方の駅構内線路上に巨大なカブが確認されたため、安全確認のため一時停車いたします。ご迷惑をおかけいたしますが——』


 電車がゆっくりと減速し、やがて完全に止まった。

 車内がざわつく。——が、そのざわつき方が妙に落ち着いている。


「またかよ。門だろこれ」

「カブって言ってたから、異世界系のスローライフ門じゃない?」

「ああ、先月も線路脇にでっかいニンジンが生えてたやつ。あれと同じ系統か」

「商談があるってのに……終わったわ」


 スーツ姿のサラリーマンが深いため息をつきながらスマートフォンを取り出す。おそらく遅延証明書のスクリーンショットを撮るつもりだろう。隣の女性はすでにSNSを開いている。その画面にはハッシュタグ『#今日の門』の文字が見えた。

 のどかは吊り革を握ったまま、静かに目を閉じた。

 今日も帰りが遅くなる予感がする。


 ◆


 しばらくして電車がようやく動き出し、次の駅に到着した。

 ドアが開いた瞬間、ホームの光景が目に飛び込んでくる。

 改札口の手前にぽっかりと浮かぶ、淡い緑色の光の裂け目。異世界の門だ。そこから溢れ出すように、小型のカブを背負ったゴブリンやら、カブの葉をかじりながら歩く小鬼やら、人の腰ほどの高さのカブ系モンスターやらが、ホームの上をわらわらとうろついている。

 駅のアナウンスが、驚くほど平静な声で流れた。


『只今、改札口前にて異世界の門が開門しております。お客様は係員の指示に従い、速やかに避難をお願いいたします。なお、異世界生物への餌付けは条例により禁止されております』


 条例があるのか、とのどかは小さく驚いた。

 しかしそれ以上に驚いたのは、乗客たちの反応だった。


「はいはい、防災訓練通りね。この列から降りて」


 母親らしき女性が、子どもの手を引いて迷いなく非常通路の方向へ歩いていく。


「この間よりモンスター少ないな。通勤には支障なさそうだけど」


 サラリーマンが腕時計を確認しながら、大して急ぐ様子もなく歩いている。


「ママ、カブさんかわいい!」

「触っちゃダメよ。係のお兄さんたちがお仕事するからね」


 のどかは電車を降り、ホームに立ち尽くした。


「……なんでみんな手慣れてるんですか」


 誰に言うともなく呟いた言葉は、雑踏にあっさり飲まれた。

 その時、腰の端末が鳴った。

 画面を見ると、課長からの着信だった。出勤前にこの番号が光ることの意味を、のどかはこの数ヶ月でよく知っている。


「お疲れさまです、課長」

「おー、新人。おまえ中央線使ってたよな」

「はい。いま、まさにその――」

「異世界の門だろ。報告上がってきてる」

「はい、改札口前で発生したようです。今まさに目の前で巻き込まれてますけど」

「現場か。ちょうどいい」


 ちょうどよくはない、とのどかは思うが会社的にはちょうどいいのだろう。


「映像データ見たけどな、スローライフ系だわこれ。人災レベル。カブとゴブリンだけだろ?」

「そうですね。物理的な被害は今のところ線路上の巨大カブくらいかと」

「じゃあ現場監督処理、頼むわ。鉄道警備隊がもう動いてるはずだから、おまえは見てるだけでいい。判子は俺がこっちで回しとくから、ゆっくり出勤してこい」

「あの……私、現場監督やったことないんですが」

「大丈夫大丈夫。役所と違って民間は迅速で手慣れたもんだよ。鉄道警備隊なんか下手すると俺たちより場数踏んでるからな。おまえは端末で記録取りながら見てればいい」

「……了解です」

「あー、あと遅延証明書もらっとけよ。経理に出さないと通勤手当の計算が面倒になるから」


 それはそうなのだが、今気にするところなのだろうか。

 通話を終え、端末をポケットに戻す。

 課長の声は相変わらず、朝の散歩から帰ってきたような温度だった。世界にカブが生えようがゴブリンが湧こうが、あの声のトーンは変わらないのだろう。


 ◆


 改札の方に目を向けると、すでに現場は動いていた。

 ヘルメットに鉄道会社のロゴを付けた警備隊員たちが、透明の盾と特殊な改札棒のようなものを手に、ゴブリンやカブ系モンスターたちと追いかけっこを繰り広げている。


「お客様がた、乗車券はお持ちですかー!」

「不正乗車はおやめください! おやめくださーい!」

「金払わねぇゴブリンどもはホームからたたき返せ! 排除排除!」


 号令は勇ましいのだが、盾と改札棒を構えた装備は明らかに機動性を犠牲にしていて、すばしっこいゴブリンたちに見事に翻弄されている。しかもゴブリンの数が多い。一匹追い詰めたと思えば、別の三匹がベンチの下から飛び出してくる。

 どこか牧歌的だった。

 殺伐さは微塵もなく、警備隊も本気ではあるのだが、互いに致命的なダメージを与える気がない。運動会の玉入れに近い空気感が漂っている。


「カブさんガンバレー!」


 避難誘導中の子どもが、柵の向こうから声援を送っている。母親が慌てて口を押さえているが、その母親もどこか笑っている。

 のどかは端末を構え、記録用の映像を回し始めた。課長に言われた通り、見ているだけでいい。見ているだけで——いいのだが。

 見ているだけ、というのは案外落ち着かないものだった。


 ◆


 警備隊の奮闘を横目に、のどかは人の流れから外れて改札口へ向かった。

 窓口の駅員が、避難誘導のアナウンスを繰り返しながら非常改札の案内をしている。


「お客様、恐れ入りますがこちらの非常改札からお回りくださいー」

「すみません」


 のどかが窓口に近づくと、駅員が職業的な笑顔を向けた。


「お客様、ただいま非常改札をご案内しておりますので」


 のどかは腰の端末を取り出し、防衛軍の電子手帳を提示した。


「防衛軍、特殊災害対策課二課です。現場監督で参りました」


 駅員の表情がわずかに変わった。驚きというよりは感心に近い顔だ。


「お早いですね」

「いえ、出勤途中でして。巻き込まれた形です」

「それはご迷惑をおかけしております」

「いえいえ。お互い、仕事ですから」


 互いに苦笑いを交わす。この世界で働いている者同士の、妙な連帯感がそこにはあった。

 和やかな空気の中、ふと改札機の方から小さな足音が近づいてくる。

 のどかと駅員が同時にそちらを見た。

 一匹のゴブリンが、ホーム上の騒動から離れ、悠然と改札機の前に歩いてきた。

 駅員の息を呑む音が、妙にはっきりと聞こえた。

 ゴブリンの表情は、人間には読み取りにくい。だが、どこか余裕があるように見えた。堂々とした足取り。逃げ回る同胞たちとは明らかに一線を画す、落ち着き払った態度。

 改札機の前で立ち止まる。

 そして——意気揚々と、一枚のカードを天高く掲げた。


「そ、それはまさか……ラクカっ!?」


 駅員が素っ頓狂な声を上げた。

 のどかの目にも、それは確かに見覚えのあるデザインだった。水色と緑の配色。角が少し丸みを帯びたICカード。間違いなく、ラクカだ。

 ――なぜ持っている。

 勝ち誇った顔で、ゴブリンがカードを改札機にタッチする。


 ピッ

『ぴんぽーん♪ 残高不足です』

 バタンっ。


 無情にも、改札のバーがゴブリンの進路を塞いだ。

 一瞬の沈黙。

 ゴブリンの表情が凍りつく。のどかと駅員も凍りつく。ホームの向こうでは警備隊がまだゴブリンを追いかけている。そのどれとも関係なく、改札口だけが静寂に包まれた。


「……残高不足ですので、精算機でのチャージをお願いいたします」


 駅員が、職業的な正確さで案内する。声は震えていたが、手順は完璧だった。


「グルルル……」


 ゴブリンは悔しそうに唸ると、腰に下げた革袋をごそごそと探り始めた。ジャラジャラと音を立てて中身を取り出す。

 金色と銀色の、見慣れないコインが手のひらに並んだ。

 刻印は明らかに日本のものではない。おそらく異世界の通貨だろう。


「いや、客扱いなんですか」


 のどかの呟きは、誰にも拾われなかった。

 駅員は申し訳なさそうに、しかし毅然と首を横に振った。


「お客様、こちらの通貨はお取り扱いできません。日本円でのお支払いをお願いいたします」


 ゴブリンが金貨を突き出す。駅員が丁寧に押し返す。ゴブリンがさらに銀貨を積む。駅員がさらに丁寧に押し返す。

 コインの中には、溶かせばそうとうな価値がありそうなものも混じっている。だが、ここは法治国家日本である。改札を通るには円が要る。それだけの話だった。

 やがてゴブリンは力尽きたように改札の前にうずくまり、両手を床について項垂れた。散らばった金銀の異世界コインが、蛍光灯の下でむなしく光っている。

 のどかは静かにその光景を見守っていた。哀愁があった。確かに哀愁があったのだが、同情してはいけない場面だということもわかっていた。


 ◆


 その頃、ホーム上の状況は着々と収束に向かっていた。

 鉄道警備隊の手際は、課長の言った通り見事なものだった。捕獲されたゴブリンやカブ系モンスターが次々とネットに包まれ、改札口前の門の中へと放り込まれていく。小さな悲鳴と、葉っぱの擦れる音。門の向こうに消えていくカブたちを、遠巻きにスマートフォンで撮影している乗客もいた。

 のどかが端末を確認すると、残留魔力の数値がじわじわと低下している。門の出力が弱まっている証拠だ。このまま残留物を処理すれば、自然閉門まであと少し。


「手際がいいですね」


 隣に立つ駅員に声をかけると、駅員は少しだけ胸を張った。


「ええ。出勤時間特別手当が出ますから、皆はりきってますよ」


 モチベーションの源泉がそこなのかとは思ったが、結果として現場が回っているなら問題はない。


「ですが」


 のどかはホームの奥に目を向けた。


「最後のが厄介そうですね」


 鉄道警備隊の隊長らしき人物が、ホームの端でメガホンを手に叫んでいる。


「残留確認! 巨大カブモンスター、線路内に一匹!」


 線路の中央に、それは鎮座していた。

 駅のホームから見下ろしても、人の背丈ほどはある巨大なカブ。白い球体に紫がかった葉が力強く広がり、地面——というか線路の砂利の中に、がっちりと根を張っている。

 警備隊員たちが線路に降り、ロープをカブに括りつけ、声を合わせて引っ張っていた。


「せーのっ!」

「ヨイヨイっ」

「せーのっ!」

「ヨイヨイっ」


 びくともしない。

 引っ張るたびに隊員たちの足が砂利の上を滑るだけで、カブはまったく動く気配がない。大地に愛されているとしか言いようのない根の張り方だった。


「しかたがありませんね。手伝います」


 のどかは端末をポケットにしまい、ホームの端から線路内へ降りようとした。


「あ、すいませんお客様」


 駅員が、条件反射のように手を出した。


「線路内は立ち入り禁止となっておりまして」

「人災扱いで処理してください。防衛軍の現場監督権限です」

「承知しましたー!」


 この切り替えの早さが、民間の強さだとのどかは思った。

 線路に降り立つと、砂利を踏む感触が靴底に伝わってくる。通勤用のパンプスで線路を歩く日が来るとは思わなかった。

 のどかはロープの最後尾につく。前には鉄道警備隊の面々がずらりと並んでいる。全員、制服にヘルメットという出で立ちで、額に汗を浮かべている。

 朝の出勤時間帯に線路でカブを引き抜く。勤務内容としては、かなり特殊だろう。


「防衛軍の方、お手伝い感謝します!」

「いえ、よろしくお願いします」


 太くて硬いロープが手に食い込む感触に、これは事務職の手にはきついな思う中、隊長の号令が響く。


「よーし、いくぞー! せーのっ!」


 全員が一斉に力を込める。

 ロープが張り詰め、カブの葉が揺れる。が、抜けない。


「もう一回! せーのっ!」


 砂利の上で足を踏ん張り、全身で引く。隣の警備隊員が歯を食いしばっている。のどかも歯を食いしばった。事務処理能力では解決できない、純粋な物理の壁がそこにあった。

 ただ、手応えはあった。先ほどよりほんのわずか、カブが揺れた気がする。あと何人かいれば。

 応援を呼んだ方がいいだろうか。端末で追加人員を要請するか。そう考えていたとき、背中にぽんと何かが触れた。

 振り返ると、ゴブリンがいた。

 改札前で項垂れていた、あのゴブリンだ。


「あれ、手伝ってくれるんですか?」

「グルルッ」


 コクコクと頷くゴブリン。小さな手でロープの端を掴み、のどかの後ろに並んだ。

 先ほどの哀愁に満ちた姿からは想像もつかない、やる気に満ちた目をしている。改札での敗北を、ここで取り返すつもりなのかもしれない。


「……ありがとうございます、助かります」


 のどかはロープを握り直し、前方の隊列に声をかけた。


「それじゃあ、みなさん力を合わせていきましょう!」


 隊長が振り返り、最後尾のゴブリンを見て一瞬固まったが、すぐに向き直った。現場判断としては正しい。戦力は多い方がいい。


「よーし! 最後だ! せーのっ!」


 全員が声を合わせる。ゴブリンも小さく唸りながらロープを引く。

 リズムよく。一回。二回。三回――

 ずぼっ、と。巨大なカブが、呆気ないほど素直に線路から抜けた。

 根に絡まった砂利がぱらぱらと散り、朝日の中をカブの葉が大きく揺れた。


「抜けたー!」

「ああよかった……これで運行できる」

「今回の手当は美味しいな」

「出勤時間特別手当、ボーナス査定に入るんだっけ?」


 各々が呟きながら、ロープを回収し、装備を片付け、てきぱきと解散していく鉄道警備隊の面々。プロの仕事だった。災害が終われば、通常業務に戻る。それだけのことだ。

 線路の上には、のどかと、窓口から降りてきた改札の係員と、ゴブリンの三者だけが残された。

 巨大なカブが、線路の脇にごろんと転がっている。


「これであとは放り込んで、端末のシステムで門を閉じるだけですね」


 のどかが端末を操作しながら門の残留魔力を確認する。数値はほぼゼロに近い。処理完了まであと少し。


「残留カブは……」


 係員がカブを見上げ、それからゴブリンを見た。ゴブリンの目が、きらきらと輝いている。


「あ、どうぞお持ち帰りください」

「グルル……!」


 ゴブリンの顔が――人間の感情表現に当てはめるなら――ぱあっと明るくなった。

 改札では敗北した。金貨も銀貨も通じなかった。異世界の通貨は、この法治国家では一円の価値もなかった。

 だが、カブは違う。カブは万国共通の食料だ。異世界でもこちらの世界でも、カブはカブである。


「……なんで成立してるんですか」


 のどかの呟きに、係員は苦笑いだけを返した。

 ゴブリンは嬉しそうに、自分の体ほどもある巨大なカブを両腕で抱え上げ、よたよたと門の方へ歩き始めた。

 門の淡い光の中にゴブリンの背中が溶けていく。最後に一度だけ振り返り、小さく手を振ったように見えた。

 ――見えただけかもしれない。

 のどかは端末を操作した。門の閉鎖シークエンスが起動し、淡い緑色の光が徐々に薄れていく。裂け目が狭まり、空気が正常に戻り、やがて何事もなかったかのようにただの駅に戻った。

 残留魔力ゼロ。門の消滅を確認。

 のどかは端末に処理完了の入力を済ませ、ポケットにしまった。

 やがて、構内のアナウンスが流れてくる。


『本日は異世界門の発生に伴い、一部列車に遅れが生じております。ご利用のお客様にはご不便をおかけいたしますことをお詫び申し上げます。遅延証明書は改札窓口にてお受け取りいただけます』


 遅延は発生した。通勤は妨害された。書類は確実に増えた。

 だがまあ、誰も怪我をしていない。モンスターも全て帰還した。巨大カブも処理された。鉄道警備隊は手当に満足している。ゴブリンはカブを手に入れた。

 のどかは改札窓口に向かい、遅延証明書を一枚受け取った。


「……遅延証明書があるだけマシですね」


 小さく呟いて改札をようやく通った。



 ――業務日誌――


 案件名:異世界門通勤妨害案件

 発生場所:主要駅改札口付近

 災害区分:人災

 被害状況:列車遅延(最大28分)+駅構内軽微被害+線路内農作物残留

 対応:防衛課リモートシステム処理+鉄道警備隊+一般協力者一匹

 備考:残留カブは「お土産」として一般協力者ゴブリンに引き渡し、自主帰還を確認。なお、同協力者は交通系ICカード「ラクカ」を所持しており、入手経路については不明。次回発生時に聴取を検討。

 

 ※観測できない災害は人災扱いとして処理済み。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ