第5話「そんなことしてるから彼女できないんですよ」
街が、おかしなことになっていた。
十二月の都心。イルミネーションが街路樹を彩り、商業施設のスピーカーから流れるジングルベルと、どこからか聞こえる読経が混線している。
空を見上げれば、二つの巨大な光が対峙していた。
片方は慈悲に満ちた微笑み。後光が差しているが、その手は拳を握っている。もう片方は穏やかな座禅の姿勢のまま、蓮の台座ごと浮遊していた。静かだが、周囲の空気が歪んでいる。
その二柱の間を、赤い帽子の白ひげがトナカイに引かれた橇で滑空していった。なぜか一番目立っている。
「課長、上空に二柱と赤帽一名、確認しました」
のどかは無線を片手に、交差点の真ん中に立っていた。周囲では避難誘導の防衛軍職員が走り回っている。年末の総動員体制。裏方もヒーローもロボもアルバイトも、使える人員は全部出ている。
『あの二人は放っとけ。こっちに降りてこない限り静観だ』
課長の声は無線越しでも淡々としていた。司令室で書類と通信を回しているはずだが、声にはいつもの余裕がある。
「放っておいていいんですか……? 」
『君子危うきに近寄らず。あの二人に手を出せる職員はいねぇ。勝手にやらせとけ』
遠くで光と衝撃波がぶつかった。読経とオルガンの和音が空を揺らす。トナカイの鈴がその上を軽快に通り過ぎていく。
「……赤帽が一番元気ですね」
『あいつは毎年ああだ』
隣で、エミリが両手で頭を抱えていた。
「なんなんですの、なんなんですのこれぇぇぇ!! 」
朝からこの調子だった。初めての日本の年末。クリスマスと大晦日と正月が折り重なるカルチャーラッシュに、北米育ちの常識が木っ端微塵にされている。
「なんで救世主様と悟りを開いた方が同じ空にいるんですの!? 宗教的にありえませんわ!! 」
「まぁ、日本だし」
ヨルの声は平坦だった。避難誘導の合間に、煙草を吸いたそうな顔をしている。
「日本だしで済ませないでくださいまし! しかもあの赤帽! なんで救世主様より目立ってるんですの! 」
「商業的な理由でしょ」
「商業!? 」
エミリが絶句した。その間にも、上空では光の応酬が続いている。橇はその間を器用にすり抜けて、笑い声をまき散らしていた。
のどかはため息をひとつ吐いて、端末を確認した。全国の対応状況が次々と更新されている。北海道から九州まで、季節系の怪異報告が止まらない。
『新人、そっちの二柱は動くな。次の案件に集中しろ』
「次って……まだあるんですか」
『年末だぞ。あるに決まってんだろ』
その言葉が終わるより先に、路地の奥から怒号が聞こえた。
◆
男たちの集団だった。
全員がマッチョだった。鍛え上げられた肉体にタンクトップを着て、目出し帽のような覆面をかぶっている。額の部分に、一文字。手書きで「嫉」。
十人ほどが隊列を組んで、イルミネーションの下を行進していた。
「聖なる夜にイチャつく奴らに――正義の鉄槌を! 」
「リア充爆発! 愛の独占反対! 」
「俺たちは社会の是正装置だッ! 」
声量だけは立派だった。筋肉も立派だった。しかし覆面の下から見える目は、どこか潤んでいる。
のどかは足を止めた。
「課長……あれは」
『嫉妬マスク団。年末恒例の反恋愛派だ。ただの一般人だぞ』
「一般人……あの筋肉で……? 」
『モテないエネルギーを全部筋トレに注ぎ込んだ結果だ』
ヨルが腕を組んだ。
「去年は恋人手繋ぎ税の署名活動してたわね」
「手繋ぎに課税……」
「七百九十三票集まったのよ。泣くぞって語呂で」
エミリが目を見開いた。
「七百九十三票も集まったんですの!? 」
「世の中、涙の数だけ署名があるのよ」
嫉妬マスク団のリーダーが、交差点の中央で拳を突き上げた。
「今宵、我ら嫉妬マスク団は宣言する! 聖夜のカップルに正義の裁きを――」
だが、その演説は最後まで続かなかった。
空気が変わった。
嫉妬マスク団の負の感情に呼応するように、通りのマンホールから黒い煙が滲み出してきた。もやもやと形を成しながら、小柄な影が次々と這い出してくる。
煩悩だった。
「おっ、なんかいい感じの負の波動」
「スカートめくっとく? 」
「触るだけ、触るだけだから! 」
小さくて丸くて黒い、目だけがぎょろぎょろしている。数は多いが、一体一体は弱い。典型的な小物だった。
のどかが声を上げた。
「あなたたち大晦日担当でしょう! まだ一週間近くありますよ! 」
「いやぁ、嫉妬の波動が心地よくてさぁ……つい」
「待ちきれなくてさぁ」
「フライングだけど、ちょっとだけ……」
『出番の早い煩悩ほど小物だ。放っときゃ消える』
課長の無線が割り込んだ。だが、状況はそう単純ではなかった。
嫉妬マスク団のリーダーが煩悩たちに向き直った。
「おい煩悩ども! 我らの崇高な理念に共感するなら協力しろ! 」
煩悩たちが顔を見合わせた。
「えー、でもカップル見てるの楽しいしなぁ」
「お前らの理念ってなに? 俺ら欲望担当だから理念とかないし」
「嫉妬だって欲望の一種だろ」
「貴様ら……! 」
小競り合いが始まった。嫉妬マスク団が「我らの正義を汚すな! 」と叫び、煩悩たちが「正義って言うけどお前らもモテたいだけだろ! 」と返す。筋肉とぷにぷにした黒い塊がもみ合い、プレゼントの袋が宙を飛ぶ。
エミリのスカートの裾を、煩悩が引っ張った。
「きゃあぁぁぁ!! 引っ張らないでくださいまし!! 」
「えへへ、ちょっとだけ……」
「ちょっともダメですわ!! 」
別の煩悩がのどかの袖を掴んだ。
「ねぇねぇ、24日が憎いんだけど。俺らにも素敵な彼女をプレゼントしてくんない? 」
「知りませんよそんなの! 」
「えー、防衛軍でしょ? 地球守ってんでしょ? 俺らの心も守ってよ」
のどかは煩悩を振り払った。数が多い。一匹一匹は大したことないが、次から次へと湧いてくる。嫉妬マスク団との小競り合いも収まる気配がない。
ヨルが煩悩を足元から払いのけながら呟いた。
「人間の感情が全部まとめて爆発してる感じね」
無線が入った。
『新人、さっさと片づけろ。こっちは通信が鳴り止まねぇんだ』
課長の声に、わずかに疲労がにじんでいた。全国の年末案件を同時に裁いているのだ。
のどかは深呼吸をした。
煩悩が足元にまとわりつく。嫉妬マスク団がスローガンを叫んでいる。上空では二柱がまだ光り合い、赤帽の橇がその間をすり抜けていく。
カオスだった。
だが、答えは単純だった。
のどかは一歩前に出た。息を吸った。
「もういいかげんにしてください! 」
声が通りに響いた。煩悩も嫉妬マスク団も、動きを止めた。
「クリスマスだろうが大晦日だろうが——」
のどかは全員を見回した。
「そんなことしてるから彼女できないんですよ!! 」
静寂が落ちた。
街灯の下で、煩悩たちが固まっていた。目がぐるぐると回っている。嫉妬マスク団のリーダーが覆面の下で何かを呟いたが、声にならなかった。
「……確かに」
「……それは……」
「……言い返せない……」
一匹、また一匹と、煩悩たちが白目を剥いて霧散していった。嫉妬マスク団は膝から崩れ、静かに覆面を外して散っていく。その背中は、筋肉質なのにどこか寂しかった。
通りに、ジングルベルの音だけが残った。
ヨルが目を丸くした。
「正論、最強ね」
エミリが呆然と呟いた。
「……浄化ですわ。正論による浄化……」
無線から、課長の声が聞こえた。
低く、短い息が混じっていた。
『……見事だ』
のどかは少し胸を張った。
「日々の勤務で鍛えました」
『……年度末査定に反映しておく』
上空で、二柱の光がふっと弱まった。どちらともなく、静かに空へ戻っていく。赤帽の橇も、鈴の音を残して夜空に消えた。
街に、普通のクリスマスの夜が戻った。
エミリが膝に手をついていた。
「……わたくし、日本の年末が怖くなりましたわ……」
ヨルがコートのポケットに手を突っ込んだ。
「慣れるわよ。来年も同じだから」
「来年もあるんですの!? 」
のどかは街灯の下で、イルミネーションを見上げた。光がちらちらと瞬いている。煩悩の残り香もなく、嫉妬マスク団の怒号もない。穏やかな夜だった。
無線が鳴った。
『おい新人。戻ったら報告書な。煩悩の体数は覚えてるか』
「数えてません……」
『適当に108で出しとけ。縁起がいい』
「縁起の問題なんですか……」
——業務日誌——
案件名:年末恒例・複合季節災害
発生場所:都内各所(上空および地上)
災害区分:都市災害(複合型)/二柱および赤帽飛行体は静観対応
被害状況:物理被害なし。都心部の交通規制のみ。
対応:上空の二柱の接触事案および赤帽飛行体については静観。地上にて嫉妬マスク団(一般人・推定十名)および季節外れの煩悩(推定108体)が出現。嫉妬マスク団については怪異ではなく一般人のため、拘束等の対応は見送り。煩悩は正論による精神的打撃にて全体が自然消滅。
備考:煩悩の正式体数は不明のため、便宜上108体として処理。東雲研修生が「日本の年末が怖い」と言っていた。来年には慣れると思われる。
※観測できない災害は人災扱いとして処理済み。




