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第2話①「見た目より中身が大事ですが、書類は形式です」

「春森さん、ちょっと見てください」


 朝のオフィス。出勤して端末を立ち上げたのどかに、エミリがタブレットの画面を向けた。

 映っているのは、エミリが今朝撮ったらしい通勤路の写真だ。

 駅前のロータリー。ガードレール。曇り空――のはずだが、空が夕焼けになっていた。


「きれいですね。フィルターですか?」

「かけてません」


 エミリが画面を拡大する。ガードレールが銀色に光っている。アスファルトに水たまりの反射が追加されている。曇り空だったはずの雲が、紫とオレンジのグラデーションに塗り替えられている。


「撮った時は曇りでした。でもカメラロールに保存された時点で、これです」

「……勝手に加工されたんですか?」

「私のタブレットだけかと思ったんですが」


 エミリがタブレットをスワイプした。

 SNSのタイムラインに流れてくる写真が、すべて同じ傾向を示していた。何を撮っても空は夕焼け。料理にはレンズフレア。人の肌は陶器のように滑らか。

 撮影者の意図とは無関係に、あらゆる写真が「映える」方向へ補正されている。


「全国規模です。トレンドが大変なことになってます」


 のどかは自分のスマホを取り出した。昨日の帰りに撮った夕飯の写真を開く。

 赤ちょうちんのカウンターで食べた焼き鳥丼。茶色い、だけどこれ絶対うまいやつという地味な茶色。

 写真の中の焼き鳥丼は、黄金色に輝いていた。タレの照りが宝石のように反射し、ネギの緑が蛍光色に発光し、丼の縁にはどこから来たのかレモンのスライスが添えられている。


「……レモン、頼んでないんですけど」

「写真に足される事例もあるようです」


 のどかはスマホをそっとデスクに伏せ、課長を見る。

 いつものようにデスクでマグカップを傾けていた。


「課長、これ――」

「聞こえてる」


 内線が鳴り、課長が受話器をとる。しばらくすると「了解。回してくれ」とだけ言って切った。


「案件だ。全国で写真・映像の自動補正現象が発生している。物理的な破壊はないが、現実の視覚情報が改変されている。上が災害認定を出した」

「災害レベルは」

「今のところ都市災害。ただし現実改変系だから、このまま拡大すれば国家災害に上がる」


 課長がマグカップをデスクに置いた。


「新人、情報を集めろ。東雲、現象の波形を解析しろ。……部長にも繋いでおけ」


 ◆


 1時間後。課のモニターに、エミリがまとめた資料が表示されていた。

 タイトルは「SNS由来現実改変現象――通称『映え災害』」。

 のどかはメモを取りながら、エミリの報告を聞いていた。

 またおもしろそうなことが起こったと思ったのか、ヨルさんは夜勤明けでまだ帰っておらず、デスクの端でコーヒーカップを傾けながら画面をぼんやり眺めている。

 壁のモニターには部長が映っていた。ツインテールを跳ねさせながら、無言で資料に目を通している。


「原因の概要です」


 エミリが淡々と説明を始めた。


「現在、全国のスマートフォン・カメラ・監視映像を含むあらゆる撮影機器で、映像の自動補正が発生しています。補正の方向性はすべて『映え』。より見栄えのする方向への改変です」

「原因は」

「SNS上の承認欲求の総量が、臨界点を超えました」


 課長がコーヒーを口元で止めた。


「もう少し噛み砕いてくれ」


「この世界では、人間の集合的な感情が一定量を超えると、物理現象として発現することが過去にも確認されています。恐怖の集合で怪獣が出現した事例、怒りの集中で局地的な地震が誘発された事例。今回はそれの承認欲求版です」

「いいねが欲しすぎて世界がバグった」

「端的に言えばそうです。『見てほしい』『認めてほしい』『映えたい』という欲求が飽和し、現実の視覚情報そのものを書き換え始めています」


 課長が天井を仰いだ。


「……人間がうるさすぎるのが原因か」

「はい」

「倒す相手がいないな」

「いません。強いて言えば、全人類が犯人です」

「被害状況は」


 壁のモニターに映る部長に即され、エミリがスライドを切り替えた。


「庁舎のセキュリティカメラの映像が自動補正され、侵入者の顔が美肌加工されるため識別が困難になっています。次に、証明写真機の写真がすべてキラキラ加工になり、身分証明書として機能しなくなりました。コンビニ弁当のパッケージ写真が中身より三割増しで美味しそうに見えるため、景品表示法の問い合わせが殺到。あと、交差点の信号機がSNSのタグの影響で全て暖色系になり――」

「暖色?」

「赤も黄色もおしゃれなオレンジです」

「……事故は」

「奇跡的にまだ起きていません。運転手も歩行者も全員スマホのに夢中ですが」


 課長の口元がわずかに歪んだ。笑いではない諦めに近い何かだ。


「それはそれで問題だろ」


 のどかはメモを取る手を止めて、ふと窓の外を見た。

 10月の東京の空は晴れているはずだった。だが窓ガラス越しの空は淡いピンクに染まり、雲がハート型に整えられていた。


「……課長、窓の外も映えてます」

「見るな。仕事しろ」


 ◆


 現象は、時間とともに拡大していった。

 午前中のうちに、被害は写真の加工を超えて、存在の認識そのものに影響を及ぼし始めた。

 最初の報告は、エミリが淡々と読み上げた。


「映えポイントの低い個人が、デジタル上で透明化しています」

「透明化?」

「SNSのプロフィール、社内システムの登録情報、メール署名。映え指数が一定以下の個人データが、自動的に非表示になります。存在しないものとして処理されている」

「まさか――」


 のどかがモニターを確認した。社内システムにログインし、課員の一覧を開く。課長の名前を探す。

 なかった。


「課長」

「んー」

「課長の名前が、社内システムから消えてます」

「だろうな」


 課長はコーヒーを啜りながら、自分のモニターを覗いた。


「通知欄が『該当ユーザーは存在しません』になってるな」

「大丈夫なんですか?」

「通知切ってるからな。もともと存在しないようなもんだ」


 ヨルさんがデスクの端から、ぽつりと言った。


「……うちの庁舎も消えましたよ」

「は?」

「公式サイトから。庁舎の外観写真、内部の映像、職員紹介ページ、すべて自動削除されてます。判定理由は『地味で伸びない』」


 のどかが確認すると確かに公式ページが、あらゆる投稿サイトから消失していた。「地味」「視覚的ノイズ」「コンテンツとして不適格」。自動判定のログにはそう記録されている。


「……存在抹消されましたね、うち」


 ヨルさんの声は穏やかだった。気にしている様子はない。

 課長がコーヒーを置いた。


「公務員の地味さが、ついに社会的に無視される時代か」

「でも」

 のどかがメモ帳から顔を上げた。

「地味って、大事じゃないですか?」

「お前、そんな正論言うとフォロワー減るぞ」

「SNSやってません」

「だから消されないんだな」


 壁のモニターで、部長が扇子を閉じた。


「笑い話で済んでるうちはいい。だが現実改変のレベルがこのまま上がれば、国家災害に格上げだ。対策を出せ」

「了解。ただ――」


 課長が腕を組んだ。


「倒す相手がいない災害の対策は、ちょっと考えさせてくれ」

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