第2話②「見た目より中身が大事ですが、書類は形式です」
◆
転機は、ヨルさんだった。
昼過ぎ。のどかがモニターで情報を整理していると、エミリが声を上げた。
「……これ、見てください」
エミリがタブレットの画面をモニターに転送した。SNSのトレンドページに急上昇しているタグがある。
#寝ぐせ尊い
#コーヒーの湯気が神
#疲労感の美
#無加工の女神
添付されている画像は、監視カメラの映像だった。
庁舎内の、とある角度から撮られた一枚。デスクの端に座り、コーヒーカップを傾けている女性。黒髪が肩に流れ、ピアスが蛍光灯の光をかすかに拾い、寝ぐせがひとつ、右のこめかみあたりで跳ねている。疲れた目元。気だるい姿勢。何の加工もない、ただの夜勤明けの姿。
ヨルさんだった。
「バズってます」
エミリが数字を読み上げた。
「拡散数、1時間で八百万。現在も加速中。コメント欄は――」
「いいよ、読まないで」
ヨルさんがコーヒーカップの縁から声を出した。面倒くさそうだった。
「「自然体こそ最強」「この人だけ現実」「加工に疲れた人間はここに来い」「無加工で神ってる」」
「だから読まないでって」
ヨルさんが片手を上げて制した。気だるげな動作だったが、その耳がわずかに赤いようにも見えた。
「なんで監視カメラの映像がSNSに出てるんですか」
のどかの疑問はもっともだった。エミリがタブレットを操作して確認する。
「映え災害の影響で、庁舎内の監視カメラ映像がSNSに自動アップロードされたようです。映え指数の高い映像を自動的に拡散するアルゴリズムが走っていて」
「つまり、加工された映像じゃなくて素の映像が映えと判定されたのか」
課長が言った。
「はい。映え災害のアルゴリズムが、逆説的に無加工の美を最高評価しています。加工されたものだらけの世界で、加工されていないもの。それが希少価値を持った」
ヨルさんがため息をついた。
「……寝てないだけなんだけど」
「努力が報われない世界に拍車がかかったな」
課長が淡々と言った。ヨルさんはコーヒーをもう一口啜って、窓の外を見た。ピンク色の空を、何とも言えない表情で眺めていた。
ヨルさんは、ネット上では「闇系お姉さん」として一定の知名度がある。
ビルの屋上から飛び降りる謎の美少女。夜の都市に現れる黒い影。それはそれで別の文脈でバズっている人だ。ただし、本人と結びつけて認識している者はいない。
ヨルさんにとって、ネットでの注目は今に始まったことではない。
だからこそ、いちいち気にしない。うっとうしいが、実害がなければ放っておく。それがこの人のスタンスだ。
「ところで」
エミリが画面を切り替えた。
「黒瀬さんのバズの影響でトレンドが変わり始めています。ナチュラルが新しく台頭し、過剰な加工への反動が起きている」
「じゃあ、解決に向かってるのか?」
「いえ。問題はここからです」
エミリの顔が曇った。
「『加工しない』がトレンドになったことで、逆に『加工しない風の加工』が大量に生まれています。ナチュラル風フィルター、寝ぐせ加工アプリ、疲労感メイクチュートリアル。素のふりが新しい映えになっただけで、承認欲求の総量は減っていません」
「……結局、見られたいだけってことね」
ヨルさんが静かに言った。
「でも、見られなきゃ存在できない時代ですし……」
のどかがぽつりと自分でも意外な言葉を漏らした。
映え指数で存在が消える世界。それは極端だが、現実の延長線上にある感覚だった。
課長がマグカップを置いた。
「じゃあ地味な俺が生きてる理由は何だ」
誰も答えなかった。
エミリがタブレットの数字を読み上げた。
「現象の承認欲求指数、まだ上昇中です。ナチュラルトレンドでは中和しきれません。もっと根本的な、人間の承認欲求そのものを別の方向に逸らす必要があります」
課長が腕を組んだ。
しばらくの沈黙があった。コーヒーマシンが小さく唸っている。蛍光灯が白い。窓の外のピンク色の空が、じわじわと濃くなっている気がした。
「……課長」
エミリが口を開きかけた。
「黙ってろ。考えてる」
課長はモニターを見ていた。画面の隅に、防衛軍の管轄施設一覧が表示されている。
施設一覧の中ほど、課長の目が止まっている場所がある。
小さな文字で――小型怪獣保護管理施設(第三飼育棟)。
「……新人」
「はい」
「この施設、知ってるか」
施設名の横に、簡単な概要が記されている。
迷い小型怪獣や、母体を失った幼獣の保護・飼育・野生環境への帰還を行う施設。
「……知りませんでした。こんな施設があるんですね」
「地味だからな。誰も知らない。……ライブカメラ、あるか」
エミリがタブレットを操作した。
「あります。施設内部の監視用ですが、映像回線は外部公開も可能です。ただ、今まで一度も公開されたことはないようです」
「映せ」
「はい?」
「その施設のカメラ映像を、SNSに流せ。全チャンネル。タグはなし。フィルターもなし。何もつけるな。ただ映せ」
エミリが一瞬だけ課長を見た。それから、何かを理解したように頷いて、タブレットを操作し始めた。
「了解です。公開設定を変更します」
モニターの画面が切り替わった。
ライブカメラの映像。白い壁の部屋。床に敷かれた柔らかいマット。隅に水飲み場と、小さな毛布が何枚か重ねてある。
そして画面の中に、小さな怪獣がいた。
手のひらに乗るくらいの大きさの、丸い体。短い手足。まだ柔らかそうな、小さな角。尻尾は体の割に長くて、ふわふわと揺れている。
一匹ではなかった。三匹。いや、四匹。マットの上で、団子のように重なり合っている。一匹が寝返りを打って、隣の一匹の上に転がった。下敷きになったほうが小さな声で鳴いた。甲高い、か細い声。
のどかの手が止まった。
メモ帳を握ったまま、モニターを見つめている。
飼育員らしい人影が画面の端に映った。白衣を着た女性が、ミルクの入ったボトルを持って近づく。
赤ちゃん怪獣たちがのろのろと起き上がり、おぼつかない足取りでミルクに向かって歩き始めた。一匹が転んだ。短い手足をばたつかせて、起き上がれない。
飼育員が片手でそっと起こしてやると、何事もなかったようにまた歩き出した。
「…………」
のどかは、自分が息を止めていたことに気づいた。
「……かわいい」
声が漏れた。仕事中だった。メモ帳を持っていた。映え災害の対策会議の最中だった。だが、そんなことはどうでもよかった。
「かわいいですね、この子たち……」
エミリがモニターを見た。
「……確かに、かわいいですね」
ヨルさんもモニターに目をやった。表情は変わらない。だがコーヒーカップを置く手が、少しだけ丁寧になった。
画面の中で、赤ちゃん怪獣の一匹がカメラのほうを向いた。小さな目で、じっとレンズを見ている。首をわずかにかしげた。
飼育員が画面の端で首をかしげた。
「……今日、妙にこっち見ますね、この子」
もう一匹がカメラの前に歩いてきた。短い尻尾を振りながら、レンズの前に座り込んだ。
三匹目が転がるようにやってきて、一匹目の上に乗った。四匹目は眠いのか、マットの端で丸くなったまま動かない。
のどかはモニターから目が離せなかった。
「課長、この施設って」
「迷い怪獣や孤児の保護施設だ。育てて、元の環境に返す。地味だが、ずっとやってる」
「知らなかったです」
「知られてないからな。映えないから」
角の先にミルクの泡をつけ、赤ちゃん怪獣がおいしそうに飲んでいる。
「『映え』は、もういい。世界が今欲しいのは『kawaii』だ。加工も演出もいらない、ただそこにいるだけでかわいい。それに勝てるフィルターはない」
エミリがタブレットの数字を確認した。
「……課長。公開してまだ五分ですが、視聴者数が跳ね上がっています」
「どのくらいだ」
「10万……20万……まだ増えてます。コメント数も凄まじいです」
エミリがスクロールした。
「『何も考えずに見られる』『加工に疲れたので来ました』『角にミルクついてる』『これだけでいい』『なぜか涙が出てきた』」
「泣くことはないだろ」
「『仕事中に見てます』が多いですね」
「それは問題だが、今は黙認しろ」
赤ちゃん怪獣がミルクを飲み終えて、満足そうに丸くなった。
角の先のミルクの泡は、まだついたままだ。飼育員がそっと拭こうとしたが、怪獣が寝返りを打って避けて、泡はそのまま残った。
カメラの前の一匹が、まだこちらを見ている。小さな目で、じっと。のどかのいるモニターの向こう側を見つめるように。
◆
3時間後。
モニターの横に、エミリがまとめた経過報告が表示されていた。
「小型怪獣保護施設のライブカメラ。累計視聴者数、八千万突破」
「3時間で?」
「3時間です。国内だけではなく、海外からもアクセスが殺到しています。多言語での自動翻訳コメントが流れていて『Japan kaiju baby』のタグが世界トレンド一位です」
課長がコーヒーを啜った。
「で、映え指数は」
「急速に低下しています」
エミリがグラフを表示した。承認欲求指数のカーブが、午後から急激に下がっている。
「推定ですが、映えたいという欲求がかわいいを見たいに置き換わってます。自分を見てほしい、ではなく、あの子たちを見たい。承認欲求のベクトルが、自己から他者に向かって反転しています」
「……かわいいは、承認欲求の天敵か」
「データ上は、そうなります」
窓の外を見た。ピンク色だった空が、少しずつ元に戻り始めていた。ハート型の雲がほどけてウロコ雲が形作られいる。
「信号は」
「暖色系から元の三色に戻りつつあります。証明写真機も正常化。コンビニ弁当のパッケージも……まあ、もともと三割増しですが」
「それは仕様だろ」
ヨルさんがデスクから立ち上がった。ようやく退勤するらしい。
コーヒーカップを流しに持っていきながら、モニターをちらりと見た。角の泡はいつの間にか乾いており、赤ちゃん怪獣はまだ丸くなっている。
「……かわいいが世界を救うなんてね」
「救ったんじゃない。落ち着かせただけだ」
課長が言った。
「人間は騒ぎ疲れたら、静かなものを見たくなる。それだけのことだ」
壁のモニターから、部長の声。
「格下げだ。国家災害の手前で止まった。都市災害のまま処理しろ」
「了解」
「あと、そのライブカメラは残しておけ。需要があるうちは公開を続けろ」
「……部長も見てたんですか」
「見てない。報告書で判断しただけだ」
部長の画面の端に、小型怪獣保護施設のライブカメラの小窓が映っていた。のどかはそれを見て、何も言わなかった。
◆
夕方。
映え災害はほぼ収束し、課の空気はいつもの温度に戻っていた。
のどかは報告書の下書きをまとめている、穏やかな時間だった。
内線が鳴った。
「はい、特殊二課です」
のどかが受話器を取った。しばらく聞いて、眉がわずかに上がった。
「……はい。はい、確認します」
受話器を置いて、課長を見た。
「課長。庁舎の外壁に、巨大な絵が出現したそうです」
「絵?」
「正体不明の巨大アートです。いつの間にか描かれていたと」
エミリがタブレットを操作して、外部カメラの映像をモニターに映した。
庁舎の外壁。灰色のコンクリートの壁面いっぱいに、巨大な絵が描かれていた。
抽象的なモチーフ。色彩は抑えめだが、構図に不思議な引力がある。壁の質感を生かした、立体的なストリートアート。
エミリの目が見開かれた。この子がこういう反応をするのは珍しい。
「これ、世界的覆面アーティストの作風と一致します」
「覆面アーティスト?」
「世界中の建物に突然アートを残す、正体不明のアーティストです。作品が描かれた建物は、それだけで観光名所になります」
「え、ここ、地味で有名な庁舎でしょう?」
「タグが付いてます」
のどかがSNSの画面を確認した。
「『#沈黙の構造体』。……詩的ですね」
「アート市場で値がつき始めています」
エミリがタブレットを操作した。
「現時点で推定時価――数十億円」
課長がコーヒーを置いた。
「消せ」
「えっ」
「消せ。洗浄しろ」
「でも、もったいなくないですか? 数十億ですよ」
「ここは災害対策課だ。壁にいくらの値がつこうが、作品より現場が優先だ。落書きは落書きだ」
エミリが一瞬だけ迷った顔をして、それからタブレットに指を走らせた。
「……了解。洗浄ドローンを出します」
モニターに映る庁舎の外壁に、小型のドローンが近づいていった。高圧洗浄のノズルが伸びる。水流が壁面に当たり、絵が端から溶けていく。抽象的なモチーフが、色を失い、線を失い、水に流されていく。
数分後。
庁舎の外壁は、元の灰色に戻っていた。コンクリートの地肌にひび割れ。雨だれの跡がくっきりと残った何の変哲もない、地味な壁。
「……もとの灰色が、なんか落ち着きますね」
「それがいい」
課長がコーヒーを啜った。
「地味はすぐ消せるから価値があるんだ。飾られたら最後、維持管理で予算が飛ぶ」
「……そっちですか」
エミリがタブレットを確認して、少し呆れたような声を出した。
「タグ、更新されました。『#消されたアート』。『防衛軍が数十億の作品を消した』という投稿が拡散中です」
「……またバズってますね」
「放っとけ」
課長が椅子の背もたれに体を預けた。
「世界なんて、放っておくのが一番平和だ」
窓の外では、いつもの青に戻っていた。雲はハート型ではなく、ただのウロコ雲だった。
もうすっかり高い秋の空だ。
のどかはメモ帳を閉じた。デスクの端に置いたスマホを拾い上げて、焼き鳥丼の写真をもう一度見た。
茶色い丼に、茶色いタレ。レモンは消えていた。ネギは普通の緑色で、照りもごく控えめだ。
――やっぱり、これが一番おいしそうだ。
のどかはスマホをポケットにしまって、報告書の続きに戻った。
――業務日誌――
案件名:SNS由来現実改変現象(通称:映え災害)
発生場所:日本国内全域
災害区分:都市災害(国家災害直前で収束)
被害状況:映え指数による存在認識の変動、信号機の暖色化、証明写真の機能不全、SNS上での「地味」判定による庁舎公式ページの自動削除等。物理的破壊はなし。
対応:原因は人間の集合的承認欲求の過飽和。防衛軍管轄・小型怪獣保護施設のライブカメラ映像を全チャンネルに公開し、無加工の「kawaii」により承認欲求のベクトルを反転させ映え指数を中和。現象収束を確認。
備考:ライブカメラは部長指示により公開継続中。庁舎外壁に出現した正体不明のアート作品(推定時価数十億円)は課長判断により即時洗浄。
※観測できない災害は人災扱いとして処理済み。
新作を投稿しました。
西部劇×スチームパンク+酒カスのじゃロリ自動人形×シスコン系戦闘狂男子、という好きなものを詰め込んでみました。
よろしければ読んでください。




