第3話「巨大怪獣接近中につきハンコをお願いします」(前半)
「父島近海に未確認巨大生物、伊豆諸島を経て本州へ接近中!」
一報が入ってから数十分。課のモニターには、ヘリからの中継映像が映し出されていた。
海面を割るようにして、巨大な影が悠々と泳いでいる。スケール感がおかしい。周囲の波しぶきが、まるで水溜まりの飛沫のように見える。ヘリの高度から見下ろしているはずなのに、影の全体像がフレームに収まりきっていなかった。
リポーターがプロペラ音に負けまいと必死に声を張り上げている。風にかき消されそうな声が、妙に現実感を持って課のスピーカーから流れてきた。
「……まさか、こっちに真っ直ぐ来てません?」
「日本は災害に好かれるんだよ。昔からな」
怪獣が各島に上陸するたびに、地形が踏み潰されていく。海中ではわかりづらかったその巨体が、陸に上がると否応なしにあらわになった。足の一歩が港を潰し、尾の一振りが丘を崩す。全長は30メートルを超えている。
「あー、このサイズは国家災害か? いや、物理で効く相手ならギリギリ都市災害か」
課長がコーヒーをすすりながら呟く。その声はいつもとほとんど変わらなかった。ほとんど。のどかはこの一ヶ月で、課長の「ほとんど変わらない」の中にある微かな差に気づくようになっていた。
「課長! これ、首都圏直撃コースですよ」
「進行速度が早いな。そう猶予はないかもしれんな」
課長は何かを考えるように視線だけがモニターの怪獣を追っていた。
その間にも、モニターの中の怪獣に動きがあった。常に付きまとうヘリを小うるさく思ったのか、追いかけるように首を回す。
怪獣の顔が画面いっぱいに固定される。
爬虫類じみたウロコの一枚一枚まで見える。瞳孔が収縮するのが映った時、のどかはモニター越しにもかかわらず無意識に椅子を引いていた。
やがて怪獣は大きく口を開くと、背中が発光し始める。
喉の奥に光が溜まっていくのがわかる。ウロコの内側から照らされて、怪獣の輪郭が白く浮き上がる。
画面がぶれた。
カメラが定まらない方向をあちこち映し始める。ヘリが慌てて回避行動をとっているのだろう。リポーターの悲鳴じみた声が割れた音声で飛び込んでくる。
「ただいま父島が――!」
一瞬、画面が真っ白に染まった。
ブツン。音を立てて、映像が真っ黒に切り替わる。
真っ黒な画面に蛍光灯の光が反射して、立ち尽くすのどかの姿を映している。
「……こんなの都市災害どころじゃない。国家災害ですよ!」
「落ち着け。手配は俺がやるから、お前さんは書類を作成しろ」
課長の声は低く、しかし明瞭だった。よく出没する怪人の時とも、定例行事の砕石所とも違う。同じ淡々としたトーンの中に芯がある。
課長はそう言うと、自分のデスクに戻りどこかに電話をかけ始めた。
のどかは一瞬呆けたものの、すぐにパソコンへと向き合った。
今までやってきたことと変わらない。マニュアルは頭の中にある。あとは手を動かすだけだ。手順は同じ。規模が違うだけ。——そう言い聞かせながら稟議書の作成にとりかかる。
国家災害対応時の承認印リストが画面に表示された。
――国家災害対応:承認印=部長・次長・経理・外務調整課・国会事務局――
「こんなの……こんなの全部回してたら東京に着いちゃいますよ……」
のどかの拳が、キーボードの上で小さく握り込まれた。
五つの部署それぞれに説明して、稟議を通して、判子をもらう。早くて半日。遅ければ――考えたくもない。
その時、モニターに変化があった。真っ黒だった画面に、ときおり光の線や花火のような爆発が明滅している。
「これって」
やがてカメラがゆっくりと移動し、見慣れた地球や太陽ではない――どこか別の宇宙空間が映し出された。
艦隊が浮かんでいた。宇宙艦隊と言ったほうが正確だろう。数えきれない数の艦艇が隊列を組み、各種兵装が稼働している。
戦闘中のようで光線が飛び交い、爆発の閃光が艦艇の装甲を照らしている。
普段は怪人や採石場の爆破を映しているモニターに、宇宙戦争が広がっていた。
この振れ幅にいつか慣れる日が来るのだろうかと、のどかは頭を押さえていると課長の声が聞こえる。
モニターの通信へと切り替えたようだ。
「あー、すまん。こちら日本支部の課長だが、聞こえるか」
「ん? おお。どこかで聞いた声だと思ったら極東の坊主か。いや、今は課長と呼んだほうがいいかね」
画面の向こうから返ってきたのは、低く、どこか悠然とした声だった。戦場のど真ん中にいるはずなのに、声には余裕があった。
「坊主は勘弁してほしいですなぁ」
「ハハ、私から見たらまだまだ坊主だよ。――っと、すまんな。カメラの角度が悪い」
映像が動いた。
空母のデッキに、巨大な人型の光が仁王立ちしている。
銀と赤の光を纏った、途方もないスケールにのどかは思わず息をのむ。
見間違えるはずがない。
おそらく地球上で最も有名な光の巨人であり、子どもの頃にテレビで見た姿そのままだった。あの頃は画面の中の存在だったものが、今は仕事相手として課長と話している。
この仕事のスケール感に、まだ頭が追いついていない。
「恐縮なんですが、国家災害でお願いしたいんですけど」
「なんじゃ、国家レベルなら三分もあれば退治できるが――ワシにかけてくるとなると、人材不足か猶予がないのか」
「両方、と言いたいところですが。完全に私たちの問題ですね」
「おヌシもあいかわらず苦労しとるみたいだのぅ」
のどかは思わず安堵の息を漏らした。この方が来てくれるなら——。
だが、課長の表情は緩んでいなかった。険しいというより、どこか焦りを滲ませている。
「私の苦労で仕事が回るなら構わないのですが……やはり難しいですか」
「ああ、すまんが銀河帝国と交戦中でな。軽い小競り合いとはいえ、ワシが抜けるとちと厳しそうなんじゃ」
「いえ、すみませんお忙しい中。また何かあればお願いします」
「うむ。健闘を祈る」
課長が通話を切った。
ふぅと小さく息を吐いて、こめかみを軽く揉みほぐしている。画面が元の黒い宇宙空間に戻り、遠くで爆発の光が明滅していた。
「課長っ、他に戦力を——」
「手はあるが、上の判断次第だな」
その時、モニターに着信表示が割り込んだ。課長専用の回線だった。
課長が通話を開くと、整った執務室を背景に一人座っている男が映し出された。
端正な顔立ちに、余裕のある笑み。スーツの仕立てが良い。背景に見える調度品のひとつひとつが、こちらの課のオフィスとは住む世界が違うことを物語っていた。別の、しかも大手の支部であることが、その空気で分かった。
「やぁ、日本は今日も大変だな。君らの国は怪獣マグネットかい? こちらとしては助かるが」
軽い調子だった。画面越しでもわかる、どこか人を食ったような笑みだ。
課長の声が、一段低くなる。
「皮肉を言いたいだけならこれで失礼する。こちらは北米支部と違って暇じゃないんでね」
「やれやれ、最近はせっかちが治ってきたと思ったらこれかい」
男は肩をすくめてみせた。だが、その目はどこか真剣だった。
「光の巨人が銀河帝国と交戦中だと聞いたが――手を貸そうか?」
「……そちらの即応部隊を出してくれるということか」
「いい加減に命令系統を一本化すべきだと私は思うんだがね。もしくは現場や有能な者にもっと責任と権限を与えるかだ」
「我が国には我が国のシステムがあるのでね」
「難儀なものだね」
男が軽く首を振った。嫌味を言っているようでいて、声のどこかに苛立ちとは違う、もどかしさのようなものが滲んでいた。
この人は本気で手を貸そうとしている。ただ、その本気の出し方が、こちらのやり方とは合わないだけなのかもしれない。
「国家間の一存で決められんなら、そちらの上が承認するなら動かそう」
「結局、こっちの判断か」
「まぁ、君が言うなら手を貸すんだがね。健闘を祈るよ」
最後にちらりと笑って、一方的に通話が切れた。
モニターが元の現場映像に戻る。
課長は小さく舌打ちした。
「余裕ぶりやがって」
その声は悪態のようでいて、どこか、嫌いではない相手に対するそれだった。
のどかが不安そうに顔を向けている。光の巨人も駄目、北米支部も使えない。残された手段が何なのか、のどかにはまだ見えていなかった。
課長はコーヒーを一気に飲み干すと、のどかに向き直りニヤリと笑って見せた。
「こっちのやり方でやらせてもらうか」
「課長?」
「書類は通すものじゃない。通りやすい道に置くんだ」
「道、ですか」
「覚えとけ新人。正面から承認取ろうとするな。裏道を知らん奴はすぐ過労で倒れる」
課長が指を立てた。
「まずは書類を都市災害にすり替えて五枚作れ。書類が軽いからすぐ通る」
「都市災害? 国家レベルなのにですか?」
「なぁに、古今東西よくある手法さ。先人に倣えってね」
「……課長、それ教育っていうか不正では」
「違法じゃない。承認が通るならば合法だ」
課長の声に迷いはなかった。のどかはその目を見て黙ってパソコンへと向き直る。
どちらにしろ、あの承認印リストを回している間に怪獣が東京に着くのは事実だ。それならその道のプロに任せるのが社会の常識だ。
指がキーボードの上を走り始める。災害区分の欄に「都市災害」と入力するのをほんの一瞬ためらいながら。




