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第2話 「山が一つなくなりました」

 コツコツと正確なリズムを刻む時計の音に、キーボードを叩く音が重なっている。

 デスクの上には書類の山。昨日の残りと今朝の新着が混ざり合って、もはやどこからが昨日でどこからが今日なのか怪しくなりつつある。

 のどかはその山と格闘しながら、ぽつりと呟いた。


「戦闘員一人で申請書三枚、怪人一体で五枚。昨日の処理がまだ終わってない……」


手元には「労災申請」「被害報告」「怪人活動抑止対策費用算出」など、多種多様な書式が広がっている。

どれも似たような項目が並んでいるくせに、微妙に書式が違う。「被害者氏名」の欄が左上にあったり右下にあったり、作った人間の統一意識を疑いたくなる配置だった。


「課長、これ、誰が読むんですか」


 席で新聞をめくっていた課長が、紙面から目を離さずに答える。


「読むか読まないかじゃない。書くか書かないかだ」

「名言っぽく言っても仕事は減りません」


 のどかはペンを置いて、書類の束を睨んだ。睨んだところで書類が自分で記入欄を埋めてくれるわけでもないが、そうせずにはいられない朝というものがある。


「そもそもこのご時世に紙媒体って……」

「アナログはいざって時に強いからなー。それに今は電子も併用してるだろ?」

「ええ、併用してますよ併用。つまり労力が倍になってるだけですけどね」

「上の方々が頭硬いのはどこも一緒だ。もう10年もすればマシになるんじゃないか」

「10年……」


 10年後、自分はまだこの机に座っているのだろうか。座っている気がする。それも同じ山を相手に。

 のどかはうめきながら、労災欄に赤ペンを走らせた。「実働要員」と印刷された項目に二重線を引き、「特異勤務員(非正規)」と修正していく。

 およそ三十名分。ひとつひとつに同じ修正を入れていく作業は、地味で、正確さだけが求められる。赤ペンの先が紙に触れるたび、かすかに乾いた音がした。


「……亡くなられてるのに、呼び名は大事なんですね」

「そうしないと労災費用が跳ね上がるからな」

「そういうものですか」


 三十という数字を指先で軽くなぞって、のどかは小さく息を吐いた。戦闘員にも家族がいたりするのだろうか、と考えかけて、やめた。考え始めるときりがないし、そもそもこの書類にそういう欄はない。

 軽く伸びをすると、ことりと音がした。課長が砂糖たっぷりのコーヒーを机に置いてくれている。いつの間に淹れたのか、湯気がまだ立っていた。

 壁の時計を見ると、一息入れるにはちょうどいい時間だった。


「……ありがとうございます」

「ん」


 課長は自分のマグカップ。ブラックを手にもう席に戻っている。

 のどかは軽く礼を言って、テレビをつけた。ちょうどニュースの時間だった。


 画面には、砕石所の現場中継が映っていた。

 よく見れば山肌を背景に、数人の人影がのそのそと整列しながら山を登っている。

 悪の秘密組織を名乗る怪人と数名の戦闘員。砕石場の足場が悪いからだろうか、足元がややおぼついてない。ただ練度はそれなりにあるのか、戦闘員のひとりが石に躓いて隊列が乱れたが、すぐに立て直した。

 やがててっぺんにたどり着くと、怪人がポーズを決めながら高笑いをあげた。両腕を広げ、胸を張り、顎を上げる。実に気持ちよさそうだ。登頂の達成感すら漂っている。


「我らの拠点はここだ! ひれ伏せ人間どもよ!」


 のどかはテレビを見ながら、ズズッとコーヒーをすすった。甘い。疲れた頭に糖分が直接流し込まれていく感覚がある。

 課長は自分が飲まないくせに、人に淹れるときの砂糖の量がやたら正確だ。

 画面の中では怪人がまだ高笑いを続けている。戦闘員たちも左右に並んで腕を組み、威圧的なポーズを取っていた。休日の記念撮影にも見えなくもない。


 のどかは無言で、デスクの引き出しをゴソゴソと探る。

 書類の下、ペンケースの奥。やがてお目当ての手のひらサイズのボタンを取り出す。

 B級映画に出てきそうな四角い形に赤いボタンが付いている。まさしくいかにもで、つい押してしまいたくなる雰囲気を醸し出している。

 隣に立っていた課長に目配せをする。

 課長がコーヒーを一口すすると小さく頷いた。

 ピッ、と軽い電子音。


 ドカーーーーンッ!


 テレビの画面が煙と土埃で真っ白になった。

 音声も一瞬途切れ、キャスターの困惑した声がかすかに混じる。

 やがてカメラが復帰すると、山のてっぺんが綺麗に崩れた砕石所だけが映し出されていた。怪人と戦闘員の姿はもうない。


「あぁ、また砕石所が」


 課長が明日の天気予報を聞き流すように嘆くとマグカップを口元に運ぶ。


「なんで毎回砕石所なんですかね」

「習性みたいなもんじゃない」

「砕石所で高笑いしないと怪人になれない、とかの規則ですかね」

「お前、書類の書きすぎでだいぶ染まってきてるぞ」


 のどかは否定しなかった。否定できる自信がなかった。

 そこに電話が鳴ると慣れた手つきで受話器を取る。


「はい、災害対策課です。ええ、砕石所――はい、処理済みです」


 がちゃり。受話器を置く手つきに、もはや感慨はない。


「ほらな、定例行事だ」

「定例なら書類のひな形にしてほしいんですけど」

「前任者がそう言って作ろうとして、三日で燃え尽きた」

「……三日」


 前任者の顔をのどかは知らない。引き継ぎ資料には丁寧な字で「健闘を祈る」とだけ書かれていた。今ならその一言の重みがわかる。

 のどかはリモコンを引き出しに戻すと、念のため課のモニターで現場の様子を確認した。

 テレビと同じ風景が映し出される。煙はだいぶ収まっており怪人の残骸もなし、周辺に民間人の被害もなし。砕石場はもともと立入禁止区域だから、毎回この点だけは安心できる。

 いつも通りの、定例処理完了。


「この書類の山も吹き飛びませんかね」

「社会ってのはしょせん、マンパワーでしか解決できない問題が多いんだよ」


 課長がそう言いかけた時だった。


 ドドカーーーーーンッ!!


 モニターの映像が揺れる。先ほどとは比べものにならない爆発で画面は煙と埃で真っ白になっていた。

 のどかのコーヒーカップが微かに震えた。課長のマグカップは――動かない。手で押さえていた。

 慣れている。

 煙が晴れると――山が一つなくなっていた。

 さっきまで確かにあった稜線が山肌ごと綺麗に消えていた。


「……」

「――」


 のどかと課長が、同時にモニターを凝視した。

 数秒の沈黙。蛍光灯の微かな唸りだけが聞こえている。


「……不発分、残ってたか」

「――残ってましたね」


 いつもと変わらない課長の声に合わせて、のどかも務めて同じトーンで返した。この課にいると、こういう声の出し方が身についてくる

 のどかはゆっくりとモニターから目を離し、コーヒーをもう一口すすった。

 まだ温かい。

 一度軽く目をつむると静かにキーボードにそっと手を置く。


「追記。被害——砕石所全壊。山体崩壊一件。不発火薬の誘爆による二次災害」

「人的被害は」

「なし。元々あの山、立入禁止区域ですから」

「よかったな」

「ええ。書類が増えただけです」


 課長が笑ったのか、呆れたのか小さく鼻を鳴らす。

 のどかはコーヒーの残りを飲み干すと、空になったカップを机の端に置いた。

 舌に砂糖の甘さがわずかに感じたまま次の書式に手を伸ばす。

 さっきまでの山に、また一枚加わっただけのことだ。



 ――業務日誌――


 案件名:砕石所怪人定例案件

 発生場所:某所砕石場

 災害区分:人災

 被害状況:砕石所一山全壊(人的被害ゼロ)

 対応:遠隔爆破による定例処理

 備考:不発分の誘爆により二次災害発生。火薬量の再算定を推奨。

 

 ※観測できない災害は人災扱いとして処理済み。


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