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第1話 「ヒーローは有休消化中です」

 処理済みの書類がようやく片手で数えられる程度にまで減った。

 器物損壊が三件、採掘現場のガレ場崩落が一件。どれもいつも通りの軽い災害ばかりだ。

 のどかは最後の報告書にチェックを入れ、パソコンから目を離して軽く伸びをする。

 首がぱきりと鳴り肩がじんわりと重い。ここ二週間ほど、定時で帰れた記憶がない。

 もう立派なデスクワークの人間だなと思わず苦笑する。


「……今日は、定時であがれそうですね」


 壁の時計が、17時20分を指している。

 少し離れた机で書類をめくっていた課長が、ぴたりと手を止めた。マグカップのブラックコーヒーを一口すすり、ゆっくりとこちらを見る。


「あー……バカだねお前さん。そんなこと言ったら——」


 課長の声が最後まで届く前に、課の電話がけたたましい音を立てながら鳴った。

 あちゃー、と課長が顔を手で覆う。

 のどかは一瞬だけ壁の時計を見た。17時23分。定時まで残り37分。

 見なければよかったと後悔する。

 この一ヶ月ほどで嫌というほど慣れた手つきで、受話器を取る。


「はい、こちら地球防衛軍極東方面日本支部・特殊災害対策二課です」


 電話の向こうから、切迫した声が飛び込んでくる。

 『高知の水産市場で怪人が出現。新鮮な海産物と観光業に大打撃。ただでさえ厳しい経済状況なので至急対処を』

 担当者の声は早口だったが、内容は明瞭だった。

 最初の頃はメモを取る手が追いつかなかったが、もう慣れたもので今は要点だけを拾える。


「わかりました。精査のうえ、適切な人員を派遣します」


 電話を切って、ふぅと軽く息を吐く。

 受話器を戻す手は淡々としていたが、視線が一瞬だけ時計に向かったのは仕方がないと思う。


「……高知ぐらいもう放置でも、というわけにはいきませんよね」

「コラコラコラ。気持ちはよーくわかるが、というわけにはいかないのがお仕事の世知辛いところなのよ」


 課長の声には欠片も焦りがない。この人はたぶん、隕石が落ちてきても同じトーンで喋る。


「わかってます。誰か空いてるか、調べます」


 のどかは机の横に積まれた分厚い手配リストを引き寄せた。

 ヒーロー図鑑。

 各種災害に対応した、様々なヒーローや人材が網羅されてる言わばこのお仕事のバイブルである。

 付箋だらけのページを繰る。指がいつもお世話になっているライダーのところで止まった。

 仕事が丁寧で手際がいい。現場判断が的確で、書類も楽に仕上がる。何より人災クラスならほぼ確実に片付けてくれる。

 この人なら――番号を押す。三コールで繋がった。


「あ、すみません、こんな時間に。至急、高知まで飛んでいただき――え? ツーリング?」


 受話器越しに、風を切る音が聞こえる。


「ビーナスラインが最高……って、長野県ですか。いいですねぇ」


 のどかの声がわずかに遠くなる。


「ああっ、有給申請してましたっけ。すみません。いえいえ、どうかお気をつけて。連休を楽しんでください。はい、またよろしくお願いします」


 受話器を置いて、ため息がひとつ。

 この仕事を始めて何度目かの、控えめだが底の深い溜息だった。


「はぁ、あのライダーさんがよかったんですけどね」

「連休の合間だからねぇ。家族サービスやらなんやらで休んでる人多いよ」

「ですよねぇ」


 のどかはリストに目を落とし、猛烈な勢いでページをめくり始めた。

 使える人材、使える人材—――指が紙の上を走る。

 頭の隅で高知のカツオのタタキが一瞬だけよぎる。冷酒と合わせたら最高だろうが、今はそれどころではない。

 どのページを開いても「休暇中」「家族サービス」「有給消化」の赤いスタンプが並んでいる。

 ヒーローにも労働基準法は適用される。それ自体は健全なことだが、今だけはちょっと恨めしい。


「……しまったな」


 のどかはリストを閉じた。これ以上めくっても結果は変わらない。


「課長、ダメです。即時出勤可能な人災クラスに出せるヒーローが1人もいません」


 課長はコーヒーを一口すすった。空になったマグカップを机に置き、椅子をきしませながら口を開く。


「じゃあさ、都市災害レベルにあげて処理しちゃいな」

「え、いいんですか? 人災でしょう、どう見ても」

「いーのいーの。俺がレベル判定に署名するから。一段あげるだけで手配の幅がぐっと広がるだろ」

「……確かに。それなら即応できるところがありますね」

「ぱぱっと片付けて、定時は無理でも――まあ、早めには帰ろうよ。俺も赤ちょうちんやりたいし」


 のどかの口元がわずかに緩んだ。

 課長がそれを横目で見て小さく頷く。その表情はどことなく頼もしそうだった。

 のどかは出動申請書を手早く作成し、課長のところに持っていった。

 課長はボールペンを取り、署名欄にさらさらとサインを入れる。迷いのないいつもの筆跡。どんな書類でもこのサインだけは異様に速かった。


「手配完了です。現地到着まで――」

「映像出しといて。見とこう」


 課長の一言で、のどかは部屋の大型モニターを起動した。


 ♦ 


 モニターに、高知の水産市場が映し出された。

 平日は漁港の台所として、休日は観光客で賑わう市場の敷地。その広い駐車場と直売所の前に異様な光景が広がっていた。


 カツオだった。

 正確にはカツオに手足が生えた、全長二メートルほどの妙にリアルな造形の怪人だった。

 ぬらりと光る魚体に筋肉質な四肢。銀色の鱗が蛍光灯を弾いて不気味に煌めいている。目は爛々と光りその手には何かが握られていた。


「フォーフォフォフォ! 愚かな人間どもよ!」


 怪人が高らかに叫ぶ。声は太く妙にイケメンボイスで威厳すらあった。カツオの姿でなければそれなりに迫力がある台詞だったかもしれない。


「さんざん同志たちを藁焼きにしてくれたな! 今度は人間どもを――このワサビで一生涙が枯れるまで泣かしてやるわ!! フォーフォフゥフォー!」


 その手に握られていたのは、おろしたての本ワサビだった。

 しかも妙にいい色をしている。静岡あたりの上物に見えなくもない。

 怪人の周囲を五、六人の戦闘員が固めていた。黒い戦闘服に身を包み、統率された動きで市場の出入り口を封鎖し逃げ場を塞いでいく。防衛軍の訓練生より手際がいいかもしれない。

 悲鳴が上がり、観光客や市場の関係者が我先にと走り出す。

 鮮魚の並んだ台が倒れ、氷と魚が路面に散らばる。大間のマグロの柵が地面を滑っていくのがどこか切なかった。


「きゃーっ! 誰か助けてー!」


 怪人がワサビを振りかざすたびに、ツンとした辛味の霧が飛散しているらしい。

 逃げる人々が涙と鼻水で、顔をぐしゃぐしゃにしているのがモニター越しでもわかる。目を開けていられないのだろう、壁にぶつかる人もいる。

 戦闘員たちは手際よく――本当に手際よく市民を追い立てていく。

 無駄に洗練されており、日頃の訓練が窺える統制だった。


 と、その時。逃げる人波の中で小さな子どもが転んだ。

 母親らしき女性が振り返るが、戦闘員に行く手を阻まれて駆け寄れない。子どもは膝を擦りむいたまま立ち上がれずにいた。

 怪人がそれに気づくとゆっくりと歩み寄っていく。その歩調は悪役レスラーのように不気味なほどゆっくりと落ち着いていた。


「フォフォ……たとえ子どもだろうと容赦はしない。このツンとくる本ワサビを食らえ!」

「助けてー! ヒーロー!」


 子どもが泣き叫んだ。

 誰しもがそう願った。ヒーローが颯爽と現れるお約束の瞬間を。

 だが――バイクの排気音は聞こえてこない。四気筒の咆哮も、環境に配慮した二気筒の控えめな鼓動も。誰かが呼んだその名前に応える音はなかった。


「フォフォ……誰も助けになど来るものか」


 あと数歩。ワサビを構えた腕がか弱い子供目掛けて振り上げられ――


「ちょっと待った」


 頭上から声が降ってきた。

 怒声でも叫びでもない、ただ静かで有無を言わせない声が辺りに響き渡る。

 怪人の足元に影が広がる。ゆっくりと、巨大な影が。

 怪人が見上げた。

 一面の壁だった。

 鈍い銀色の装甲。見上げても見上げても終わらない巨体が空を塞いでいた。


 ――プチッ。


 音は、それだけだった。


「……ふぅ。危ないところだったね坊や」


 子どもが見上げると、八メートル級のロボットが立っていた。

 銀色の装甲が夕陽を反射して鈍く光っている。右足の靴底のあたりにわずかに何かが――いや、見なかったことにしよう。

 戦闘員たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。見ているほうが感心するような手際の良さだ。

 子どもの目が大きく見開かれた。


「うわぁ……! ありがとう、ロボットさん!」

「はは、怪人ひとり。お礼を言われるほどのことじゃないさ」


 ロボは穏やかにそう言うと首の関節をゆっくり回した。

 プシューと蒸気が抜ける音がする。大仕事のあとの一息というより、ちょっとした散歩のあとの背伸びに近い動作だった。

 あらかじめ待機していた大型トレーラーの荷台に片足ずつ慎重に乗り込む。関節のひとつひとつがプシュプシュと小さく鳴いた。


「よっこいしょういち、っと」


 八メートルの鋼鉄の塊が荷台にゆっくりと腰を下ろす。トレーラーのサスペンションがギシリと音を鳴らす。

 ロボは背中を荷台に預けると、ふぅと——人間のような吐息をもらした。長い一日の終わりに縁側で涼む老人のような吐息だった。

 トレーラーが静かに走り出す。

 夕焼けの中を遠ざかっていく銀色の巨体を、子どもはずっと見送っていた。


「……ぼく、これからヒーローよりスーパーロボットのファンになる!」


 夕陽に照らされる子供の笑顔がまぶしかった。


 ♦


 のどかはモニターの電源を落とす。

 映像が消えると、見慣れた課のオフィスが戻ってくる。薄暗い蛍光灯と処理済みの書類の山。さっきまでの巨大ロボットと怪人の映像が嘘のように静かな部屋だった。

 壁の時計は、18時15分を指していた。


「終わりましたね」

「うん。あとは事後処理だけだ」

「ですね」


 のどかは出動報告書のテンプレートを開いた。日付、案件名、発生場所、災害区分——指が慣れた順番でキーボードを叩く。

 ここ一ヶ月で、この書式だけは何も見なくても打てるようになった。が、ペンが止まる。


「……課長、あっという間でしたね」

「まあ、人災だからね。朝飯前だよ」

「出動報告のところ、戦闘時間の欄――なんて書けばいいですかね。体感三秒ぐらいだったんですけど」

「……『瞬殺』でいいんじゃない」

「さすがに報告書にそれは書けません」


 課長が小さく笑った。このぐらいの冗談はたまに言う。


「じゃあ『即時鎮圧』で。行政的に角が立たない」

「それでいきます」


 カタカタとキーボードの音が響く。報告書の文面を整えながら、のどかはふとあのロボの吐息を思い出した。八メートルの巨体で「よっこいしょういち」と荷台に座る姿は、どこか地元の近所に住んでいたおじいさんのようだった。


「よし。お疲れさま新人」

「お疲れさまです」


 のどかは椅子の背もたれに身体を預けて、天井を見上げた。

 蛍光灯がジィと小さく唸っている。

 定時には間に合わなかった。

 でも――まあ、今日は早い方だ。18時台に終われるなら、この部署ではほとんど勝利と言っていい。

 帰り道にどこか寄ろうか。

 高知のカツオは食べられなかったけれど、駅前の赤ちょうちんなら空いているだろう。冷えた日本酒と何か軽いつまみを一品。それだけで今日は十分だ。

 課長も同じことを考えているのか、マグカップを洗いに席を立った。


 特殊災害対策課の、ごく普通の一日が終わる。



 ――業務日誌――


 案件名:カツオ怪人with静岡県産本ワサビ付き

 発生場所:高知県・水産市場付近

 災害区分:都市災害

 被害状況:漁協組合の藁焼き小屋半壊、鮮魚台倒壊、ワサビ霧による軽傷者多数(目・鼻の刺激症状)

 対応:自立型ロボ出動。即時鎮圧。

 備考:ロボによる慰安旅行申請提出あり(経理却下予定)

 

 ※観測できない災害は人災扱いとして処理済み。


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