第8話③「あなたは楽しそうでした」
◆
異変は、翌日の昼過ぎに起きた。
最初に気づいたのは、窓際にいたエミリだった。
「……あの、空に何か出てませんか」
のどかが顔を上げて窓の外を見た。青空の真ん中に、半透明の文字列が浮かんでいた。白い枠線で囲まれたウインドウ。見覚えのあるフォント。ゲームのUI画面にしか見えないデザインが、雲と雲の間にぽっかりと表示されている。
『メンテナンス終了のお知らせ
大型アップデートver.7.2を適用しました。
ゲームを更新してください。
※データ量が多いためWi-Fi環境を推奨します』
オフィスが静まり返った。
「……えっ」
のどかの声は、たぶん課内の全員と同時だった。
空に、ゲームのメンテナンス告知が出ている。見間違いではない。窓から見える範囲だけでなく、通信課からの報告によれば、この表示は都内全域にまたがって確認されている。
告知の下に、プログレスバーが現れた。
『ダウンロード中…… 3%』
じわじわと数字が動いて、バーの青いゲージが少しずつ伸びていく。空全体がスマホの画面になったような、悪い冗談のような光景だった。
街の人々も足を止めて空を見上げている。
各地から「空に何か出ている」という報告が次々あがってくる
「解析班、あの表示を消す手段は」
課長代理が冷静に指示を出す。しかし返答は芳しくなかった。通信課にもシステム課にも、あの表示を制御する手段がない。どこかのサーバーから投射されているわけでもない。ただ空に表示されている。物理的な説明がつかない現象だった。
のどかはモニターに向き直りながら、隣のデスクでヨルが妙な顔をしているのに気づいた。気だるげな普段の表情とは違う、何か心当たりがあるような顔。
「ヨルさん?」
「……これ、私がやってるやつなんだけど」
ヨルが低い声で言った。視線は空に浮かぶUIに固定されている。
「やってる……?」
「ソシャゲ。私のスマホに入ってるのと同じゲーム」
エミリが目を丸くした。のどかも一瞬、言葉を失った。空に浮かんでいるのは、ヨルがプレイしているソーシャルゲームのアップデート画面。
「運営に問い合わせましょう。連絡先は――」
課長代理がすかさず言ったが、ヨルが首を振った。
「ないのよ」
「……ない?」
「連絡先。問い合わせフォームも、運営会社の情報も。調べたことあるけど、実体がないの。会社名はあるのに登記が存在しない。ゲームは動いてるし、アプデも来る。でも誰が運営してるかは、誰にもわからない」
沈黙が落ちた。のどかは空のプログレスバーを見上げた。
『ダウンロード中…… 47%』
着々と進んでいる。運営が存在しないのに。
「――原因究明は後回しにしましょう」
課長代理の声が、沈黙を断ち切った。
「まず目の前の状況に対処します。ヨルさん、ゲームの仕様を教えてもらえますか」
「ええ」
ヨルが頷いた。課のモニターにゲームがインストールされたのは、それから十分後のことだった。
◆
『ダウンロード完了。アップデートを適用します』
空にその文字が表示された瞬間、ゲームのホーム画面が展開された。
色鮮やかなイラストとBGMが青空に重なって、街全体がゲームの起動画面の中に入ったような異様な光景になった。空からBGMのファンファーレが聞こえる。
そして――実体化が始まった。
最初は小さかった。公園のベンチの上に、ゲーム内の★1モンスターがぽんと出現した。スライム型の、丸っこいやつ。続いて★2の骸骨兵が交差点に現れて、信号を見上げている。
防衛軍に電話がけたたましく音をたてた。
「ヨルさん、あれは?」
のどかがモニターの映像を指差すと、ヨルは淡々と答えた。
「最弱クラスね。このゲームはキャラクターにレア度があって、★1から★7まである。★が多いほど強くて希少」
ヨルはスマホを操作しながら、手持ちのキャラクターを出撃させた。
課のモニターにインストールされたゲーム画面と連動して、現実に味方キャラが実体化する。★3の剣士がスライムを一刀両断し骸骨兵も★4の魔法使いで処理した。
「雑魚ね」
ヨルは涼しい顔だった。
だが、それは序章に過ぎなかった。
10分後。★3の獣人戦士が駅前に出現した。三十分後には星4の暗黒騎士が商店街で暴れ始めた。通報が加速度的に増えていく。
「ヨルさん、次は?」
「★4。中堅クラス。手持ちの★5で何とか」
ヨルのスマホ画面に★5のキャラが展開される。現実にも実体化して、暗黒騎士と交戦。しかし数が多すぎる。一体を倒している間に、別の場所から新たなキャラが出現する。
「……くっ、イベント配布の★6じゃ火力が足りない」
ヨルの眉がわずかに寄った。のどかは初めてこの人が焦った顔をするのを見た。
「イベント配布とガチャ産って何が違うんですか」
「性能が段違いなの。同じ★6でも、ガチャで引いた子はステータスもスキルも配布とは比較にならない。……でも私のガチャ産は遠征に出してて、今すぐ戻せない」
「それじゃ新たにガチャを回せば」
「石がそんなにないのよ、課金もなぜかできない仕様になってるし」
通信課から新たな報告が入る。★5クラスの出現が確認され始めた。現場のヒーロー部隊も対応に当たっているが、ゲームキャラの物量に押されている。
ヨル一人の手持ちでは、限界が見えていた。
◆
課長代理が動いたのは、その瞬間だった。
課のモニターに向かい、ゲームの仕様書やキャラクター一覧、スキル詳細のページを次々と開いていく。攻略サイトやwikiも並行して参照しながら、膨大な情報を猛スピードでスクロールして読み込んでいく。
横で見ていたのどかは画面の情報量についていけなかった。
ゲームの仕様や用語は馴染みがないし、ステータスの数値表やスキルの効果説明はほとんど暗号に見える。でも課長代理はそれを次々と吸収している。時折メモを取りながら、別の情報と照合し、頷いたり首を傾げたりしている。
数分後、課長代理の手が止まった。キャラクター一覧のページと、フレンドガチャの仕様ページを並べて見比べている。
「……ヨルさん。フレンドガチャって、ゲーム内通貨だけで回せますよね」
「ええ、そうだけど。あれは低レアしか出ないわよ。せいぜい★3が天井よ」
「★3で大丈夫です。『傭兵ロレン』というキャラクターがいますよね」
ヨルが一瞬、目を見開いた。
「ロレン? あの中堅キャラ? 序盤にはお世話になるけど、今の環境じゃ――」
「フレンドガチャの排出仕様を見ていたんですけど、このキャラの召喚上限が設定されていないみたいなんです。そしてこのキャラのスキルと仕様がちょっとかみ合ってなくて……ロレンはフレンドガチャの排出対象だから、理論上は回した分だけ出てくる。――これ、使えるんじゃないでしょうか?」
「……それ、バグ技じゃないの」
「仕様上の穴ですね。でも今は動きます」
課長代理はモニターに向き直って、フレンドガチャの画面を開いた。
「試していいですか」
ヨルは一瞬だけ沈黙してから、小さく笑った。
「……正攻法じゃなくて裏道を行くわけね。いいわよ、やって」
課長代理がフレンドガチャを回し始めた。ゲーム内通貨が減っていく。画面にエフェクトが走るたびに、同じ顔のキャラクターが出現する。
『酒でも一杯奢ってくれよ。俺はしがない傭兵さ』
召喚ボイスが鳴った。
もう一回。
『酒でも一杯奢ってくれよ。俺はしがない傭兵さ』
もう一回。もう一回。もう一回。
『酒でも一杯——』『俺はしがない——』『一杯奢って——』
モニターの中で、傭兵ロレンが増殖していく。同じ顔、同じ鎧、同じ台詞。そして現実でも街のあちこちに、同じ傭兵が次々と実体化し始めた。
「す、すごい数……」
のどかがモニターを食い入るように見つめる。画面の向こうに、何十体ものロレンが展開されていく。一体一体は★3。大した強さではない。でもこの数が揃うと。
★4の暗黒騎士がロレンの群れに囲まれた。一体一体のダメージは小さい。でも四方八方から同時に剣が振り下ろされる。
★5の魔獣がロレン軍団に突っ込んだが、倒しても倒しても新しいロレンが現れる。数の暴力である★3の群れが、★5を押し潰していく。
『酒でも一杯奢ってくれよ。俺はしがない傭兵さ』
街中にこの台詞が反響していた。
束の間の安堵が、課内に広がった。のどかも小さく息を吐いた。
「やりこんでるのに知らなかったわ、あの穴。正攻法でしか遊んでなかったから……」
「仕様を端から読んでいったら、たまたま見つけただけです」
ヨルが少し悔しそうな顔をした。課長代理は穏やかに微笑んでいる。
しかし、安堵は長くは続かなかった。
空に新たなウインドウが浮かんだ。
『【緊急メンテナンスのお知らせ】
一部不具合の修正を行います。
メンテナンス中もゲームはプレイ可能ですが、
一部仕様が変更される場合があります。
ご不便をおかけしますがご了承ください。』
課内が凍りついた。
「……メンテ? 今?」
のどかの声が裏返った。課長代理の表情が一瞬だけ厳しくなる。
「穴が塞がれたんでしょうね。運営がいるのかいないのかわからないけど……動いた」
空のウインドウに「メンテナンス中……」の表示が出て、数秒後に消えた。あっさりと。
『メンテナンス完了。
以下の不具合を修正しました。
・フレンドガチャにおける同一キャラクター召喚上限の未適用(修正済)』
その瞬間、街中に展開されていたロレン軍団の動きが変わった。
味方だったはずのロレンたちの目から光が消える。統制が外れたように、てんでばらばらに動き始める。ゲーム画面を確認すると、召喚上限が「1体」に修正されていた。
味方のロレンは一体だけ残って、残りは全て野良化――つまり、敵に回った。
「嘘でしょ……」
のどかが呟いた。モニターの向こうで、たった一人の味方ロレンが大量の自分自身に囲まれている。
『酒でも一杯奢ってくれよ』『酒でも一杯奢ってくれよ』『酒でも一杯奢ってくれよ』
同じ顔、同じ声が四方から迫ってくる。味方ロレンは剣を構えたが、多勢に無勢だった。
袋叩きにされあっという間にHPが削られていく。最後の一撃を自分と同じ顔のロレンに受けて、味方ロレンは光の粒子になって消えた。
「……しがない傭兵が、しがない最期を……」
エミリが思わず合掌した。
「感傷に浸ってる場合じゃないわ」
ヨルが鋭く言った。大量のロレン軍団が敵としてうろつき始めている。もともと街中にいた暴走キャラに加えて、ロレンまで敵にまわり状況は悪化している。
課長代理がキャラクター一覧のページに戻った。★1のキャラクターを一体ずつ確認していく。
「……いた」
指が止まった。画面には地味な風貌のキャラクターが表示されている。
「取立屋デグニル。★1。――ヨルさん、ロレンの公式設定のサブストーリーって、借金まみれで夜逃げ同然に傭兵になったですよね」
「そうだけど……え、まさか」
「デグニルのスキルは『債務執行』。この現実になった世界でロレンの公式設定が夜逃げなら」
課長代理はフレンドガチャを一回だけ回した。星1のエフェクト。地味な光。
画面に、帳簿を抱えた小柄なキャラクターが現れた。
取立屋デグニルが実体化した瞬間、街中に響き渡る声が変わった。
「借金返せぇぇぇぇ!!」
帳簿を振りかざしたデグニルが、ロレン軍団に向かって突進していく。★1。ステータスは最底辺。でもスキルは公式設定に基づく強制執行。
ロレンたちの動きが変わった。一体、また一体と、剣を捨てて走り出す。
『すまねぇ、取り立てが来たんでな!』
公式設定通り――夜逃げ。
ロレン軍団が一斉に逃げ出して、光の粒子になって消えていく。同じ顔が同じ台詞を言いながら、次々と消滅していく。
「……なぜ★がここまで有能なんですか」
エミリが呆然と呟いた。のどかも言葉がなかった。




