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第5話②「お姉さん、このポーズ見てください」

  ◆


 映像が切り替わった。

 スカイツリー頂上付近。監視カメラの映像。画角が広く、夜景が一望できる。

 その隅に、人影があった。

 黒髪の女性が、柵の外側に座っている。足を投げ出して、夜景を眺めていた。

 腰まで届く長い黒髪が、風に流れている。前髪はまっすぐに切り揃えられ、白い額との境がくっきりと映っていた。黒いマントが肩から垂れ、風に揺れるたびにその下の衣装が見え隠れする。

 黒を基調とした、身体の線がはっきりと出る衣装。背中が大きく開き、腰周りの布地も心許ない。脚線は付け根近くまで露出しておりかなりきわどい。

 だがこの女性が纏うと、なぜか安っぽさが微塵もなかった。夜風にマントがはためき、白い肌と黒い衣装のコントラストが闇に映えて、まるで一枚の絵画のようだった。

 静かな夜だった。

遠くで何かが響いている。大仰な演説、怒声。通信のノイズ。夜の空気を震わせて、ひっきりなしに聞こえてくる。

 女性は少し眉をひそめた。


「……騒がしい」


 空に影が広がり始める。巨大な何かが、星を隠していく。コロニーの輪郭が、夜空に浮かび上がっていく。

 通信の断片が風に乗って届く。「間に合わない」「戦力がない」「着弾まで――」。

 女性はそれを聞いているのかいないのか。ふと、視線を落とした。


下界。

 この世界の夜は、うるさい。

 自分の世界の夜は静かで、穏やかに暗かった。星の光だけが地面を照らし、風の音だけが耳に届く世界だった。

 ここの灯りは下品で、騒がしくて、好きになれない。眩しくて、落ち着かなくて、目が痛くなる。

 でも――その灯りの一つ一つに、人が暮らしている。

 あの小さな光の点の一つ一つが、誰かの部屋で、誰かの夕食で、誰かの夜更かしで。

 女性は少しの間、その光を見ていた。愁いを帯びた瞳に、街の灯りが映り込んでいた。


「……他所の恨みを、関係のない空に落とすか」


女性はつまらなそうにしながら頬杖をつく。


「美学がない」


 コロニーの影が、夜空の半分を覆った。地上の光が翳り始める。さっきまで見えていた街の灯りが、一つ、また一つと影に呑まれていく。


『……着弾まで、残り――』


 コロニーが空を埋め尽くしていく。夜景が消えていく。街の光が、消えていく。

 女性が、ゆっくりと立ち上がった。

 マントが風を受けて大きく広がる。空を見上げる。コロニーの影が、もう空のほとんどを埋めている。

 彫刻のような横顔が、夜空に向けられた。前髪の下の瞳が、落ちてくる鉄の塊を見据えている。

 片手を、静かに翳した。


「……いいだろう」


 声が星空へととけていく。


「ならば我が門で裁いてやる」


 一歩、柵の上に立つ。

 片手を空に、もう片方の手を腰に。マントが風を孕んで翻り、黒い衣装の全容が露わになる。白い肌が夜の中に美しく浮かぶ。


「異界の棄民よ、聞け!」


声に少しだけ熱がはいる。


「お前たちの嘆きは知らない。お前たちの大義も知らない」


 風が吹く。髪が舞う。完全にノリ始めている。


「だがこの空の下に暮らす者たちはにそれを知るよしもないっ。罪なき空に怨嗟を降らせるならば――この闇の門がそれを喰らおう!」


 夜空に黒い光の輪が滲み始める。小さな輪が、見る間に広がっていく。


「我は冥府の回廊を開く者! 星が落ちようと、鉄の棺が降ろうと——この門を越えることは叶わない!」


 中から夜空を割るようにゲートが出現する。コロニーを呑み込むほどの巨大な門が、底知れぬ黒い光を放ちながら開いていく。

 両手を天に突き上げる。マントが翻る。白い腕が夜空に伸びる。


「開門――冥府の大回廊! お前たちの墓標は――虚無の彼方で眠れっ!!!!」


 ゲートが眩い闇を発しながら広がる。

 地表すれすれまで迫っていたコロニーが、門に吸い込まれていく。巨大な鉄の塊が、あれほどの質量が、音もなく消えていく。

 最後の鉄片が門の向こうに消えると同時に、ゲートが閉じられていく。やがて闇の中へとその姿を隠した。

 空が戻る。星が見えた。


 ◆


 赤い機体のコックピットから、声が漏れた。


「――な、にぃ……?」


 あれほどの熱弁を振るった声が、今は困惑に染まっている。


「コロニーが……消えた……? 馬鹿な——あれは我らの、我らの故郷の――」


 言葉が続かない。自分が放った最大の一手が、理解の外にある力で消し去られた。その事実を、まだ処理できていない。

 そこへ。防衛軍の周波数が割り込んだ。


『――遅くなったな、赤いの』


 一体の機体が、猛速で首都上空に突入してくる。機体には消えかけの撃墜マークがいくつも並んでいる。

 動揺を振り払うように赤い機体が構えた。


「……防衛軍か」

『オービタルズの赤い悪夢様が大演説の最中に悪いが――こっちも仕事なんでね』

「……いいだろう。コロニーは失った。だが我が信念まで消えたわけではない!」

『はいはい、続きはやりながら聞くよ』


 二機が交錯する。金属同士がぶつかる衝撃が、映像を揺らした。

 別の通信が入った。聞き覚えのある、若い女の声。


『――エース、気をつけて。相手はオービタルズでも上位よ。やれるの』


 エース機のパイロットが鼻で笑う。


『へっ、こっちはとっくに引退したお前と違ってバリバリの現役様よ』

『……』

『おーおー、魔法でキラキラっ、ズッキューンとかやってたお嬢ちゃんが、俺の心配するようになるたぁ。こりゃいよいよ俺も引退かねぇ』

『……殴るわよ、あとで』

『おっかねぇ。んじゃま、仕事してくるわ』


 エース機が加速する。赤い機体に向かっていく。二つの光点が夜空で交差し、離れ、また交わる。


 映像の片隅。スカイツリーの頂上に女性がまだそこにいた。

 マントを風になぶらせたまま、二機の交錯を一瞥する。

 互角。あの赤い機体は信念で動いている。防衛軍のエースは、仕事で動いている。それならば問題ないただの軍人同士だ。


「……あとは、好きにやれ」


黒髪をなびかせて、足元にゲートを開く。

黒い光の輪が足元に広がり、衣装の裾を揺らし消える。


 ◆


 映像が途切れ、モニターが暗転する。

 課内に沈黙が落ちた。蛍光灯の微かな唸りだけが聞こえる。。


「か、かっこいい」


 目がまだモニターに貼りついたまま離れない。さっきまで映っていた、黒髪の女性の残像を追うように。

 エミリも同じだった。椅子の背もたれを掴んだまま、息を忘れていたように長く吐き出す。


「ええ。本当に」


 二人の間にしばらく言葉がなかった。映像の余韻が、静かな課内に漂っている。

 部長がコーヒーを啜る音で、空気が少しだけ戻った。


「まあ、そういう子。あの――」


ドアが開いた。


「……お疲れ様です」


 気だるげな声。

 黒髪のロングに前髪は霧に切りそろえられている。白い肌に耳と軟骨に光る複数のピアス。

 夜勤の先輩である黒瀬さんが、いつも通りに入ってきた。

 黒っぽい私服にジャケットを羽織っただけの格好。ただその凛とした横顔の輪郭だけは以前からどこかで見たような覚えがあった。

 のどかとエミリが反射的に「お疲れ様です」と返す。いつもの光景。いつもの交代。映像を見たばかりの二人の心臓はまだ少し早い。


 夜勤の先輩が自分のデスクに荷物を置く。肩を軽く回して、首を傾げた。いつもの、仕事前のルーティン。

 ふと、大型モニターに目をやった。

 暗転した画面。だがその隅に、防衛軍アーカイブのウィンドウが残っている。ファイル名の一部が見えている。

 その動きが、止まった。肩に手をやったまま、固まっている。

 一瞬の沈黙。

 無言でモニターの前に歩いていき、電源を切った。何事もなかったように。だが、その指先だけが少し強張っていた。

 そそくさと自分のデスクに向かい、椅子に座る。


 いつも通りの行動に、部長はニヤッと笑う。

 カチッと小さなが音をたて、モニターが再び点灯する。


 映像が変わっていた。

 防衛軍のオフィス。見慣れたデスク、見慣れた壁、見慣れた蛍光灯。どこにでもある課内の風景。日付を示すテロップが、映像の隅に小さく表示されている。

 その前に、黒髪の女性が立っていた。

 若い。今より少し幼い顔立ち。だが、前髪をまっすぐに切り揃えた黒髪のロングも、彫刻のような横顔の輪郭も、白い肌も、面影は明らかにある。

 胸元に「研修中」のプレートをつけている。防衛軍の制服だが、サイズの少し合っておらず、肩のあたりがわずかにずれているのが初々しい。

 そして、その女性がカメラに向かって姿勢を正し、口を開いた。


「――我が名は、冥府の回廊を統べる者」


 真顔だった。


「闇の門の守護者にして、虚無と黄昏の狭間に立つ者」


 研修中のプレートが、蛍光灯の光をきらりと反射した。


「此岸と彼岸の境を歩み、万象の門を司る――」


 一拍。


「……至らない点は多々あるかと思いますが、一日も早く皆様のお力になれるよう努力いたします」


 深いお辞儀。丁寧な角度。研修中のプレートがぶら下がる。


「どうぞ、よろしくお願いいたします」


 顔を上げ、ドアップで映る女性の表情は、真剣そのものだった。最初から最後まで本気なのが伝わる。

 防衛軍の入隊時の自己紹介映像。見慣れたオフィスを背景に、研修中のプレートをつけた女性が、中二病の口上と真面目な挨拶を、まったく同じ温度で述べている。


 のどかの目が開かれ、エミリの息が止まった。

 二人の視線がゆっくりとモニターから離れ、デスクに座った夜勤の先輩の背中に移動する。

 黒髪のロング。前髪パッツン。ピアス。白い肌。同じ横顔……一致した。

 二つの視線を感じた黒瀬さんの背中がビクッと跳ね上がり固まる。


「あ、あの! あなたが……闇系お姉さん……!?」


 黒瀬さんが振り返る前に、エミリがどこからともなくサイン色紙を取り出していた。

 いつ買ったのか。なぜ持っているのか。そんな疑問が浮かぶ間もなくエミリの目が据わっている。


「サインをくださいまし!! ぜひ、あのポーズも再現してくださいまし!!」

「——ッ、な、ちょ……!」

「私もっ、小さい頃にあの映像を見て、ずっと憧れてたんです! 本物に会えるなんて!」


 黒瀬さんが振り返った。顔が真っ赤になっている。白い肌が、耳の先まで紅に染まっている。

 のどかが詰めより、エミリが反対側から迫る。


「わたくしもですわ! 北米支部でも伝説でしたのよ! あの夜空に門を開いた映像、支部の全職員が見ましたわ!」


 黒瀬さんの目が泳いだ。左を見る。のどかがキラキラしている。右を見る。エミリがサイン色紙を掲げている。


「や、やめ――あ、あれは 故郷の文化で……その、中二病じゃなくて……け、決して黒歴史なんかじゃ――や、やめ、やめて―――」


 足元にゲートが開く。黒瀬さんの姿が、吸い込まれるように黒い光が一瞬だけ残して消えた。

 デスクの上にあった備品のペンが巻き添えでなくなった。

 部長が静かにコーヒーをすする。

 モニターではまだ、入隊時の自己紹介映像が流れ続けていた。研修中のプレートをつけた若い女性が、真顔でカメラに向かっている。


 「ふざけた格好で、恥ずかしい口上を叫んで、たった一人でコロニーを消した……あれは間違いなくヒーローよ」

 「ますます憧れます!!」


 遠くから……おそらくこの建物のどこかから声が聞こえた気がした。

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