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第5話①「お姉さん、このポーズ見てください」

 夜の街が、遠くに光っている。

 超高層ビルの屋上。風に黒髪をなびかせた女性が、縁に佇んでいる。

 長い黒髪がまっすぐに腰まで流れ、前髪はきれいに切り揃えられている。闇の中に浮かぶ白い肌。横顔の輪郭は彫刻のように整っていて、少し伏せた瞳が、夜景の光をかすかに拾っている。

 画質は粗い。ライブカメラの定点映像だろうか。光の加減で表情の細部は見えない。だが、その佇まいだけで目が離せなくなる。

 女性が唇を動かした。風の音に混じって、断片的に声が拾える。


「……穢れた瘴気が、魂を蝕む……」


 細い指先が、夜風に揺れる髪を押さえた。


「……器は、枯渇しつつある……このままでは……闇に……」


 愁いを帯びた瞳が、物憂げに夜空を見上げる。

 女性はビルの縁に立った。躊躇なく、一歩を踏み出す。

 ――落下。

 その瞬間、足元に黒い光の輪が広がり、女性の身体が吸い込まれるように消えた。

 撮影者の声がかすかに入る。どうやら途中から一般人のスマホ映像に切り替わっていたらしい。


「え——消えた……?」


 手ブレが激しくなったまま映像が終わる。


 ◆


 のどかはスマホの画面を見つめたまま、小さく息をついた。


「……何回見てもかっこいいな」


 残業が終わった課内は、もうほとんど人がいなかった。夜勤組との交代まで、あと少し。デスクの上に積まれた処理済みの書類が、今日の仕事量を静かに物語っている。

 のどかはもう一度、動画の最初に戻した。ビルの縁に立つ黒髪の女性。何度見ても、その横顔には見入ってしまう。


「何を見てるんですか」


 横から覗き込むエミリにのどかはスマホを傾けてみせた。


「……ああ、闇系お姉さん。北米でも有名ですよ、この人」

「やっぱり海外でも知られてるんですね」

「都市伝説系ではかなり上位です。目撃動画だけで数十本あるとか」

「私、ここに入る前からずっと追ってて」


 のどかはスマホをスワイプして、別の動画を呼び出した。

 今度は橋の欄干に腰掛ける映像。闇夜に溶け込むような黒髪をなびかせて、やがて消える。


「ビルの屋上とか、橋の上とか、毎回ふっと現れて消えるんですよ。誰が撮っても画質は粗いんですけど、それがまた雰囲気あって」

「正体不明、出現地点も不規則。各国の防衛機関も把握しきれていないという話ですね」


 エミリの声は落ち着いている。いつもの冷静な語調。だが画面を見る目だけは、わずかに熱を帯びていた。


「毎回すぐ消えるのに、映像に残る佇まいが完璧なんですよね……」


 のどかが呟くように言った。エミリが小さく頷く。


「お疲れさま、甘いもの買ってきたわよ」


 その時紙袋がデスクにことりと置かれた。

 部長だった。くたびれたスーツ姿に、どこかのコンビニの袋を提げている。ツインテールがいつも通り元気に跳ねているのが、疲れた全体の印象と妙にちぐはぐだった。紙袋からはシュークリームの箱が覗いている。


「あ、部長。お疲れさまです。ありがとうございます」

「ありがとうございます」


 部長は「ん」と軽く頷いて、二人の背後からスマホの画面を覗き込んだ。


「何見てるの?」

「これ、闇系お姉さんの――」

「ああ……」


 紙袋からシュークリームを一つ取り出しだしながら、部長は何気なく答える。


「その人ね」


 だがのどかの耳には、その響きだけ少し違って聞こえた。ニュースを聞いた反応ではない。もっと近い、知っている人間の声色。

 のどかとエミリの目が、部長に向く。


「……部長、何か知ってるんですか」


 部長はシュークリームを一口かじった。クリームが少し唇についたのを指で拭いながら見返してきた。


「知ってるも何も……まあ、見せてあげようか。ネットに転がってるのとはちょっと違うやつ」


 課内の大型モニターに歩いていく。端末を操作して、防衛軍のアーカイブにアクセスする。認証画面が点滅し、部長のIDで開いた。普段は見ることのない階層のデータベース。


「これは防衛軍の正式な記録映像よ。一般には公開されてない。あの少女が何をしたかちゃんと残ってるの」


 部長が再生に手をかける。振り返って、シュークリームの残りをぱくっと口につめこむ。


「世界を救ったヒーローのお話、聞きたい?」


 ◆


 ――業務日誌――


 案件名:軌道人類残党によるコロニー落下テロ

 発生場所:首都圏上空

 災害区分:世界災害

 被害状況:陽動による市街地被害(軽微)。コロニー本体の地表到達なし

 対応:緊急即応部隊展開するも陽動に引っ掛かり、コロニー本体への直接対処間に合わず。異世界出身の民間協力者リュシア・ノクスの介入によりコロニー消失。残党部隊は即応部隊により鎮圧

 備考:リュシア・ノクスは事件後、日本支部にて保護。以後管理下において問題なし


 ※観測できない災害は人災扱いとして処理済み。



 モニターにまず表示されたのは、テキストデータだった。

 世界災害。コロニー落下。異世界出身の民間協力者。聞き慣れない名前――リュシア・ノクス。

 のどかは食い入るように画面に目を走らせる。テキストが消え、映像に切り替わった。


 ◆


 防衛軍の管制通信。無機質な声が流れる。


『所属不明の機動兵器三体、市街地に侵入。ただちに迎撃を開始してください』


 映像が切り替わる。夜の都市部。街灯とビルの明かりの中を、三体の見慣れない機体が進んでいる。重い駆動音が映像越しにも伝わってくる。防衛軍の部隊が次々に展開していく。


『第二小隊、接敵。交戦開始』


交戦が始まった。だが、様子がおかしい。


『……妙だな。仕掛けてこない』


敵機は応戦するが、深追いしない。攻撃が散発的で、じりじりと後退していく。市街地に侵入してきた割に、意図が見えない。破壊が目的なら、もっと暴れるはずだった。


『何がしたい? こっちから突っ込んできたくせに逃げ腰だぞ』

『意図不明。ただし市街地に留まられると被害が拡大します。追撃して排除を』

『了解。追う』


部隊が追撃に移った。敵機は抵抗しながらも、少しずつ首都から離れていく。まるで誘い込むように。

だが、その違和感に気づく余裕は、現場にはなかった。――その時。


『——首都上空に新たな反応。単体、大型』


 映像が空に切り替わった。

主力が追撃で首都を離れた、その空白に。

赤い機体が一体、悠然と降りてくる。夜空の中に浮かぶ赤。威圧的なまでに堂々とした降下。首都のビル群が、その影に翳った。

全周波数の通信がジャックされた。


「――聞こえるか、地球の民よ」


 声が、空を震わせる。


「我はアステロイド・コモンズが先陣である。我々は遥か異界の虚空より来た。棄てられた軌道の民だ」


 赤い機体は首都の空に静止し、地上を見下ろしている。その声は全周波数に乗り、防衛軍の通信網だけでなく、民間の放送帯域にまで流れ込んでいた。


「祖国のコロニーは朽ち、子らは冷たい鉄の床で眠り、我らの訴えは星の海に消えた。……すべて、地球が見捨てたがゆえに」


 声に震えはなく確信に満ちている。この男は、自分の言葉を一語たりとも疑っていない。


「貴様らの世界はまだ知らぬだろう。だが断言する——貴様らもまた、同じ過ちを犯す。同じ繁栄を貪り、同じように宙の民を踏みにじる。我らがその証左だ」

「ならばこそ、今ここで裁く。未来に生まれる悲劇を、その萌芽ごと焼き払う」

「見よ――っ」


 空が翳った。

 雲の向こうに、巨大な影が現れる。異界から持ち込まれたコロニーの残骸。朽ちた鉄の塊が、地球の重力に引かれてゆっくりと姿を見せた。

 防衛軍の通信に、一瞬の沈黙が走った。そして爆発するように。


『――陽動だ! さっきのは陽動だったんだ!』

『全部隊帰還せよ! 首都圏上空にコロニー級の落下物!』

『帰還って——今から戻れるわけないだろう!』

『即応部隊は!?』

『今夜の即応部隊は陽動の対処にもう出ています!』

『残ってる戦力は!? 何でもいい、出せるものは!』

『……ありません』

『寝てるヒーローでも何でもいい、叩き起こせ! 業務外だろうが知るか!』


 防衛軍の通信網が悲鳴を上げている。だがその間も、赤い機体からの声は止まなかった。自分たちの混乱など、眼中にないかのように。


「――これが我らの故郷だ」


 赤い機体が、落下するコロニーを仰ぎ見る。


「棄てられ、忘れられ、朽ちてなお残った我らの墓標だ。この重さを、その身で知れ」

「征けぇ! 故郷よ! 今こそ——その怨嗟、果たすときだ!」


 コロニーが落下を始めた。


『コロニー、大気圏に突入!』

『緊急即応部隊、展開開始——ダメだ、迎撃ポイントに届かない』

『落下予測地点、首都圏中心部。着弾まで――』

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