第3話②「24時間戦えるそうです。令和なんですけど」
◆
モニターの中で、百鬼夜行の列は膨張を続けていた。
通りを埋め尽くす妖怪の行列。太鼓のリズムはもう地鳴りのようで、祭りの音楽は完全に飲み込まれている。提灯は全て青白い光に変わり、屋台の灯りも消えかけていた。
櫓の上。ゴウがサングラスの奥から行列を見下ろしていた。妖怪たちの足音が地面を揺らし、その振動が櫓を伝って靴の裏に届く。
白スーツの肩が夜風に揺れる。金のチェーンが提灯の残り火を拾って光った。
「たかだか夜の間、12時間ごとき散歩するだけの魑魅魍魎が」
ゴウがマイクを握り、ターンテーブルに手を置く。
「こちとら、24時間踊り狂えますか? ってなもんだ」
隣でヨーコがマイクを構えた。ボディコンのスパンコールが、もう消えかけた提灯の最後の赤を反射して散らした。
「今夜は眠らせないわよ」
ビートが落ちた。
ターンテーブルから放たれた音が、夜の空気を叩く。
和太鼓の低いリズムに、EDMの電子音が重なった。歪んだ祭囃子の上から、別のリズムが被さっていく。上書き。塗り替え。音の領地を、一拍ずつ奪い返していく。
ゴウの額に汗が浮いた。ターンテーブルを回す指は正確で、一切の遊びがない。ヘッドフォンを押さえる左手に力が入る。テンポを逃さない。リズムをずらさない。妖怪たちが刻む拍の一つ一つに、こちらの拍を合わせていく。
ヨーコの声が夜空に響いた。
マイクを通した声ではなく、喉から直接空気を震わせるような歌声。スモークが櫓の足元から立ち上り、その中をジュリ扇が弧を描く。扇が空気を切るたびに、光の粒が散った。
櫓の下では、バックダンサーたちが踊っていた。
ジュリアナ・セクターと呼ばれる部隊。ワンレンボディコンに肩パッドで全員が真顔だ。
いつからいたなんて突っ込んではいけない、この世界とはそういうものだ。
一糸乱れぬステップが地面を踏み、そのリズムがゴウのビートと完全に同期している。
妖怪たちの動きが、変わり始めた。
おどろおどろしい行進が崩れる。足取りが軽くなる。腕が揺れ首が動く。
踊らされているのではない。リズムに引き込まれて、自ら踊り出している。大入道が肩を揺らし、ろくろ首が首を回し、一つ目小僧が手拍子を打つ。
妖怪たちの体から、光の粒が立ち昇り始めた。
霊気が抜けていく。浄化されていく。青白かった提灯の光が、少しずつ色を取り戻していく。
ゴウの汗が顎を伝い、ターンテーブルの上に落ちた。拭わない、手は止めない。
ヨーコの声は掠れない。息継ぎすら踊りのリズムに乗せている。
櫓の周囲に熱気が立ち込めていた。スモークと汗と、人と妖怪が入り混じった熱。提灯の光が白から金に変わり、夜空の底が少しだけ明るくなった。
のどかはモニターの前で、小さく息を吐いた。
「……踊ってます」
「踊ってますわね……」
エミリが隣で呟いた。
課長は何も言わず、モニターを見ていた。
◆
浄化は進んでいた。妖怪たちの列は徐々に短くなり、光の粒が夜空に昇っていく。
あと少しだ、のどかが思った時モニターの画面端に、人影が映り込んだ。
「一般の方が入ってきてます」
のどかが声を上げた。画面の中で、一人の男が行列に向かって歩いている。
課長がモニターに目をやった。
「ああ。音源持ち込んだ本人だろうな」
七十代の男性だった。町内会長の腕章はもうない。
着ているのは金のラメが入ったダブルスーツ。インナーはアニマル柄のシャツ。足元は白いローファー。どれも年季が入っているが、くたびれてはいない。手入れされている。
生涯現役。その言葉がでてくるほど動きが違った。
祭り客の踊りとも、妖怪たちの踊りとも、まるで違う。腰が据わっている。ステップが正確で、かつ派手だ。腕の振りに迷いがなく、体の芯がぶれない。
モニター越しに、声が拾えた。
「おう——! いいビートじゃねえか!」
男は笑っていた。汗が光っている。目が輝いている。七十を過ぎた体が、音に合わせて完璧に動いている。
あの時代のフロアで鳴らした人間の踊りだった。
櫓の上で、ゴウがターンテーブルから顔を上げた。一瞬だけ、口角が動いた。言葉にはしない。ただ、ビートを一段上げた。
ヨーコが即座にコールを入れる。
「来たわね——、六本木の生ける伝説のフロアキング!」
男が踊りの輪に加わった。
妖怪たちの間に入り、その中で踊る。妖怪も人も関係ない。音があり、リズムがあり、体がある。それだけで十分だと言わんばかりに。
光の粒が一段明るくなった。浄化が加速している。
のどかが小さく首をかしげた。エミリは目を丸くしている。
「……あの方は」
「日本の元気を支えた人、かな」
課長はそれだけ言った。
◆
空が白み始めていた。
最後の妖怪が光の粒になり、夜空に溶けた。
祭囃子はもう聞こえない。残っているのは、ゴウのターンテーブルが刻む静かなビートだけだった。それも徐々にフェードアウトし、やがて消えた。
ゴウがヘッドフォンを外した。額の汗を拭わず、サングラスの奥の目は映らないが、肩が少しだけ下がっていた。
ヨーコがマイクを下ろす。吐く息が白い。明け方の冷気が、スモークの残りと混ざっていた。
櫓の下では、バックダンサーたちが膝に手をついている。
あの金ラメスーツの男は、櫓の階段に腰かけて空を見上げていた。息が上がっているが満足そうに笑っていた。
現場のスタッフが座り込み、誰かがペットボトルの水を配っている。
のどかがモニター前で短い息を吐いた。
課長がコーヒーカップに口をつけた。最後の一口だった。
「……終わりましたね」
「ああ。書類は明日でいい。今日は――」
その瞬間、全ての電気が落ちた。
◆
モニターが消え、天井の蛍光灯も消えた。
デスクの上の小さなランプも、廊下の非常灯も、スピーカーのホワイトノイズすら。
全てが同時に、ぷつりと沈黙した。
のどかが息を止めると同時に、エミリが椅子から身を起こす気配がした。
課長の手がコーヒーカップから離れた。
暗い。
夜明け前の闇が、窓の外から部屋の中にまで染み込んでくるような暗さだった――そして。
「ハハッ」
甲高い笑い声が、空気のどこからか響いた。
スピーカーからではない。死んでいる。通信機も沈黙している。
音源がない。どこにもない。なのに、声だけが空気を震わせていた。
のどかがモニターの方を見た。
画面は消えている。真っ暗なガラス面。
そこに、影が映っていた。丸い耳を持つ、等身大のシルエット。
笑っている。
のどかの目の前で。モニターのガラス越しに。
壁にも映っていた。天井にも。床にもあちらこちらに。
あらゆる面に、同じ影が映り込んでいた。光源がない。影を落とすものが何もない。なのに影だけがそこにある。
影が動いた。
壁から壁へ。天井を這い、床を横切りデスクの表面を滑る。
楽しそうに走り回っている。
やがて電子音が鳴り始めた。
どこか陽気で、どこか狂ったテンポだが、聞き覚えのある旋律。
夜のパレードのあの音楽。
課長が立ち上がった。
のどかは目を見開いた。この人がコーヒーカップを置いて椅子から立つのを初めて見た。
「……来るのか」
影が止まった。
課長の背後の壁に、り付くように。
甲高い声が、もう一度響く。
「ハハッ――惜しかったなぁ。もう少しで、楽しいパレードの始まりだったのに」
声は陽気だった。
陽気で無邪気に弾んでいて、それでいて、ぞっとするほど温度がなかった。
人間の声に似ているが、人間の声ではない。感情に似ているが、感情ではない。
「でも大丈夫。いつでも僕たちは歓迎するさ」
「大人も子どもも、老いも若きも――」
「みんなみんな、夢の国へ連れてってあげるよ」
影がゆっくりと壁に沈んでいった。
最後まで笑顔のまま。
電気が一斉に戻った。
蛍光灯が点き、モニターが光り、スピーカーからホワイトノイズが戻る。
何事もなかったかのように。
のどかは、自分の指先が冷たくなっていることに気づいた。
「……今の」
言葉が続かなかった。
課長が椅子に座り直した。コーヒーカップに手を伸ばし傾けるも中身はなかった。
モニターが復旧し、現場の映像が戻っている。
櫓の上で、ゴウが空を見上げていた。サングラスを外してはいない。ヘッドフォンを首にかけたまま動かない。
しばらくして、モニター越しにゴウの声が聞こえた。
「……あの音は、楽しすぎて目が覚めねえ」
低い声だった。百鬼夜行を相手に24時間踊り狂えると言い放った男の声とは思えないほど、静かだった。
「俺たちの音は、叩き起こす音だ。でもあれは――夢に沈める音だ」
空が白み始めている。
明け方の風だけが、どこかで窓を揺らした。
【防衛軍・報告抄録/No.63427】
件名:渋谷第三地区・音律型怪異鎮圧後の異常現象について
当該怪異(百鬼夜行)の鎮圧は完了。
原因は現地町内会が使用した出所不明の祭囃子音源と断定。
音源は回収済み。鑑定の結果、録音年代は不明、媒体は磁気テープ。
鎮圧には文化防衛局音霊課所属DJゴウ及びバブリーヨーコが対応。人的被害なし。
ただし、鎮圧完了直後に以下の現象を確認。
一、対象地区及び管制室内の全電源が同時に遮断(約90秒間)。
二、電源遮断中、光源不在の影像反射現象を複数箇所で確認。
三、出所不明の音声を確認。内容は記録不能(録音機材も停止中のため)。
各国支部より、同様の報告が寄せられている。
対象は東京、上海、カリフォルニア、パリの四都市。
いずれも遊園地周辺を中心に、夜間通信障害及び影像反射異常を確認。
現時点で人的被害はなし。
なお、本案件に該当する音律型怪異は各国支部で呼称が異なる。
日本支部:百鬼夜行、欧州支部:ハーメルン現象、北米支部:パイドパイパー・インシデント、中華圏支部:鬼行列。
性質は共通しており、音律干渉による行列形成、および一般市民の行方不明を伴う。
ただし、全ての現象が「同一の笑い声」で終わっていることを確認。
対応方針については上位部署の判断を仰ぐ。
「……あの影、まだ開園前ってことか」
課長がそっと報告書を閉じる。
――業務日誌――
案件名:渋谷第三地区・音律型怪異「百鬼夜行」
発生場所:新宿第三地区(区民納涼まつり会場)
災害区分:都市災害
被害状況:人的被害なし。屋台3棟の提灯が全焼(霊気干渉による)。弁償は町内会負担。ミラーボール1基が櫓上に残置、撤去担当未定。
対応:文化防衛局音霊課(DJゴウ・バブリーヨーコ)による音律上書きにて浄化。一般参加者(田中氏)の合流あり、処分対象外。派遣承認は事後処理。
備考:原因は田中氏持参の出所不明磁気テープ音源。回収・鑑定課送付済み。鎮圧後に原因不明の電源遮断・影像反射異常が発生、詳細は別途報告書(No.3427)参照。本日誌への記載は課長判断により保留。
※観測できない災害は人災扱いとして処理済み。




