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第3話①「24時間戦えるそうです。令和なんですけど」

 夏の夜のモニターは、いつもより少しだけ明るい。

 今夜は祭りの監視がある。毎年この時期に防災連絡の定点観測が入るため、のどかは遅めのシフトで組まれていた。

 普段の残業で夜勤組と顔を合わせることはあるが、最初から夜勤の時間帯に入っているのは珍しい。

 給湯室の方から、気だるげな足音が近づいてきた。


「あれ、のどか。今日は遅いのね」


 黒瀬ヨル。日勤ではまず見かけない二課の夜勤担当で、のどかが残業で遅くなると顔を合わせる相手だ。

 名前の通り、夜のほうが馴染む人なのだろうと思っている。

 黒髪にピアスを幾つもあけており。気だるげな雰囲気なのに、スタイルがいいのもあってどこか絵になるお姉さんだ。

 いつものマグカップを片手に、夜勤の始まりといった顔をしている。こういう空気を自然に纏える人を、のどかは密かに羨ましく思っていた。


「祭りの監視で、今日は遅番なんです」

「ふうん。祭りか」


 ヨルはモニターをちらりと見て、興味なさそうに自分のデスクへ向かった。


「何かあったら声かけて。まあ、祭りにかこつけた妖怪がちょっとオイタする程度でしょうが」

「ありがとうございます、黒瀬さん」


 その背中を見送って、のどかはモニターに向き直った。

 画面の向こうでは提灯が連なり、屋台の煙が空に溶けている。

 都内某所、年に一度の区民納涼まつり。金魚すくいの前に子どもたちが列を作り、焼きそばの鉄板がじゅうじゅうと鳴っている。はずだが、映像からは匂いも熱気も伝わってこない。当たり前だ。ここはモニター前である。


「盆踊りって、ああやって輪になるんですのね」


 エミリが画面に顔を近づけていた。浴衣の柄や、櫓に吊るされた提灯の色を物珍しそうに見ている。


「綺麗ですわ。屋台もたくさん。焼きそばは食べたことありますけど、あの丸いのは何ですか?」

「たこ焼きですね」

「タコ。タコが入ってるんですか?」

「はい」

「……この国は、タコを丸くして祭りで食べるのですね」


 のどかは小さく苦笑して、モニターに視線を戻した。

 毎年この時期に防災連絡の定点監視がある。例年、大したことは起きない。

 酔っ払いが屋台でちょっと騒ぐ程度だがそれはうちの管轄ではない。祭りの陽気にあてられて、向こう側の者がフラリと何名か遊びに来ることもあるが、この世界ではそれも通常の範囲だった。

 画面の中では、櫓の周りで盆踊りの輪が回っている。提灯の灯り、太鼓の音、子どもたちの笑い声。


「……祭りって、いいですよね」


 のどかがぽつりと呟いた。モニターの明かりに照らされた横顔は、少しだけ柔らかかった。


「子どもの頃、地元のお祭りが好きで。毎年行ってたんですけど」

「素敵ですね。どんなお祭りでした?」

「普通の盆踊りですよ。ただ――」


 のどかはモニターの中の子どもたちを見ながら、少し首をかしげた。


「毎年、なんか変わった動物がいたんですよね。すごく人懐っこくて、撫でさせてくれるんです。白くてふわふわした、犬なのか猫なのかよく分からないやつとか」

「……それは」

「あと、知らないおじいちゃんがいつもお菓子くれて。毎年同じ場所にいるんですけど、親に聞いても誰か知らないって。地元のご年配の方だったのかな」


 エミリが微妙な顔をしていた。何か言いたそうだったが、言葉を選んでいるうちにのどかが「懐かしいな」と小さく笑って終わった。

 課長はデスクでコーヒーを啜っていた。モニターにはちらりと目をやる程度で、書類に何かを書き込んでいる。のどかの話が聞こえていたのかいなかったのか、表情は変わらない。

 電話が鳴った。課長が受話器を取り、二言三言だけ交わして終わった。


「町内会が今年の音源を変えたらしい」

「音源、ですか?」

「ああ。会長が蔵から引っ張り出してきたとかなんとか」


 課長はそれだけ言って、またコーヒーを啜った。


「まあ見てろ」


 のどかには、その一言の温度がよく分からなかった。不安でもなく、警戒でもなく、ただ面倒ごとの匂いを嗅いだ人の顔だった。


 ◆


 モニターの中の祭りは、しばらくは何も変わらなかった。

 太鼓と笛が囃子を刻み、櫓の周りを人々が回っている。子どもが走り、大人が笑い、屋台から煙が立ち上る。

 平和な夏の夜だった。

 だが、ある瞬間から、のどかの耳が引っかかった。

 太鼓のリズムが、微妙にズレている。

 一拍が重い。次の一拍が遅い。テンポそのものが沈んでいくような感覚。


「……リズム、変わってません?」

「え? 普通のお囃子に聞こえますけど……」


 エミリは首をかしげた。のどかはモニターのスピーカーに耳を寄せる。

 笛の音程が、さっきより低い。

 半音、いや、もっと微かに。人の耳では拾えるか拾えないかの境界。


「拍が重くなってます。さっきと違う」


 モニターの端で、提灯の明かりが一斉に揺れた。風はない。映像の中の木の葉は動いていない。

 課長がモニターを見た。コーヒーを置く気配はまだない。


 ◆


 画面の中で、祭りの賑わいに変化があった。ただし、最初は異変ではなかった。

 踊りの輪の端に、見慣れない姿がちらほら混じっている。頭に皿を載せた子ども。背中に甲羅を背負った老人。尻尾が二股に分かれた猫。

 仮装ではない。本物の妖怪だった。

 画面越しに、子どもの声が聞こえる。


「カッパだ!」

「ねこまたー!」


 笑いながら手を振っている。カッパも手を振り返す。猫又は子どもの頭を器用に撫でていた。

 屋台の焼きそばを妖怪が買っている映像が映り、エミリが身を乗り出した。


「妖怪が焼きそば食べてますわ」

「祭りや盆にはよく来るんですよ。無害な子たちなので」


 のどかは特に驚いていなかった。こういう世界である。行事のたびに顔を出す妖怪は珍しくない。そこら中にいるわけではないが、賑やかな場所には集まってくる。祭りの常連のようなものだった。

 課長もモニターに目をやったが、コーヒーを啜る手は止まらない。

 問題はその数だった。


 5分ほど経って、のどかはモニターの中の妖怪を数えるのをやめた。

 最初は四体か五体だった。それが十体になり、二十体になり、やがて画面の中で数えることそのものが無意味になった。見たことのない種類が混じり始めている。大入道。ろくろ首。一つ目小僧。手長足長。人の形をしていないものも現れ始めた。


「……増えてません?」


 エミリも気づいていた。

 画面の中の通りが、妖怪で埋まり始めていた。人間の数と同じぐらいになっている。それでもまだ、祭りの延長に見えなくもない。妖怪たちの表情は明るく、浮かれた足取りで踊りの輪に加わっている。

 賑やかな祭りの延長が崩れるの早かった。現場の空気が、映像越しにも変わっていた。

 祭囃子が歪んでいる。太鼓の音は地面の底から響くように重く、笛の音がどこか遠い。

 人の話し声がまるで水の中にいるように、聞き取りにくくなっている。

 提灯の光が変わった。赤かった灯りが、少しずつ青白く滲んでいる。

 妖怪たちの様子が違う。

 さっきまで焼きそばを食べていたカッパの顔が、笑ったまま動かなくなっていた。目が笑っている。口が笑っている。でも、表情が固まっている。子どもと手を振り合っていた猫又が、もう手を振っていない。ただ、行列の中に吸い込まれるように歩いている。

 無害だった妖怪たちが、一体ずつ、行列に取り込まれていく。

 楽しんでいた顔のまま、別のものになっていく。

 行列は膨れ上がり続けていた。通りの端から端まで妖怪が埋め尽くし、まだ増えている。どこから湧いてくるのか分からない。

 子どもたちの笑顔が消えていた。

 画面の隅で、妖怪が子どもの手を握っている映像が映った。繋いでいるのではなく掴んで引っ張られている。母親が慌てて駆け寄り、子どもを抱き上げた。

 妖怪の手が宙を掻く。

 大人たちが足を止め始めていた。行列に近づきすぎた男が、歩調を止められなくなっている。足が勝手にリズムを刻み、列の中に紛れていく。本人は気づいていない。

 屋台の店主が鉄板を放り出して逃げる。人混みが崩れ、悲鳴が上がる。

 モニター前。のどかの指が通信機に伸びた。視線は画面から離れない。


「……妖怪の数が増え続けてます。行列に人が巻き込まれ始めました」


 課長がコーヒーカップを置いた。


「百鬼夜行だ」


 淡々と。経験から出る断定だった。

 エミリの表情が変わった。


「ヨーロッパではハーメルン現象と呼ばれているものですね。笛の音に引き寄せられて、子どもが行方不明になる同じ性質の怪異です」


 課長が一瞬だけエミリを見た。


「知ってるなら話が早い。災害認定、出しとけ。都市災害だ」


 ◆


 のどかが通信機を手に取った。


「こちら特殊災害対策二課、渋谷第三地区にて音律型怪異の兆候を確認。百鬼夜行と判断、応援を要請します」


 ノイズが走った。通信に別の回線が割り込んでくる。


「しもしも〜? あら、現場ならもう入ってるわよ〜」

「……え? まだ派遣承認、出してないんですが」


 のどかの手が止まりモニターに目をやる。

 櫓の上に、二つ人影があった。

 いつの間にか、櫓の最上段にミラーボールが据え付けられている。誰が運んだのか、いつ設置したのか、一切不明。回転する光の粒が、青白い提灯の光に混じっていた。

 一人は男。白いダブルスーツに金のチェーン。ヘッドフォンを片耳にかけ、ターンテーブルの前に立っている。肩パッドのシルエットが異様に鋭い。

 一人は女。ピンクのボディコンにスパンコール。髪はボリュームのあるソバージュで、マイクを握ってすでにポーズを決めている。


 DJゴウと、バブリーヨーコ。

 文化防衛局音霊課所属。

 モニター越しに、ゴウの声が聞こえた。


「電波、良好。リズム、上々」


 ヨーコがイヤモニを外しながら笑う。


「匂ったのよ〜。お祭りの音がしたから来ちゃった」

「……いつからいたんですか」

「さあな」


 課長がコーヒーを啜る音だけが返ってきた。

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