インテリが好きだ
そのメールは、あまりにも事務的だった。
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> 【人事異動のお知らせ】
> 来月付で、第一開発部より総務部本社機能へ異動を命じます。
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(……え?)
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昼休み、スマホの画面を見たまま、私はしばらく動けなかった。
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(本社……?)
(ここじゃない……?)
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視線を上げる。
いつもの食堂。
いつもの席。
いつものインテリ達。
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(離れる……?)
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実感が、ゆっくり遅れてくる。
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午後。
私はいつも通りに仕事をする。
会議室を押さえて、備品を確認して、メールを返す。
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(いつも通り……)
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でも、少しだけ違う。
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(これ、あと何回見られるんだろう)
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議論が始まる。
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「この条件、ちょっと厳しすぎません?」
「でも緩めると意味がなくなる」
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(あと何回、このやり取り聞けるんだろう)
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長谷川さんが言う。
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「少し“息をさせてあげた方がいい”気がしますね」
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(ああ、この言い方)
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藤原さんが立ち上がる。
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「……じゃあ少し緩めて試します」
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(この流れも)
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三浦さんが眉をひそめる。
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「その緩め方、定義が曖昧では?」
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(これも)
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佐伯さんが静かに口を開く。
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「似た議論、昔にもありまして——」
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(全部、知ってる)
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私はふと気づく。
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(私、全部わかるようになってる……)
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最初は、何もわからなかった。
言葉の意味も。
議論の構造も。
誰が何を大事にしているのかも。
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でも今は違う。
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(“どのタイプの発言か”がわかる)
(どこに向かう議論か、なんとなく予測できる)
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それはきっと、
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(観察してきたから)
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夕方。
私は思い切って、先輩に話した。
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「来月、異動になりました」
「……そっか」
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少しだけ、間。
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「寂しくなるね」
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(ああ)
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その一言で、全部が確定する。
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ここは、ただの職場じゃなかった。
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(観察対象、だったはずなのに)
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気づけば、私はこの場所に居場所を感じていた。
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その日の帰り際。
私は少しだけ迷ってから、声をかけた。
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「お疲れ様です」
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いつも通りの挨拶。
でも、少しだけ違う。
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「来月、異動することになりました」
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数秒の沈黙。
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「……そうなんですね」
秋山さんが、少しだけ目を上げる。
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「どちらに?」
「本社の総務部です」
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「……そうですか」
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それだけ。
それだけなのに、
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(なんでこんなに重いんだろう)
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「……お世話になりました」
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私がそう言うと、
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「こちらこそ」
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短い返事。
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でも、その後に少しだけ続いた。
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「……会議室の調整、助かってました」
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(あ)
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たったそれだけの言葉が、
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(ちゃんと見られてたんだ)
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胸に落ちる。
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他の人たちも、それぞれに声をかけてくれた。
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「次のとこでも頑張ってね」
「体調気をつけて」
「またどこかで」
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どれも、特別じゃない言葉。
でも、
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(全部、ちゃんと温度がある)
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帰り道。
私はスマホのメモ帳を開く。
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そこには、これまでの“観察記録”。
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> ・“一般的って何ですか?”
> ・“きれいになります”
> ・“音が合っていない”
> ・“5分で試せる”
> ・“特別じゃないとわかると楽になる”
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(いっぱいあるな……)
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一つ一つは、ただの言葉。
でも、
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(全部、この場所のものだ)
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私は、少しだけ考えてから、新しい行を追加した。
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> ・観察していたつもりが、いつの間にか関わっていた
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手を止める。
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最初は、ただ面白かった。
インテリが口論するのが。
言葉がぶつかるのが。
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でも今は違う。
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(ちょっとだけ、寂しい)
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それでも。
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私は知っている。
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あの人たちは、明日も同じように議論する。
定義でぶつかり、
比喩で迷い、
実装でひっくり返し、
歴史で整理する。
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(私はいなくても)
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それが、少しだけ嬉しくて。
少しだけ、寂しい。
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最後に、日報を書く。
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業務内容:
・会議室調整
・備品管理
・最終観察
所感:
・配属替えにより観察環境を離れることが決定
・インテリ達の議論は、個人ではなく場に依存している可能性あり
・観察者であり続けることはできなかった
・この経験は、今後の思考に影響を与えると考えられる
・少し寂しい
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ペンを置く。
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ご飯も好きだけど。
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少しだけ間をおいて、
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やっぱり私は、
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インテリが好きだ。
もうちょっと続きます。




