第1話:新体制の始動と、不穏な特急便
【第1章・幕間/第8話】古代の聖遺物は語らない
ノクターンのメインOSの中枢——人間には知覚できない超高次元領域で、静かに電子の脈動が見られていた。
《——対象:個体識別名【シルヴィア】の遺伝子解析データ》《——照合完了。かつて本艦を設計・建造した『第一世代・高次元工学技師一族』の遺伝子一致率99.8%。主機・熱力学演算中枢へのアクセス権を全面承認》
実は、シルヴィアが初めて艦内に足を踏み入れたその瞬間から、ノクターンはすべてを理解していた。
そして、彼女の思考脳波から溢れ出していた「居場所がない」という切実な孤独、逃亡の恐怖、そして『誰かの役に立ちたい』という不器用な願い。
もしノクターンが無機質なだけの機械であったなら、瞬時に大音量でこう言っていたのだろう
。
それにしても、数千年の時を経て意志を育んできたこの古き聖遺物は、それをしなかった。
血統という重荷や運命で、傷ついた少女を縛りたくはなかったからだ。
何より、自分だけの「軍事」としてではなく、泥臭い「相棒」として扱い、本物の肉の脂と香辛料の匂いを艦内に抱えて笑いながらあのバカな二人組リョウとマルコとともに、彼女の自分自身で居場所を選んでほしかった。
ただ、ノクターンはほんの少しだけ意地悪で、とびきり粋な「ウソ」を付いたのだ。
《——エラー:生体認証キーの永続的結合。解除不可》
「体(労働)で勝負しかないのよーっ!」と真っ赤にして叫ぶシルヴィアの姿。
それを腹を抱えて笑い飛ばし、「今日からウチのチーフエンジニアだ」と温かく迎えたリョウとマルコ。
その光景を、ノクターンのコンソールは静かに青い光を明滅させながら見守っていました。
『ふふん、この船のポテンシャルを100%引き出せるのは私だけなんだから!』
現存のないまま誇らしげに胸を張る天才エンジニアのお嬢様と、彼女が弾き出す完璧な「火加減」の計算に全幅認識を寄せる二人の男。
言葉には出さない。己の真の出自も、なぜ自分がこの船に愛されているのかも、彼女が知る必要はまだない。
今日も艦内には、本物の豚バラ肉が焦げる芳ばしい匂いと、三人の楽し気な笑い声が響いている。
マスターたちの成長と、賑やかな食卓を愛する漆黒の聖遺物は、今夜も黙って不敵なエンジン音を控えめに響かせたのである。
「はい、そこ! 0.002秒遅いわよ、マルコ! プラズマコンデンサーのバイパス回路、もっと滑らかに接続して!」
「へいへい、厳格なる『チーフエンジニア』様! 指示が細かすぎてスパナを持つ手が震えるぜ!」
『ノクターン』の第二機関室。
汗だくになったマルコが絶叫し、その頭上から作業用小型ドローンに乗ったシルヴィアが、ホログラムの設計図をバシバシ叩きながら指示を飛ばしている。
シルヴィアがノクターンの正式なクルー——兼チーフエンジニアとなってから二週間。
彼女の加わったノクターンは、まるで眠りから覚めた巨人のように凄まじい変貌を遂げていた。
「リョウ、メインブリッジの出力グラフィックを見て!」
シルヴィアが通信モニター越しに、誇らしげに胸を張る。
「従来の『高機動輸送モード』から、古代の本来の規格である『超高次元戦闘・運送複合モード』へのシステム統合が完了したわ。推進炉のエネルギーロスを94%削減。これで既存の重力ジャマーを喰らっても、私の計算通りなら即座に波形を相殺してスリップドライブを起動できるわよ」
コンソールの数値をチェックしていた僕は、思わず舌を巻いた。
外見こそ、ドックでの偽装用ペイントによって地味な中型貨物船を装っているが、内部の構造とスペックはもはや別物だ。
外側から見た全長百二十メートルの船体はそのままに、シルヴィアの認証によって展開された時空変異装甲の内部空間はさらに拡張。格納庫には最大三隻の大型艇を無傷で丸ごと収納可能となり、主砲の「微粒子砲」も出力が倍以上に引き上げられていた。
「すげぇな……。これならメガコーポレーションの正規軍が来ても、正面から蹴散らして逃げ切れるぞ」
「ふふん、当然よ。この船のポテンシャルを100%引き出せるのは、開発者一族の私だけなんだから! ……あ、でもその代わり」
シルヴィアの青い瞳が、不敵な輝きを帯びる。
「燃費……つまり推進炉に投入する高品質レアメタルの消費量と、クルーのエネルギー補給(食料)の要求スペックも上がったわよ。リョウ、『次のお仕事』、しっかり稼いできてもらわないと!」
「分かってるよ。オアシスのクーリエギルド本部から、一番条件の良い『ワケあり特急便』を引っ張ってきた」
僕はホログラムの依頼書を二人の前に展開した。
「依頼主は、この自由貿易都市オアシスの影の最高権力者——闇商人連合の幹部『ドン・カルロ』。荷物は、隣接する『ルビコン星系』の極秘オークション会場まで届ける『暗号化記憶ストレージ』だ。提示報酬は……なんと三百万クレジット」
「三、三百万クレジットぇええええっ!?」
機関室から駆け上がってきたマルコが、目を剥いて叫んだ。
「おいおいおい! 三百万つったら、最高級のA5ランク熟成肉が牛一頭分どころか、本物のヴィンテージワインの樽が何本買えると思ってんだ! 一体全体、どんなヤバいデータが入ってんだよ!?」
「アトランティス社が裏で進めている、非合法な『惑星改造用・大量殺戮兵器』のプロトタイプデータの一部……そして、それを買収しようとしている他星系の巨大軍閥の顧客リストよ」
シルヴィアが表情を曇らせ、抱えていた端末を握りしめた。
「私が持ち出したデータケースの『鍵』に相当するものね。ドン・カルロはそれをどこかから入手して、闇オークションで爆買いさせようとしてるんだわ……」
「なるほどな。アトランティス社にとっちゃ、絶対に外部に漏れちゃいけない最重要機密だ。喉から手が出るほど買い戻したい……いや、奪い取りたいはずだ」
僕が不敵に笑うと、マルコが嫌そうな顔で自分の首をさすった。
「なあリョウ……それってつまり、またあのアトランティス社の冷酷司令官、ヴァルケンの野郎が全力で追ってくるってことだろ? 前回の腹いせも込めてさぁ」
「ああ、間違いない。だが、断る理由があるか?」
僕の問いかけに、マルコは一瞬呆れたような顔をし、すぐにギラついた悪党の笑みを浮かべた。
「あるわけねぇだろ! 三百万クレジットだぞ!? 無事に届けて大金を分捕ったら、ルビコン星系の最高級リゾートマーケットで、一生分の本物の豚バラと特上ウニを喰い荒らしてやる!」
「私も手伝うわ!」シルヴィアも気合い十分に拳を握りしめた。
「ヴァルケンなんかに私の解析したノクターンが負けるわけないもの! 火加減の計算なら、あの男の戦艦を丸焼きにするくらい完璧にやってみせるわ!」
「よし、決まりだ」
僕は操舵桿を力強く引き寄せた。
ノクターンの重厚なエンジンが、重低音の唸りを上げて覚醒する。
外部ドックのロックが解除され、漆黒の船体は自由貿易都市オアシスの明かりを背に、暗黒の宙域へと滑り出した。
「ノクターン、出撃だ! 追っ手を返り討ちにして、最高のごちそうを掴み取るぞ!」
銀河を揺るがす最速の運び屋チーム。
三人の『欲望』と『生存』をかけた第2章の怒涛の航海が、いま静かに幕を開けた。




