第7話:契約の担保と、三人と一隻の新たな食卓
『自由貿易都市オアシス』の第3民間ドック。
ノクターンが重厚な着底音とともに固定され、外部からの気密ハッチが開放された。
ドックのエアロックから流れ込んできたのは、無機質な宇宙港特有のオゾン臭と、遠くの飲食店街から漂ってくる香辛料の甘く香ばしい匂いだった。
「ふぅ……ひとまず、安全圏ね」
シルヴィアは操縦席のシートに深く背もたれを預け、安堵の息を吐いた。だが、次の瞬間、彼女の表情が硬直する。
「……あ」
コンソールのメインモニターに、赤い点滅とともに見慣れないシステムアラートが表示されていたのだ。
**《——警告:生体認証キーの永続的結合を確認。乗組員【シルヴィア】のIDは当艦の主機・熱力学演算中枢に固定されました。登録解除にはマスター(リョウ)および所有権保持者全員の承認が必要です》**
「えっ……嘘でしょ? IDが……固定された!?」
シルヴィアが焦ってコンソールを叩くが、ノクターンは静かに青い光を明滅させるだけで、拒絶のサインを返す。
「おいおい、どうしたんだお嬢様? 船に振られたみたいな顔して」
マルコが冷えた缶ジュースを手に歩み寄ってくる。
「ち、違うわよ! 私のIDがこの船の中枢OSに『チーフエンジニア』として固定されちゃったの! これじゃ私、ノクターンが近くにないと認証エラーで他の端末すらまともに使えないし、逆にこの船も私なしじゃ最大出力を出せなくなっちゃってる……!」
「ハッハッハ! そりゃそうだろ!」
リョウが操舵桿の横でニヤリと笑った。
「ノクターンは『古代の成長する聖遺物』だ。お前がさっき見せた完璧な火加減……いや、エンジンの熱量コントロールを学習して、自分の『心臓』に組み込んじまったんだよ。一度覚えた最高の使い手を、この船が手放すわけないだろ」
「そんな……! 私、追われる身だし、早く公聴会に行ってデータを渡したらどこか静かな星で暮らすつもりだったのに……!」
抱え込んだ膝に顔を埋めそうになるシルヴィアに、リョウはぽんと肩を叩いた。
「まあ待てよ。それ以前に……シルヴィア、お前、今回の『輸送依頼料』はどうやって払うつもりだったんだ?」
「……え?」
シルヴィアの動きがピタリと止まる。
「『オアシスまで運んでくれたら報酬ならいくらでも払う』って言ってたよな? アトランティス社から脱走したお前が、まさかスリップドライブの輸送相場——ざっと二百万クレジット以上の現金を懐に忍ばせてるわけじゃないだろ?」
「う……っ」
シルヴィアの顔が、みるみるうちに真っ赤になっていく。
彼女は視線を泳がせ、胸元のデータケースをギシギシと抱きしめた。
「そ、それは……! このデータは銀河の平和のために……! か、体で払うつもりだったのよ……っ!」
「「体で!?」」
リョウとマルコの声がハモった。
「べ、別の変な意味じゃないわよ!!」
シルヴィアが真っ赤な顔で叫び散らす。
「労働よ、労働! 私の知識と技術! ノクターンのエンジンのチーフエンジニアとして無給で働くことで、輸送費の支払いに代えてもらおうと思ってたの! ……でも、まさか船の方から勝手にIDをロックして私を拘束してくるなんて思わなかったのよーっ!」
不器用で、プライドが高くて、けれど必死な逃亡者の少女。
その様子を見て、リョウとマルコは腹を抱えて笑い出した。
「ギャハハハ! 体で支払いってそういうことかよ! 最高だなお嬢様!」
「笑い事じゃないわよ! 私は真剣に……っ!」
「いいぜ、受け取った」
リョウが微笑みながら、シルヴィアに向かって手を差し出した。
「ノクターンのチーフエンジニアとしての『労働』。それで輸送費は全額チャラだ。それに……アトランティス社に狙われてる身なら、一人で逃げ回るより、銀河最速のこの船にいた方が安全だろ?」
「リョウ……」
「ただし!」
マルコが割り込んで、指を一本立てた。
「エンジンの火加減だけじゃなく、買い出しの荷物持ちと、飯の時のキャベツの千切りも手伝ってもらうからな! ウチの給仕は厳しいぞ!」
シルヴィアは呆れたように一瞬目を丸くし、それから……小さく、本当に愛おしそうにクスッと笑った。
「……ふふっ。変な男たち。合意のもとの借金取り立てなら、喜んで働いてあげるわよ」
差し出されたリョウの手を、シルヴィアの小さな手がしっかりと握り返した。
◇
その日の夜。
オアシスの巨大な青空市場で仕入れてきたのは、この星系の特産である「本物の生鮭」と「極上のバター」、そしてみずみずしいアスパラガスだった。
ノクターンの簡易キッチンで、今夜はシルヴィアも加わった「第一回・クルー結成ディナー」が開催されていた。
アルミホイルを開くと、ジュワッと香ばしい音とともに、バターと醤油、そして鮭の旨味が混ざり合った芳醇な湯気が立ち上る。
「これが……ホイル焼き……? アイアンシェフのペーストじゃなくて……?」
シルヴィアがおずおずとフォークを伸ばし、ホクホクの鮭の身を口に運んだ。
次の瞬間、彼女の大きな青い瞳が、こぼれ落ちんばかりに見開かれた。
「んんっ……!! なにこれ……美味しい……っ! 脂が口の中でとろけて、お醤油の香ばしさとバターのコクが……っ!」
「だろーっ!?」
マルコがビールを飲み干しながら誇らしげに胸を張る。
「これが『本物のメシ』だ! 科学の計算じゃ導き出せねえ、生の食材と火の力だ!」
「凄いわ……こんなに美味しい食べ物があるなんて……アトランティス社の研究室に閉じ込められてた頃は、毎日灰色スープしか知らなかったのに……っ」
シルヴィアの目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ち、鮭のホイル焼きの上に落ちた。
逃亡の恐怖、孤独、そして生まれて初めて味わう「誰かと囲むあたたかい食卓」。
リョウは優しく彼女の頭を撫で、自分のグラスを掲げた。
「泣くのは終わりだ、シルヴィア。美味いもんを喰って、笑って、行きたい場所へ飛ぶ。それが俺たちノクターンクルーのやり方だ」
「……ええ! ええ……っ!」
シルヴィアは袖で涙を拭い、満面の笑顔で自分のコップを突き出した。
灰色のタンパクパックと泥の底から始まった二人の物語は、天才エンジニアの少女を乗せ、三人と一隻の絆を結んだ。
メガコーポレーション「アトランティス社」の影、そしていずれ対峙することになる「銀河恒星連邦」の巨大な陰謀。
迫りくる猛威を前に、彼らは今日も本物の美味いメシを喰らい、光の速度を超えて銀河の星々を駆け抜けていく——!
(第1章・完 / 第2章へ続く)




