第5話:最悪の依頼人と、冷めた合成スープ
「人間ってのは罪な生き物だな、リョウ」
ノクターンのメインブリッジ。マルコが深々とした溜め息をつきながら、手元の金属カップを眺めていた。
中に入っているのは、寄港地の給湯機から汲んできた「標準栄養補給スープ(粉末)」。かつてはこれ一杯で「今日はごちそうだ」と喜んでいたはずの代物だった。
だが、一口すすったマルコの顔が露骨に歪む。
「……味がない。ただの温かいプラスチックの湯だ。昨日喰ったあの豚バラの脂と、豆板醤のガツンとくるコクを知っちまった俺の舌が、こんなゴミを拒絶してやがる」
「贅沢に慣れるのは一瞬だからな。一度覚えた『本物の味』からは、もう二度と戻れない」
僕も苦笑しながら、手元の端末で残高を確認した。
アトランティス社の私兵部隊が動き出したことで、これまで使っていた裏の買い取りルートが軒並み封鎖され、資金の回転が一時的にストップしている。
宙族から巻き上げた金も、一連の豪勢な買い出しと船体のエネルギー補充で半分以上が吹き飛んでいた。
「メシのランクを落とさないためにも、そろそろデカい依頼を一本引っ張ってこないとマズいな……」
僕がそう呟いた、その時だった。
『——警告。近接宙域に緊急ドッキング信号を感知。高速で接近する小型艇があります』
ノクターンのAIシステムが、静かだが緊迫した電子音を鳴らした。
メインモニターに拡大表示されたのは、推進器から派手に黒煙とスパークを吹き出しながら、フラフラと無秩序な回転を描いて近づいてくる一隻の小型脱出艇だった。
「おいおいおい! まっすぐこっちに突っ込んできてねえか!? 事故る、事故るぞ!」
「トラクタービーム展開! 衝撃に備えろ!」
僕が操舵桿を操作し、重力波のクッションを展開した直後、ドズンッ! と重い衝撃がノクターンの第二エアロックを揺らした。
間一髪で捕獲に成功したものの、脱出艇のエンジン部分は完全に焼け焦げており、あと数十秒で爆発していてもおかしくない状態だった。
「……ハッ、間一髪か。で、中には何が乗ってんだ? 宙族の生き残りか?」
「確認する。……エアロック開放」
プシューッと減圧音が響き、歪んだハッチがゆっくりと開く。
立ち込める白い煙の中から倒れ込んできたのは、見たこともない上質な白衣に身を包んだ、若い女性だった。
プラチナブロンドの長い髪は煤で汚れ、肩を大きく上下させながら荒い息をついている。
その手には、重厚なプロテクトが施された銀色の密輸用データケースがしっかりと握りしめられていた。
「ハァ……ハァ……っ! ここは……クーリエの船……?」
透き通るような青い瞳が、僕とマルコを交互に見つめる。
そして、彼女は力を振り絞るようにして僕の胸ぐらを掴んできた。
「お願い……私を……私を『自由貿易都市オアシス』まで運んで! 報酬なら……いくらでも払うわ……!」
「おいおい、いきなりお嬢様の登場かよ。報酬ならいくらでもって、そりゃあ……」
マルコが呆れ半分に声をかけた瞬間、脱出艇の通信モニターが強制的にジャックされ、赤い警告表示とともに一人の男の不気味な顔がホログラムで浮かび上がった。
冷徹な眼光に、漆黒の軍服。胸元には、あのアトランティス社の金色のエンブレムが刻まれている。
『——逃げられると思っているのかね、シルヴィア君』
男の低く響く声が、ブリッジの空気を凍りつかせる。
『そこの二人の泥棒猫にも警告しておく。その女はアトランティス社の最高機密領域から脱走した重犯罪者だ。ただちに身柄と所持品を引き渡せば、君たちの命と……その下品な黒い船の存在くらいは見逃してやろう』
「アトランティス社……!?」
マルコが思わず後ずさりする。
少女——シルヴィアは青ざめた顔で首を振り、握りしめたデータケースをさらに強く抱きしめた。
「嘘よ……! 私は彼らの兵器開発の奴隷にされていたの! このケースの中には、彼らが星間条約を違反して作ろうとしている『大量殺戮兵器』のデータが入っている……! これを連邦の公聴会へ届けないと、何千万人もの命が……!」
『黙りたまえ、シルヴィア。君のその青くさい正義感には反吐が出る』
ホログラムの男——アトランティス社私兵艦隊司令官ヴァルケンは、薄っすらと冷酷な笑みを浮かべた。
『提示条件は以上だ、クーリエ。断れば、君たちの船ごと宇宙の塵に変える。猶予は三十秒だ』
通信が一方的に切れると同時に、センサーが最大級の警報を打ち鳴らした。
前方宙域の闇から、光学迷彩を解除するように姿を現したのは、全長八百メートルを超えるアトランティス社の大型重巡洋艦——その圧倒的な巨躯だった。
「じ、重巡洋艦一隻に、護衛艦が四隻……!? バカ言え、なんで一人の女の子を追うのに艦隊を丸ごと連れてきてんだよ!?」
マルコが悲鳴を上げる。
シルヴィアは唇を噛み締め、絶望に満ちた目で僕を見つめた。
「……ごめんなさい。私のせいであんた達を巻き込んで。私を彼らに引き渡して……あんた達だけでも逃げて……」
「……」
僕は無言のまま、シルヴィアの手から冷え切ったデータケースを取り上げ、座席の横に無雑作に放り投げた。
そして、操舵桿を強く握り直す。
「リョウ……? お前、まさか引き渡す気じゃないよな!?」
「バカ言え」
僕は不敵に笑い、推進炉の出力レバーを限界まで押し込んだ。
「僕たちが受け取ったのは、『オアシスまでこの女と荷物を無事に運ぶ』という依頼だ。……それに、アトランティス社のお偉いさんには一つ、言っておきたいことがあってね」
「な、なんだよ!?」
「あいつらの提案する報酬には、本物の豚バラ肉も長ネギも含まれてなさそうだからな!」
重低音が爆発し、ノクターンの艦体が激しく脈動する。
シルヴィアが目を見開くなか、漆黒の要塞艦は迫りくる敵艦隊の砲火の中へ、猛然と突っ込んでいった。




