第98話 休日のサラリーマン
そこからは、会話というより調整作業に近い。
言葉を投げる。
反応を見る。
足りない部分を補う。
その繰り返しだ。
“赤いの”は、知らない単語が出るたびに止まるが、一度理解したものは正確に使い直してくる。曖昧な覚え方をせず、むしろ吸収が早すぎて、こちらの説明が追いつかなくなる場面すらある。
頭が悪いわけじゃなく、単純に必要がなかっただけだ。
話す相手がいなければ言葉は増えない。孤立していた、と言い換えてもいい。
それでも、“黄色いやつ”とはやり取りがあったはずだ。でなければ、この最低限の言語体系すら成立しない。
俺の目的は、竜との戦闘を避け、あわよくば協力を取り付けること。そのためにはスムーズな会話と、フレンドシップが必要不可欠。
場が温まってきたタイミングで、初対面の鉄板トークで距離を詰める。相手が竜でも、やることは同じだ。
まずは出身地。同郷なら共通の話題で盛り上がる定番ネタ。
「赤いのは、どこの出身だ? ちなみに、出身とは生まれた場所な」
「生まれた場所はここだ。たまに移動するが、戻ってくる」
「親はいないのか?」
「人間のように増えたりはしない。生まれた時からこの姿だ」
なるほど、成長の概念がない。少なくとも俺たちのいう“生物”とは別枠っぽい。
次は休日の過ごし方。これで、その人のライフワークがわかる。
「いつも何をして過ごしているんだ?」
「寝ていた」
「見ればわかる」
「そうか」
会話が終わる速度が速すぎる。広げる気ゼロだなこいつ。
休日は寝てます、で止めるやつの気まずさを、まさか竜相手に味わうとは思わなかった。少しは盛れ。盛る努力をしろ。
……まあ、相手が相手だ。そこを求めるのは酷か。
気を取り直す。
次は好きな食べ物。これは強い。話題が広がるし、店の情報交換にも繋がる万能カードだ。
「好きな食べ物は何だ?」
「食事はしない」
「え? お腹は空かないのか?」
「他の生き物とは違うのだ」
周囲を見回す。
黒い岩、灰、転がる石。骨も、食べ残しも、一切ない。
好物がないタイプは想定していたが、“食事そのものが存在しない”は、さすがに想定外だ。話を広げる余地がない。
自分の好物を出して乗せる手もあるが、そもそも食文化を共有していない相手に刺さる気がしない。
……最後の手段か。
本来、初対面で踏み込む話題じゃない。プライベートに寄りすぎて警戒されるリスクがある。
だが、このままでは会話が乾ききる。
「趣味は何だ? ちなみに趣味とは、暇なときにする楽しむ活動のことだ」
「暇?」
そこからか。
「なすべきことがない時間のことだ」
「寝ている」
――中年サラリーマンみたいな回答しやがって!
会話テクニックを総動員して、あれこれ聞き出す。
切り口を変え、角度を変え、ひたすら投げる。
その結果、何も出てこない。
隠している気配はない。
むしろ逆で、聞かれたことには、そのまま返す。濁さないし誤魔化しもしない。
なのに、引っかかるものがない。
生き物としての前提が、そもそも共有されていない。
こっちの常識をどれだけ投げても、受け止める土台がないから、跳ね返ってくるだけだ。
それでも“赤いの”は嫌な顔ひとつせず、怒涛の質問に淡々と付き合ってくれる。
気づけば、会話は自然と続いている。
言葉が、流れるように繋がる。
今は、赫竜教の教えが正しいか確認している。
「――まさか、世界の創造主なのか?」
「そんなわけないぞ。生まれた時に、すでに世界はあった」
「じゃあ、赤いのは、誰に作られたのか知らないんだな?」
「面白いことを聞く。ならば人間は、誰に作られたのか知っているのか?」
――いきなり哲学かよ。
「知らない」
「それと同じよ。生まれた時の記憶を持つ者など存在しない。ユウナギも、親と思っている人間が、ほんとうにユウナギを生んだのか知らないだろう」
一瞬、言葉に詰まる。
「……そうだな。一緒に住んでいたから親だと思っているだけだ。じゃあ、赤いのが人間を造ったわけじゃないんだな?」
「そうだ。寝て、目を覚ました時には、もう増えていた」
さらっと言うが、その一言に含まれる時間の重さが違う。
寝て、起きる。
それだけの間に、人間が“増える”。
年単位じゃない。
もっと長い。
数十年か、あるいは――
頭の中で赫竜教の教えを整理する。
“竜は不変である”これは当たっている可能性が高い。
だが、“支配者”でもなければ“創造主”でもない。
距離感が違う。
人間と竜。
その関係は、上下ですらない。
たぶん、人間と蟻。それくらいの差だ。
蟻がいつ巣を作ったのか、どの蟻が偉いのか。
いちいち把握しないのと同じで、向こうもこちらを細かく認識していない。
気づけば、日がどっぷり沈んでいる。いつの間にか、空の色は完全に夜へと入れ替わっていて、さっきまでの赤みが嘘みたいに消えている。
俺たちはずっと話している。時間の感覚が薄いまま、気づけばここまで来ていた感じだ。竜は相変わらずほとんど動かない。呼吸しているのかどうかすら怪しいくらい静かで、それでも会話だけは途切れず続いている。
ふと思い出して、ヘッドボードのLEDライトを点ける。
「サリー、明かりを」
「りょ」
白っぽい淡い光がふわりと広がる。
その光が夜気に溶けるように広がって、星明かりと重なる。強すぎず、弱すぎず、輪郭だけを拾い上げるような明るさだ。
闇の向こうに、竜の顔がぼんやり浮かび上がる。
巨大な頭部だ。改めて見ると、やっぱりスケールがおかしい。距離があるのに、視界の大半を占めてくる。
慣れてきた、のか?
いや、そんなはずはない。こんなサイズの生き物と、こんな距離で、こんな風に会話してる状況が普通になるわけがない。
それでも、感じていた警戒の棘は、少し丸くなっている。
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